名前の無い女
彼、ナインがこのような境遇に至るまでの経緯は、ある程度説明されてしかるべきだと思う。
とは言え、それを語るには余りに資料が少ない。
ナインという名が本名であるかすら、後年の歴史家の中で論争が続いているくらいだ。
かと言えば、彼という人間が存在していたことを疑う者はまずいない。
彼のなしたことが、余りにも人類に、魔族に、影響を与えすぎたから。
曰く、「英雄」。
曰く、「梟雄」。
曰く、「裏切り者」。
曰く、「物狂い」。
私としては浮気者の呼び名がふさわしいと思っているが、しかし、最も通りが良い呼び名といえば、これであろう。
「悪魔」。
サリア教では、彼の名を悪魔と同義として扱っており、新興派の中では、悪魔とは魔族を指すのではなく、ナインであるとする者すらいる。
故に、歴史書には載っていない真実の彼の姿については、当事者たる者しか彼を本当の意味で評価することはできない、と、私自身は思っている。
だから語ろう。
最も彼の近くにいて、彼を誑かした私が。
人間も魔族も貶め、地獄に落ちた、ただの無力な一人の人間について、この私が。
私の罪について。
私の愛について。
何一つ後悔なんてしていないから、これは懺悔などではない。
反省などしたら、彼を汚すこととなってしまうから、私は決して謝りはしない。
ただ、彼を想うことだけが贖罪になると、それだけは信じている。
だから、私の思い出を、どうか聞いてください。
――ああ、運命の綻びは、いったいどこであったのか……。