得たものと失っていくもの
一礼してアロマさんの執務室を出たが、頭をかきながらついぼやいてしまう。
「苛めすぎちゃったかなあ」
でもしょうがないよね。アロマさんが、許さない、なんて言うもんだから。
ついフィーバーしちゃったよ。
許さないのはこっちの方だっての。
許さないってぇの。
絶対に許さないよ。
なーにが『人間如き』だよう。
魔族の分際で、僕の人生滅茶苦茶にしてくれちゃってさあ。
アロマさんの都合なんか知ったこっちゃ無いっての全く。
覚えてやがれっての。
精々愛し尽くしてドロドロのグチョグチョになるまでぺろぺろしてやるからね。
すっげえ楽しみ。
アロマさん美人だし、僕の事散々小馬鹿にした目で見てくれてたからさ、もうイヤって程に愛してあげるからね。
……あー、でも娘、娘かあ。欲しいなあ。
アロマさんみたいに良く出来た娘だったら是非欲しいよなあ。
アイツ、可愛いもんな。
ずーっと気になってたんだよなあ、罪悪感に塗れた面して、クリスを見るあの目が。
贖罪のつもりか、それとも自己愛の変異か。
まあ、どっちでもいいさ。
彼女がずっと心の奥に溜め込んでたモノ、あれはもう、彼女だけのものじゃあない。
僕のモノさ。
貴女の生涯の中で一番を占めていたモノは、もう僕のモノだ。
なんでも相談してくれていいんだよ、アロマさん。
クリスにも言えないことだって、ね。うふふ、ふふくふふうふふ。
……だって、僕が君のお父さんなんだから。
もう、貴女は僕から逃げられないよ?
娘を想わない父親なんて、もう貴女の世界にはいないんだよ?
彼岸にも、此岸にもさ。
代わりに僕が、君の事を大事に大事にしてあげるからね?
もう泣かないでもいいのよ? うひひ、くひひひひ。
――先走っちゃだめよ、ナイン。順番があるでしょ。貴方が自分で言ったことでしょうに――
でも、早く欲しいよおティア様。あの子、超欲しい。
可愛いんだもの。
普段キリッとしててドヤ顔してる癖に甘えたでさあ、あんな可愛い子が、僕の娘になってくれるって言うんだよ。
僕もう我慢でっきない!
先代の魔王とやらもお馬鹿さんだよねえ、あんな可愛い女の子、捨てちゃうなんて。
僕なら絶対しないな。
――だめよ、だあめ。我慢なさい――
んもう、ティア様の意地悪。
ティア様のバカ、もうしらない!
……ちぇ、まあいいさ、そうだね、順番があるよね。
次こそは、ガロンさんって決めていたし、ね。
でもなあ。
今の時点でも結構なんか、その、ほらアレだ。
重いよね。ガロンさん愛が重い。
素敵な事ではあるんだけれど、なんかほら。怖いし。
契約交わしちゃったらもうどんだけ凄い事になっちゃうのかなっていうね?
ふ、ひひひ、楽しみ、楽しみ。
――ちょっと、危ないかしら。ちゃんと見ておかないと――
? 何の話ですか?
――……こっちの話。気にしないで――
――そんなこんなで、可愛い可愛いアロマさんに唾をつけてしまったその次の日。
また愛しの魔王様から呼び出しがあったとさ。
伝えにきてくれたピュリアさんは寝不足気味なのか、しょっちゅうあくびをしていたけれど、それもまた可愛らしかった。
くああ、なんて隠しもせずに大口を開けるもんだから、はしたないと嗜めるべきか、普段見れない彼女の粘膜の内側をじっくり覗くべきか。
僕の娘になってくれるアロマさんでなし、躾をするのは僕の仕事ではないわけで、つまり僕が選択するのは後者に決まっているわけで。
エロいなあ。世の中にはまだまだいろんなエロさが転がっているんだなあ。
唾が歯と歯の間でじんわり糸引いてるし。指突っ込みたい。そんで舌を押さえつけて、涙目になるピュリアさんはこの上なく可愛いだろうなあ。
それにつけても、ノーパンのこの人はもうちょっと恥じらいがあっても良いと思うけど、飾らないところも彼女の魅力だし、指摘するのも野暮と言うか、もったいないと言うか、ね。
まあ、貴女がどんなになっても、僕が愛する気持ちは微塵も揺らぎませんよ?
