出発の日
「あっ」
と言う間に、一週間が経過した。
リール・マールへの出発に当たり、昨日、エヴァさんから一言だけいただいた。
『まあ、君は自分にとって有益なサンプルだからね、むざむざ死なせるつもりはないさ』
……一応その言葉は、ありがたく受け取っておいたけど。
サンプルサンプルって、試供品じゃねえんだよ僕ぁ。
まあ、命には代えられないか。
サンプルに甘んじておきますよ、今はね。今は。
転移魔法陣とかいうファンタジックな装置が図書館の内部にあるとのことで、建物の入り口前に僕の知っている人たちが並んでいる。
まあ、皆が皆僕如きの為ではなく、エヴァさんがいるから、というのがメインだろうけど、それでも僕を気に掛けてくれる人もちゃんといる事を知っているし。
お見送り、ありがたく頂戴いたしやしょう。
ここには今、アロマさんも、エルちゃんも、ガロンさんも、クリスも、セルフィさんも、ピュリアさんもいる。
呼び順は五十音に倣っている。僕は女性に優劣を付けない男なのだ。
残念ながら子狐さんは、この場に姿を見せていない。
彼女は僕らと別行動するとの事であるし、出発日も違うが、まあ忙しいようだから仕方あるまい。
「じゃあ行って来るよ。まあ、そんなに大したことにはなるまい」
「……エヴァ、その山猿をきっちり躾けて来いよ」
「自分はそういった事は苦手だ。君ら姉妹がいい例だよ」
んむぅ、とクリスは不満げな唸り声を上げた。
そんな彼女を見て、クリスの魔法の師匠であるらしいエヴァは、やや相好を崩した。
そんなちょっとばかし微笑ましいやり取りの横にいながら、僕は微妙に居心地が悪かった。
アロマさんとエルちゃんが、やや胡乱げな視線をこちらに向けている。
何故かと問うのは愚かに過ぎる。
ガロンさんの所為だ。僕は悪くない。
僕は基本的に彼女らを皆愛しているが、僕の責任に因らないものまで背負い込むことが出来るほど甲斐性のある人間ではない自覚がある。
くどくなったが、つまり現状を説明すると。
ガロンさんが、僕の傍に立っている、という一言で済む。
ちなみに、ピュリアさんは、一人暢気にボーっと空を見上げていた。
――他のみんなが見送りに来る前から、ガロンさんは図書館前で待っていた。
むしろ、僕とエヴァさんより早くこの場所に来ていた。
『流石にちょっと気合入れすぎじゃない? そんな無理しなくていいのよ?』とそこはかとなく伝えたのだが、彼女は聞く耳持たず、僕にその手に持っていた荷物を放り投げてきた。
「なんですかこれ」
「着替えだよ。前に言っただろうが、もうちっとマシな服着ろってよ」
確かに聞いたけど。
中を覗いてみると、コレ全部見覚えがあるんですが。
貴女が着てた服ばっかりじゃないですかーやだー……いや、うん、やぶさかではない。
まあ、さすがに僕が履くには厳しすぎるショートパンツみたいなのは入ってないけど。そもそもこれからは冬の季節、ますます寒くなっていくわけだし。
一通り目を通してみたが、僕が着ても不自然じゃないラインナップだ。
……ありがとうね、子犬さん。
君、忠犬だなあもう。
でも、洗濯はしてるんだろうね? マーキング済みじゃないよね?
「これから余計に寒くなんだからよ、風邪なんか引くんじゃねえぞ」
「はあい」
「それと、川の水なんか飲むなよ。お前みたいな弱っちいの、すぐ腹壊すからな」
「はあい」
「ちょいと小遣い入れといたけどよ、無駄遣いなんかすんなよ。オレが言えた義理じゃねえけど、賭け事は禁止だからな。後で何に使ったか、ちゃんと言える様にしとけな」
「はあい」
「……ほら、お前、襟んとこよれてんじゃねえか! みっともねえな、ちっとこっち来い」
「はあい……」
「これで良し、と……おい、お前ちゃんと顔洗ったのかよ、目ヤニついてんぞ?」
「くすぐったあ、舐めないで……って、ちょい待ってガロンさん」
「おい、母さんって呼べよ……ああ、なんだ。エヴァがいるか」
「……自分のことは気にしないでくれて良いよ。そうとも、君らがどの様な性癖を持っていようが、それは自分に関わりの無い事だから」
白い目でこちらをチラ見するエヴァさんに、慌てて口を開く。
「誤解ですぜエヴァさん。僕は潔白で……」
「おう、分かってんじゃねえか。だったらむこう向いてろよエヴァ」
「ガロンたん何言ってんの!?」
ホント何言ってんの。
「……なあ、お嬢達が来るまでまだ時間あんだろ? ちょっと便所行こうぜ」
「これ以上ややこしくしないで! エヴァさん、僕まだ清い体ですからね、勘違いしないでくださいよ!」
「……何言ってやがる、あんだけ人の胸ぇ弄繰りまわ……」
「わー! わー!」
駄目だこの子犬さん、色ボケしてる!
