虚偽
世界から突き落とされたような、不明な恐怖を叩きつけられた後、体に力が入らなくなったオレの体を、その人間はすぐ傍の廃屋に引きずり込んだ。
……僕が貴方にお願いしたいことは、とどのつまり、たった一つの簡単なことです。
虚ろな虹彩の目を持つその男は、己を狙った刺客……つまりオレに向けて、そう切り出した。
男はもう一度繰り返す。
「僕が貴方にお願いしたいのは、たった一つの、簡単なことなんですよ」
――――――――
ナインです。
突然ですが、エルフの里に帰ってきました。愛するエヴァさんのお顔を見るために。
「ふんふふふ~ん、ふんふふふ~ん」
鼻歌交じりに歩いていると、この間顔見知りになった幼児達が足元にまとわりついてきたので、皆の脇腹をエンドレスでくすぐり続けていたら、
「―――! ――――!」
彼らの母親らしきエルフ達が何事か口にしながら子供達を回収していった。
僕にエルフの言語は分からないが、あの様子から察するに「こっちに来なさい! あの人間と遊んじゃ駄目って言ったでしょ!」といったところじゃなかろうか。
切ねえなあ。
まあいいや。親御さんの意識が高いから、この調子なら声掛け事案が発生してもこの里の治安は守り続けられるだろう。
治安を乱してたのは僕だけど。
さあて、ひっさしぶりのエヴァさんは、どんな様子だろうか。
いきなり帰ったらびっくりするかな。
きっとするなあ。
だってさ、彼女、もう僕のこと監視できてないもんね。
「ただいまです、エヴァさん!」
「……やあ、お帰り。首尾はどうだね?」
「なかなか調子いい感じじゃないかと……思わず自画自賛しちゃいます」
「ふむ……? 詳しく話してみるといい」
「ええ、ですがその前に」
「なんだい?」
「この部屋の惨状を何とかしましょうか」
汚部屋→お部屋に変わるまで、大体三時間かかりました。
どうやったら十日間やそこらでこんなに汚せるのさ。
「……それで? ボルトとはどうだった?」
エヴァ・カルマは、自分の所に帰ってきたサンプルに対し、珈琲を振舞いながら経過を尋ねる。
彼女は思考する。
……初対面以降も、こちらからも見ていた限りではかなり折り合いが悪そうに見えたが。
途中から指輪の魔力も追えなくなってしまったし……。
そこまで考えたところで、不自然にならないようにナインの手元を見るが、人間だとばれぬよう着けている手袋が邪魔をして、求めている物の姿の有無が判別できない。
「あ、聞いてくださいよエヴァさん、ボルト君ったらひどいんですよ?」
「なんだ、やはり上手く連携が取れなかったのか?」
「違いますよう! 彼ってば、僕に親魔族派の符丁を渡してきたんですよう!」
「……そうか。それは流石に看過できんな」
ここまでは知っている。ナインが親人間派の者と接触し、彼らから与えられた符丁とボルトから与えられた符丁が全く一致していなかったのを確認していたのは分かっている。
問題はその後だ。
「つっても、もう責任は取れないでしょうけど。風の噂によると、彼の組織は全滅したそうで」
「は……はぁ!?」
「あら、ご存知ありませんでした?」
「今君から初めて聞いたよ! ……というか、何故自分が知っていると思ったんだ?」
「だって……」
「だって?」
「エヴァさん、僕のこと、ずっと見てたじゃないですか」
「何のことだ」
「……すいませんねエヴァさん。僕ね、やっぱり装飾品とか似合わないと思うんですよぅ」
「……一体君は、何の話をしている」
「ですからね? 折角エヴァさんから頂いた指輪なんですけれど、人にあげちゃいました」
「…………」
「幸福の王子ってご存知です? 旧世界のお話らしいんですが、子供の時に聞いてちょっと憧れてたんですよね、ああいうの。ふふふ」
そう言って、彼は手袋を外して自分の手を「ほら」とひらひら、見せ付けてきた。
無論、指輪はそこにはない。
「まあ、どうでもいい話です。こんなもんは」
「…………」
「エヴァさん、聞いて欲しくなさそうな顔してますから僕はなぁんにも聞きません。その代わり、ちょっとお願いがあるんですよ」
「……お願い?」
「ええ。多分そろそろだと思うんですよね……」
「何がだね」
「ショータイム」
……そう言って、ナインは指輪を通じて見ることの出来る光景を、自分にも見せてくれ、と告げた。
最早、これ以上言えることはない。
今回は完全にこの人間に上を行かれてしまったのだ。口を開けば開くだけ、恥の上塗りになるだろう。
見くびっていたのを、認める必要がある。十分な成果だ。
そして、尚更このサンプルが魅力的に見えてきたのは、自身の研究に対するモチベーションに良い影響を与えるだろう。
だから、今回は自分の敗北を認めようじゃないか。
「ああ、いいとも」
そう返事をして、現在指輪をはめている者の視界を小屋の中の壁に映す水晶玉を探す為、自分の部屋に荷物を取りに行く。
可愛いサンプルだ。多少己の手を噛んだ位で、君のことを捨てはしないさ。
いつか、いつか。
自分が君のことを、余すところなく観察してやろうじゃないか。
なあ、ナイン?