「……? 何じろじろ見よるん?」
「いや、世界は広いなって」
「相変わらずアンタはよう分からんな」
大丈夫ですよ、貴女が考えている以上に僕は低俗な事しか考えていませんから。
「そういや、昨日は大丈夫だったん? アロマ様に呼び出し食らってたみたいやけど」
「ええ、大丈夫ですよ。ピュリアさんのおかげでね」
「……ウチ、なんかしたっけ?」
「ああ、覚えてなければ良いんですよ、別に。ただ、僕が感謝したいだけですから」
「ふうん……まあええけど」
あっぶね。
記憶調整の範囲がまだ掴みにくいな。
ピュリアさん、昨日の事はすっかり忘れちゃってるみたいだわ。
まあ、お尻を撫で回したことを覚えてたら、蹴りの一発や二発じゃすまないんだろうけどさ。
「ほら、魔王様は今この部屋に居るで。最初に説明したと思うけど、サロンに使っとる部屋ね」
「はいな、ご案内どうも」
懐かしいなあ、まだ半年も経ってないのに、久しぶりって感覚がする。
彼女に城の中を案内してもらった時には、こんな関係になるなんて彼女は思っても見なかっただろうね。
僕は最初から目星をつけてたけど。この娘、可愛いし。
アグスタに来たばっかりのときは、ピュリアさんも僕の事を餌としか思ってないような顔つきだったな、そういえば。
というか、唾吐きかけられたし。二回も。
思い出すとちょっと腹立つな。
仕返ししとこっか。
この間のペチンペチンだけではまだ足りない。
つまり、彼女と戯れる言い訳として今後もこの仕返しと言う名分には大活躍してもらおうということだ。
とにかくピュリアさんで遊べれば僕は何でもいいのである。
とはいえしかし、最近ピュリアさん、愛想のいい時は超可愛いけど、妙に怖くなる時があるし。ここらで上下関係をはっきりさせておくのは悪い選択ではあるまいさ。
僕が上、君が下だ!
たとえ、僕が君の鉤爪の一振りで死ぬ脆弱な生き物であってもね!
「ピュリアさん」
「ふぁーあぁ、んん、らぁに…………!?」
あくびをした隙に、彼女の口の中に人差し指を突っ込んでみた。
先ほどの妄想を直ぐに行動に移す事のできる、そんな自分が大好きです。
初対面の頃の僕がこんな事をしたら『サクッ』とやられてしまってゲームオーバーだろうけど、今の彼女だったらどうだろうか。
やっぱり駄目かな。殺されちゃうかしらん。んふひひひ。
「……らにしとるん」
「男は、目の前に穴があったら入れたがる生き物なんです。ご存知有りませんでした?」
「……ほれふぁひいわへになるとほもっとる?」
「言い訳なんかじゃ有りませんよ。ピュリアさんだからやったんです」
ピュリアさんの穴に興味津々なんです。しのびねえな。
「あほぅ……」
そう言って、彼女は口をすぼめて、爪先をその柔らかく、暖かい舌で一舐めした。
彼女の体温は、粘膜という言わば体の内側であるからか、ひどく熱く感じた。
指の右側、指紋、第一関節、爪、爪の間、くるり、とまわって、また逆回転。
ちゅぱ、と音を立てて引き抜かれたときには、僕の指はべとべとになってしまっていた。
僕はといえば、サービスと言うか、ご奉仕と言うか、ここまで熱心に舐めまわしてくるとは思ってもみなかったもんで、思わず彼女の言うとおり阿呆のように立ち尽くすのみだった。
「んふ、言うたやろ、ウチはアンタのもんやって。こんくらいなら、な……どう、ウチの舌。気持ちよかった?」
「……はひ」
「そう、良かったわ」
そう言って、彼女は艶然と目を細めて、こちらを見やって。
また、あの猛禽の目つきで僕を睨めつけた。
「せやったら、ほら。その指をアンタはどないするん?」
「え」
「ウチが舐めてあげた指を、アンタはどう扱うの?」
「えええ」
「……口にせんと分からんほど、アンタが出来の悪い奴やったら……こら教育かなあ」
躊躇せず、僕はピュリアさんの唾液に塗れた指を、赤ん坊のようにチュパチュパ。
阿呆のようにチュパチュパチュッパチャップス。
これでよろしいでしょうか、とビクビクしながら彼女を上目遣いで見ると……うわあ、凄い満足げな表情。
お気に召したようで幸いですぅ……。
「んっふふ、そうなあ、そうやろなあ。アンタかて、ウチのもんなんやさかいな」
へへ、と軽く笑い、彼女はいつもどおりの雰囲気を取り戻して、
「案内おしまい。また今度な」
と、軽やかに去っていった。超怖かった。
やっぱり僕が下だったね。というか、女の人には勝てないや。
所詮は、僕だっていうことかね。
切ねえ。
しのびないよ、ティア様ぁ。
――構わないわ、ナイン。そんな貴方も大好きよ――
ティア様の優しさが身にしみた。
まあ、僕が上手に出れるのはティア様だけだしね。
――そんな、余計な事を言う貴方は嫌いよ――!