誰か早く来て!
「……仲の良い事だ」
そんな僕らを尻目に、エヴァさんは溜息一つ吐いて、呆れた目でこちらを見やるのみだ。
さも、くだらない、とでも言いたげに。
……ふむん。
安心してくださいなエヴァさん? 貴女にも、誰かを愛することの素晴らしさ、ちゃあんと教えてあげますからね?
楽しみに、待っていてくださいね?
逃れられはしませんよ。だって、逃がしませんから。
僕が、絶対に、貴女の心を捕まえますからね。
こわがらなくても良いよ? だいじょうぶだよ?
なにも、いたいことも、 しいことも、なにもかもなくなって、のみこんで、しあわせ。
しあわせになるよ。ティア様と一緒に。
しあわせに、してあげるから、まっててね。えへへへへ。
「えヴぁさん」
「……なんだい?」
「がんばりまシょうね?」
「……? ああ。まあ、今回に限れば自分はむしろ君の方が大変だと思うが」
エヴァサン、ちがうよ。勘違いしてるみたいだね?
きみが、キみになるために。
キミののぞむものをてにイれるために。
僕が、君の支えになるからね。
欲しがり屋さんのエヴァ・カルマ。
このお仕事の中で、貴女の事、もっと知れたらいい。そう、思うよ。
「おい、こっち見ろよナイン。エヴァの奴なんかどうでもいいだろうが」
あばぁ、折角現実逃避してたのに。
嫉妬かよ可愛いな! 後にしろよ可愛いな!
もう、ガロンさんってば、もう!
なんか、世話焼かれるのが嬉しかったからついなすがままになっちゃってるけど。
折角直してもらった襟首を掴まれて、恐らくは先ほど言っていたおトイレにアブダクションされそうになった頃、ようやく魔王様達が姿を表してくれた。
正直、助かった。同様に正直な話、残念でもあるが。
クリスの後ろについて来ていたアロマさん、エルちゃん、ピュリアさん達は、彼女らの姿を見つけた瞬間に絡みついてきたガロンさんと、力の差からなすがままにせざるを得ない僕の様子を見て、三者三様の対応を見せた。
アロマさんは、軽く眉をひそめるに留まった。
エルちゃんは、その表情が変わる瞬間を見るのが恐ろしくて目を逸らしてしまったのではっきりとは言えない。ただ、不可視の圧力が如き物は未だに僕の体を苛んでいる。
そして、自惚れが過ぎるかもしれないが、あえてこの表現を使う。意外にも、ピュリアさんはどこ吹く風で翼を口で啄ばみ、毛繕いをしていた。
クリスはクリスでさっさとエヴァさんと話し始めてしまうし、セルフィさんはそれをニコニコして見ている。
……居た堪れない。
「ねえ、ガロンさん。みんなもう来てますし、恥ずかしいからそろそろ……」
「恥ずかしいこたぁなんもねえよ。見せ付けてやりゃいいじゃねえか、やましい事なんかねえし」
「だってほら、魔王様だって、ほらなんか、変な目で見てますよ」
チラッ、チラッって感じで。エヴァさんとの会話を続けながら、なんか、いかにも不審そうに。
だけどほら、気を遣ってくださってる。気になってるけど聞き辛そうな感じですよ。
「お嬢がねえ……ま、しかたねえか」
「そうそう、クリステラ様が見てらっしゃいます」
「こぉら、お嬢の名を気安く口にすんな」
「へーい」
んもう、面倒くさ可愛い人だ。
何気に後ろからこっちの両肩に腕を回して僕を確保していたガロンさんだが、やっと解放してくれた。
背中を向けた際に尻尾でこっちのお尻を撫で付けてきたのはご愛嬌。もふり。
彼女とのじゃれ合いで少々精神的に磨り減ったところがあるが、それ以上の喜びがあるのでまあ問題なしだ。
とりあえず、子羊さんと子魔女ちゃんと小鳥さんの所にとことこ向かう。
きちんと挨拶はしておこう、折角来てくれたんだし。
本来なら魔王様に最初にするべきなんだろうけど、今はエヴァさんと交代したガロンさんがお話してるし。
「やあやあどーもどーも、態々ご足労いただきまして」
「……ガロンさんと個人的な関係を持たれるのは、あまり褒められた事ではありませんのですけど」
アロマさんの先制攻撃! 僕は言葉に詰まった!