――――――――
「それじゃあ君が指輪を渡した獣人の種族と、性別。後は特徴があれば教えてくれ。そのくらいの情報がなければ、魔力痕跡を追うことは出来ないから」
「はあい」
そして彼の口にした条件に合う様、魔力による探知を行ったところ、条件に一致する者を見つけた。
「じゃあ、映すぞ……」
「わー」
ぱちぱちぱち、と。
ナインのわざとらしい拍手を受けて、指輪をつけている者が見ている景色を、壁をスクリーン代わりにして映し出した。
すると、視界がかなり揺れていることが分かる。
これは……。
「走っている、のか?」
「ええ、マラソン中です。ちょうどいいタイミングでしたねえ」
ね、ティア様、と。
ぼそりと呟いたかと思うと、視界の端で、急激に火柱が立ち上がったのが見えた。
今気付いたが、ここはスリザの外れにある森の入り口だろうか。
……と、必死で走っていた様子が見て取れる視界が、急に乱れる。
横倒れになって地面を映していることから、転んだのだろう。
そこに、じゃり、という砂を踏む音がし、それに反応した視界の持ち主が顔を上げる。
まず、その何者かの脚が映りこみ、胴体を経て、顔と赤く逆立った髪にまで至った時、思わずエヴァは息を飲んだ。
使徒だ。
それも、武闘派の最右翼と言ってもいい第四位。
何故コイツがここにいる……?
不確定な情報ではあれど、コイツは現在イスタに配属されていると聞いていたが……?
『……テメエがアレかぁ? アビスの野郎が言ってた人間モドキか』
「『モドキとはなんですかモドキとは。ぼかぁ立派な人間様ですぜ』」
音声を出力している水晶からと、自分の横から、同時に同じ声が聞こえた。
驚いて思わずそちらに目を向けると、画面から焦点をややぼやかしたナインが、ニヤニヤと笑っていた。
『るっせぇ。どんな奴かと楽しみにしてりゃあ、こんなモヤシだった俺の悲しみがテメエに分かるか、ああ?』
「『分かります、ええ分かりますとも。だからお見逃しくださいよう!』」
『……はん、くだらねえ。アイツの見込み違いかよ……ただの雑魚じゃねえか』
「『左様ですから、お願いですから、どうか命だけは……』」
『もういい、死んどけ……ったく、こんな野郎だと知ってりゃあ……くそ、無駄な時間とっちまった』
そうして。
ローグ・アグニスは、『白炎』……自身の二つ名と同じ名を冠する、絶対的な殺傷魔術を右腕に纏い、画面の向こう側の獣人に向かって振り下ろした。
「ぎゃー、ひぃー、うにゃー」
声を上げることすら許されず、一瞬にして焼滅した彼を見やりながら、断末魔……らしき声をあてているナインを見て声をかけた。
「……今のはなんだい? 遠隔操作の魔術の一種……か?」
いや、違う。
魔術ではない。それを分かっていながらも口にしてしまったのは、恥だ。
「違いますよう。僕はそんなもん使えませんしぃ」
「ならば、何だ」
答えろ。
魔力痕跡が一切見当たらない。
詠唱も、ナインからの魔力放出も、発動にあたってのタイムラグもなかった。
今のは何だ。
「『まほう』、ですよ」
「……魔法と魔術は、只の表現の違いだ。本質は変わらない」
「違いますって。『ま・ほ・う』。まあ、まだエヴァさんには使えないかも知れませんねぇ」
「……君を謀っていた分際でこんなことを頼むのは、筋違いだと分かっている。だが、どうか教えてくれないか?」
「無理ですってば。口で言って分かるもんじゃないんですもん」
……明文化できない知識に価値などない。
そして、価値のない物などこの世には早々ないのだ。
「……意地悪を言わないでくれたまえ。せめて、君がどの様にそれを扱っているのか、感覚だけでもいいから」
「んもう、しょうがないなあエヴァさんは。ほんとに欲しがり屋さんなんだから……いいですか?」
――これはね、愛なんですよ。僕の愛の形の、一つなんです。
……結局エヴァさんは最後まで納得してくれなかったけど、僕は嘘なんて一つもついてないのにね。
そうでしょう? ね、ティア様?