あー、ティア様マジ天使。
ティア様は天使なんか大っ嫌いだろうけどさ。
でも、なんだろ。ピュリアさんの唾だからかね。
ちょっと甘い。
――――――――――
――はてさて、ピュリアさんは愛しの陛下がお呼びだといっていたけれど、今度は一体何の用じゃろな。
ピュリアさんに預かってもらっていた陛下の私物(というか、巻き上げた賭けの景品)はもう全部返しちゃったし。
いつもどおり椅子になれって奴かしら。
それとも本当はあっちがお目当てかな、おみ足ペロペロタイム。あの娘の脚を舐めたくるお仕事はなんか段々慣れてきたと言いますか、若い娘さんに粗末に扱われるのはなんか逆に興奮するといいますか。
アロマさんが二度とやっちゃ駄目ー、とか言ってたらしいけど、陛下だって結構気に入ってたみたいで、こっそりペロペロタイムは彼女に呼びつけられる度に設けられていた訳だけど(つまり、彼女に会うたびに僕は十点以上減点されていたわけである。まことに遺憾である)、態々サロンに呼び出すって事は、いつもと話の毛色が違うのかねえ。
まあいいさ。どうせ、彼女にペコペコするのは業務内容のうちだし。
どんな面倒ごとを持ってきたのかにゃー。
僕如きに出来る事なんて大したこっちゃなかろうに。
「来たか、山猿。遅いぞ、余を待たせるなどと」
「クリス、無茶を言うものではないよ」
「そうですわ、陛下。まだ十分と経っていませんわ」
なんて、暢気に考えていると、可愛い娘候補……いや、アロマさんは別に居ても全然いいのだけれどもう一人、僕の天敵が魔王様と並んでいた。
エヴァ・カルマ。
中央図書館の館長をしている年増である。アリスさんの話に寄ればまた別の怪しげな肩書きも持っているらしいがそんな事はどうでもよくて、とにかく、ちょっと想像がつかないレベルの年増である。
いや、見た目はガロンさんと同年代かちょっと下に見えるから、白衣じゃなくてワンピースでも着れば元気な女の子、という風情になるのかもしれんが僕の目は誤魔化せんぞ。
彼女がぎりぎりロリババアと呼ばれる存在だと言うのはこの目でまるっとお見通しである。
十年や二十年で、あの妖艶な流し目は体得できないはずである。
エルフは長生きだというし、下手すりゃ百年単位で生きてんじゃないのこの人。
「何か今、自分に対して失礼な事を考えなかったかね、ナイン君」
「いやいやまさかそんなハハハ」
おーこわ。
年増に大して直接年増って言うつもりは無いけど、思うのも駄目なんかいね。駄目なんだろうね。
なんて思ってると、ナチュラルショートボブの髪をかき上げて、こちらを更に一睨み。
おしっこちびっちゃいそう。
しかし、彼女もまあエルフとは言え、ここにいる以上魔族の一種であろうさ。
僕が愛すべき対象なのだ。
差別なんかしないよ、ちゃんと愛してあげるって。
でもちょっと心の準備も必要なの。
……彼女、人をサンプル扱いしようとしていたのはマジ勘弁なのだが、まあ終わった事であるからとりあえず良しとして、今の今まで遭遇を避けていた彼女とこう、面と向かい合うのは中々緊張してしまう。
――ダークエルフ、というより、エルフ種全体の話を改めて少しばかりしておくと、「人間の友好種」、と言う表現が一番簡易ではあるが、正確ではない。
長命であり、その相貌・外観は(人間と言う種から見て、ではあるが)美形が多く、耳が長いという特徴を持つ人間の類似種族であるが、亜人として蔑視されている獣人とは人間との交流・文化と言った面で決定的に差異がある。
獣人はイスタの一部地域を除いて差別的扱いを受けているのに対し、エルフ種はむしろ尊敬を集めている……あるいは、一種の宗教的崇拝すらあるのかもしれない。
サリア教の聖典の中に、伝道者サリアを導いた賢者の中に耳の長い老人がいた、との記載があったため、よほどの原理主義者(というよりは、人間至上主義者)でなければ彼らを排斥しない文化的土壌が世界的に根強い事が知られているが、少数民族であるため、実際に見た事のある人間の方がよほど少ないのではなかろうか。