「え、エルちゃんもありがとうございますね。僕らの為に……」
「……そうね、ナインちゃんの為でもあったんだけど……余計なお世話だったのかしら」
「そんなことは」
「ガロンと仲良しみたいだし、お邪魔だったのかも……ねぇ……」
エルちゃんは上目遣いで恨めしげに睨み付けてきた! 僕は痺れて動けない!
「ぴゅぴゅピュリアさん! アリスさんのこともそうですが、本当にお世話になって!」
「…………」
ちらり、と。
ピュリアさんはこちらを見て、直ぐに視線を逸らした。
――何気に結構傷ついた。
見捨てられちゃった?
僕、ピュリアさんに見捨てられちゃったの?
ほんとに?
冗談だろ?
やだよ、ピュリアさん。
僕のこと捨てないでよ。
こっち見ろよ。
「ピュリアさ……」
「ナイン」
思わず再度呼びかけようとしたら、それを遮るようにピュリアさんがようやくこっちを向いて声をかけてきた。
「ちょっと耳貸しぃな」
「は、はいな」
ねえ、また悪戯してもいいから、捨てないで。
「アンタの気持ち、分かっとるから。そんな目で見んとき。我慢できんようになる」
「…………」
「……ウチの気持ちにも、変わりないけど。ちょっと言うとくわ」
「……なんですか?」
「アンタの思い通りにはさせん。そう、アンタの中の誰かに言うとき」
「……なんのことです」
「アリスのことは曲がりなりにも友達や思うとる。あの子を巻き込んだのはウチやけど、これ以上傷つけたくないし、傷つけたら許さんで」
「なに言ってるんです、ピュリアさん」
「……だけどウチは、ウチの意思でアンタに着いてく。もちろん、魔王様にもやけど。ウチが言いたいのは、それだけ」
「……? 良く分かりませんけど、ありがとう……でいいんですかね?」
「うん」
ピュリアさんは僅かに、いつものケラケラ笑っているイメージと異なり、どこか真剣な顔で頷いた。
そのまま軽やかにこちらとの距離を詰めると、軽く耳たぶを啄んできて、そのまま振り向いて飛んで行ってしまった。
飛び去る間際の彼女の顔は、妙に晴れやかに見えた。
「浮気者! 恥知らず!」
「エルちゃん、落ち着いて。ほら、お部屋戻りましょうねー」
「ナインちゃんのばかー!」
……真っ先にフォローを入れるべきアロマさんとエルちゃんの声が遠ざかっていくのを聞きながら、僕はさっきのピュリアさんの言葉について考えていた。
――考えるな――!
……。
さっきのピュリアさんの態度について、考えていた。
――考えるなと、そう言っているでしょう――!?
……まあ、いいや。
ピュリアさんが、僕を捨てないでくれるなら、いいや。
気を取り直して、僕はこれからの仕事について思いを馳せた。
リール・マールか。どんな所なんだろうねー?
「ねぇエヴァさん、そろそろ出発したほうが良くないですかー?」
「そうだな。それでは陛下、ガロン。留守を頼むよ」
「ああ。エヴァ、そっちは頼んだぞ」
「おう、オレに任せとけ。つっても、お前はこっちと行ったり来たりだろ」
「久しぶりの外出だからな。用心に越したことはない。それに、自分がいなくては魔道研究は進まないからな」
「へーへー、自信過剰なこって」
「それにしても、アロマたちは一体何しに来たんだかね。すぐ帰ってしまって」
それは僕も思った。エヴァさんに挨拶もしないで帰っちゃったよ。
「申し訳ないです、僕がエルちゃんを怒らせちゃったみたいで」
「いや、まあいいさ。それでは行こうか」
そう言って、エヴァさんが僕を図書館の中へ促すと、我が魔王様が声を掛けてきた。
「ああ、ちょっと待て。山猿」
「なんでしょか?」
クリスは軽く息を吸うと、一息に告げてきた。
「……いいか。もし生きて帰ってきたら、八点ポイントをくれてやる。さすれば貴様のプラスは合計で十点だ。なにか一つ、望みを考えておけ。貴様如きの求めるものなら、おおよそ叶えてやるさ。身の丈に合わん物を口にすれば、無論鞭をくれてやる……今度余が欲しいなどと口にしたら、貴様の首は泣き別れることになるぞ。分かっているだろうな」
そう言いきると、僕の返事も聞かずに、ガロンさんにももう戻るよう告げてずかずかと城の方に戻って行った。
立派な肺活量ですね。お羨ましい。
で、結局なんだったんだろね。
クリスの後に続いていったガロンさんは、片方の手をポケットに突っ込みつつ、去り際に軽く振りむいて手を振ってくれた。
……なんか慌ただしかったけど、まあ挨拶も済んだし。
じゃあ行こうか、と思って先に行ったエヴァさんを追おうとすると、軽く袖が引かれた。
誰だ、と振り向くと、今の今まで存在感が完全に薄れていたセルフィさんだ。
何か言い忘れでもあったのかな。この人、忙しいらしいからこんな所でぼーっとしてる暇はないと思うんだけど……。
「どうしました、セルフィさん?」
そう問うと、彼女は、その吸血鬼には似つかわしくない温かな笑みを崩さずに口を開いた。
「……本当は、……なたは、……………と思っている筈。違う……?」
「はい?」
「………が………いい。その代わり……」
珍しく、彼女がはっきり喋ってくれているのに。
タイミング悪くびゅう、と強い風が吹いて、いまいち聞き取れなかった。
――これ以上、この子に余計なことを言うんじゃない――!
……いっけない、ティア様が珍しく本気で怒ってる。
早くここから離れないと。
「セルフィさん、すいません。ちょっと時間が押してるようなので……」
「…………」
セルフィさんの行ってらっしゃい、との手振りを受けて、僕は頭を下げながら図書館の扉を開け、エヴァさんの後を追いかけた。
――どいつもこいつも、調子に乗って――
――貴女達では、私を止めることなど出来はしないというのに――
――いやな餓鬼ども。本当に、腹立たしい――!
――――――――――
――ナインとエヴァが図書館の中に消える前、クリスはガロンに自分の中の疑問をぶつけた。
先だってから気になっていたことだが、今日の態度を見かねて、流石に黙っていられなかった。
「なあガロンよ、お前、まさかとは思うがアイツに惚れていたりはしていないだろうな」
それこそまさか、といった内容ではある。
しかし、先ほどのガロンの応対は、人間どころか、部下に向けるものとしても明らかに常軌を逸している。
人狼が人間如きに懸想するなど、ありえない。
あってはならない。
それは誇り高きヴァーミリオンの名を貶めるものだ、という意味もこめて、クリステラは人狼少女に強い視線を向けた。
「……何を言うんですか、お嬢」
ガロンは、さも心外だ、と言いたげに腕を組んでこっちを真っ直ぐ見た。
「オレは、アンタに着いていくって決めてるんです」
「…………」
「アイツがどうも頼りねえから、面倒を見てやってるんですよ」
「……それだけか」
「ええ、もちろんです」
目を逸らさずにこちらを見るガロン。
彼女の視線の強さに、こちらも引き下がらざるを得ない。
いつまでも疑わしい目を向けるのは、これまでディアボロに貢献してきたヴァーミリオン家を蔑ろにすることと等しく、何よりこの会話を続けること自体、精神的な負担が大きい。
この場は、これで納めておこう。釘は刺したのだから。
クリスは、自分の内に生まれた僅かな不信を振り払うためにも、かの人間に声を掛けると言う名分でガロンの視線から逃れた。
……信用したい。信じたいのだけれど、目で人を騙すのは、そんなに難しいことじゃない。
自分を騙すのが上手な奴は、他人も騙せるから。
言葉でも、目でも、雰囲気でも。
とは言え、ガロンがその様な性質ではないことも知っている。
知っているはずなのに、それでも、と思ってしまう自分もいた。
自分には、もう、分からなくなってきた。
ついこの間まで、私は信頼を寄せられる者に囲まれていた筈なのだ。
皆、余の忠実な部下であったはずなのだ。
名までは知らぬ者もいたが、城内の者についてはみな見覚えがある。
彼ら、彼女らは自分に尊敬を向け、盛り立ててくれる頼もしい者達である筈、なのに。
……アロマが嘘をついたから。
こんな自分にも分かるような、嘘をついたから。
余は……あたしは、自分が信じるべき者達を、疑い始めてしまっている。
……アロマ・サジェスタ。
このディアボロの宰相であり、口に出したことはないが姉のようにも思っている、大事な友達。
なあアロマ、なんで、もっと上手く余を騙してくれなかった…………?