そしてもう一点、敢えて強調する事ではないかもしれないが、人間との友好があるといってもあくまで異種族としては、という前提の上であるため、魔族の人間への攻撃に対する抑止的活動は殆ど行っていないことと、生来の強い魔力に対する警戒から、魔族からの攻撃対象からは外れている……らしい。
他、もう少しエルフの生態に関して特徴を挙げるなら、「森の民」とも呼ばれる彼らの自然志向と言うべき生活様式が特に知られている。
何せ物知らずの僕でも知っている。
国家を問わず、木々の並び立つ森の奥深くではいくつも彼らの集落があるといわれているが、特にリール・マールに存在する集落は親人間派の獣人と人間との橋渡しの役割を果たしており、また、獣人にとっても彼らがある種の尊敬対象であることが、これらの種族が良くも悪くも危うい均衡を保ち続けている原因であるといえる。
そして、そんな彼らの異端児がダークエルフだ。
森での生活を拒否し、エルフからも、獣人からも、人間からも蔑視される存在に落ちた者がそう呼ばれる。
森からの恩恵を拒絶する事により、その肌は穢れた褐色に染まり、その魂は堕落の一途を辿り、いずれはエルフの信ずる神……あるいは精霊なのだろうか、あまり詳しくないからなんともいえないけれど、とにかくなんか偉い存在に死後罰されるのを待つのみと言うあんまり穏やかじゃない存在として扱われるらしい。あやふやな言い方なのは、僕自身伝聞でしかないから勘弁していただきたい。
でも分かってないよなあ、いいじゃんね褐色っ娘。
ノスタルジックでエキゾチックで。
ナイル村のアイドルだったティナさん(享年十八)なんか、夏場の袖の日焼け跡がすっごいセクシーって村で評判だったのに。
お風呂覗いたときに思わず「お美事」って呟いちゃって、桶を投げつけられたのは良い思い出だよ。
ご馳走様でした。
閑話休題。
とにかくそんなキナ臭い存在のダークエルフは、基本的には隠れ里みたいなのを作ってこっそり暮らしているらしいけど、なんで態々アグスタに……しかも新進気鋭、かつ最大勢力の幹部っぽい立ち位置にそんなのがいるんだかね。
こんなレアな存在を堂々と見る事ができるのはディアボロだけ!
……で、そのもの珍しい存在でありながらディアボロの幹部たるエヴァさんが態々出張るお話って何さ。
どんどん聞く気が失せてきた。
思いの外面倒そうな事態かも。
やあね。
されども拒否権発動でターンエンドすると、僕は死んじゃうしぃ。
超 しいね。被雇用者の辛いところですね。
「……ふん、まあいい」
そう言って、魔王様はふん、と鼻息一つ。
そんな、下手したら下品にも取られかねない仕草すら美しく見える彼女の口から、やっぱりあんまりうれしくない言葉が飛び出した。
「貴様はこれから、リール・マールに行ってこい。エヴァと共にな」
ほーらやっぱり。面倒ごとだよこれ絶対。
――そして時間は進み。
僕は現在、使徒と呼ばれる者を目にしてプルプル震えているわけなのであった、まる。
アビスさんと違ってチンピラ臭まるだしの僕の嫌いなタイプである。
まあ、アビスさんみたいなのも嫌いだけどね。
まあ、ともあれ。
へるぷみー、えにばーでぃ!
「……テメエがアレかぁ? アビスの野郎が言ってた人間モドキか」
「モドキとはなんですかモドキとは。ぼかぁ立派な人間様ですぜ」
「るっせぇ。どんな奴かと楽しみにしてりゃあ、こんなモヤシだった俺の悲しみがテメエに分かるか、ああ?」
「分かります、ええ分かりますとも。だからお見逃しくださいよう!」
「……はん、くだらねえ。アイツの見込み違いかよ……ただの雑魚じゃねえか」
「左様ですから、お願いですから、どうか命だけは……」
「もういい、死んどけ……ったく、こんな野郎だと知ってりゃあ……くそ、無駄な時間とっちまった」
そして、ローグと名乗った目の前の男は、赤熱を超え、青い炎すら通り越した想像の埒外にある温度に至っているであろう、直視すら出来ないほどの高温を纏った右腕を振り上げて……。
当たれば死を免れないそれを、こちらに向かって振り下ろした。