――――――――
「もう、ナインちゃんってば本当に駄目ね! 駄目な子よ!」
城内の廊下にて。
アロマに両脇を抱えられたまま、エレクトラ・ヴィラ・デトラは未だにぷんむくれていた。
態々見送りに行ってやった自分の玩具が、人狼などにデレデレしていたのが原因である。
何さ、あんな男女にヘラヘラしちゃって。
あんな、あんな……ちょっとお胸がおっきいからってもう! ほんと、もう!
私だってその内おっきくなるし!
なるもん!
お姉様よりはなるもん!
お姉様みたいに、詰め物に頼る必要なんてきっとないもん!
……ないよね?
「ほらほら、エルちゃん。あんまり怒っちゃうと皺が出来ちゃうわよ?」
「アロマみたいに?」
「ぶっ殺しますわよ?」
「ごめんなさい……」
エレクトラは己の力の強大さを熟知しているが、それでも喧嘩を売るべきではない相手の判断はつく。
にこやかに殺害予告をしてきたアロマには、勝てる気がしなかった。
「……でも、アロマだってちょっと嫉妬してた」
「……これは、戯言を。何を仰るんですか」
そう言って、アロマはやや不快気に目を瞑り、口元をレースの付いた手袋で押さえた。
「冗談でも、その様なことは言われないでいただきたいわ。王妹たる貴女様に申し上げるのは憚られますが、私、これでもそこそこの家柄ですの」
下等な人間如きに、そのような感情を向けるなどあり得るはずがないでしょう、とアロマは続けた。
「ふう、ん」
「あら、何か?」
「べっつにぃ? なんでもないよー?」
もう頭も冷えたし、ここまででいいよ、とアロマに降ろしてもらう。
一歩、二歩、三歩、と己の部屋の方向に歩いたところで、その場に留まっていたアロマに振り向く。
「ねえ、アロマ」
「はい、どうされました?」
「あのさ、お姉様も、ガロンも。最近はアロマも、ちょっと変わったよね」
「……ええと、お話の意図が……?」
「いつからかは分かってる。ナインちゃんが来てから、貴女達、少しずつ変わってきてる」
「……まあ、ガロンさんは確かに、少しあの男に入れ込みすぎている気はしますけれど」
「どこが変わったかって言うと、ちょっと一言では言い辛いけど……どう言ったらいいのかな」
うーん、とエレクトラは、しばし人差し指をこめかみに当て、考え込んだ。
熟考の後。合点がいったとでも言うように、ぽん、と右の拳を左の手の平に打つ。
「分かったわ、ええと……怒らないで聞いてね」
「特に怒る理由はないと思いますけれど……?」
「貴女達みんなね、ズルイ目をするようになったわ。どうやってお互いを出し抜こうか、考えてる感じ」
お姉様はちょっと違うかもしれないけど。でも、そんなに外れてる訳でもないかな。
そんなことを思いながら、エレクトラは返事を求めず、踵を返した。
――去り行く少女のお尻から生えた、左右に揺れる尻尾を見つめながら。
アロマは、己の両拳から血が出ていることに気がついた。
右、左、とゆっくり強張る指を引き剥がし、手袋と皮膚を突き破って滴る鉄の味がするそれを、舌で舐め取る。
その表情は、仮面のそれに似ていた。




