勇者
――ビス、おい、アビス! 何ボケッとしてやがる!
「す、すまないローグ。ぼうっとしていました」
「なんだおい、堅物のてめえにしちゃ珍しいじゃねえか」
今現在、使徒であるアビス・へレンは、目の前の仲間……使徒の一人であるローグ・アグニスに、仕事の引継ぎを行っているところだった。
半年毎の、ここティアマリアの防衛の交代の時期がやってきたからだ。
「しかしまあ、派手にやられやがったな……偶然とは考え辛いだろ、こりゃ」
「ああ、ボクもそう思う。これは魔族側の計画的な行動ではないだろうか、と」
「あいつらがねえ……あの脳筋どもにそんなオツムがありゃあ、俺達ゃとっくに皆殺しにされてるような気がするが。まあ、最近は何とか言う宰相が、ちっとは頭使って仕事してるらしいけどな」
「……口が過ぎるよ。僕らは魔族に対抗する為の存在だ、だからこそ余計なことは考えるべきじゃない」
「ふん、そんな事ぬかす時点で、お前自身だって含みが……ああ、悪かったよ、そんな面すんなって。別にてめえと喧嘩するつもりは……」
そう言って、ニヤリと笑い。
「あるんだが、今はいいさ。もっと面白そうな話が聞けたしよ」
「全く、君と言う奴は……」
ローグ・アグニス。
通称『白炎』。
神威をまとう炎使いであり、人類唯一のドラゴンライダーでもある。
その言動は粗野であり、行動を御せる者など一人も居ない。
ただ、自分の破壊欲求に従って暴れまわる、乱暴者である。
そして、それが許されるだけの実力を持っていた。
「まあ、お前はとっととセネカに尻尾巻いて帰るがいいさ。ここでの遊び相手が出来たってなら、俺にとっちゃ朗報でしかねえしな」
「……奴の見た目は人間以外の何者でもない。恐らく、僕らが見たことの無い、新種の魔族だろうが……気をつけて」
「はん、だからおめえは救いようがねえよ。使徒なんだぜ、俺たちは。ありがてえ話だよ、あのクソッタレの天使様とやらの恩恵で、人間辞めちまってるも同然なんだ、魔族と人間の区別がつかねえ訳ねえだろ」
「……神の言葉に触れて、あの様な真似ができる者など、人間であるはずが無い。ナイン……奴は、魔族さ」
「言葉もねえよ狂信者が。お前の考えでいきゃあ、俺の相棒も否定されちまう。サリア教の聖典が正義の基準だなんて信じてるのはお前くらいだよ。こいつだって、一応は魔物の区分なんだぜ」
そう言って、隣に立つ……いや、むしろ聳え立つと形容したほうが正しいだろう、見上げねば頭も見えない、不自然に巨大な生物、竜の肌をローグは撫で付ける。
「……魔物であっても、神のご意思に従うならば」
「生きていてもいいってか。全くもってありがてえ話だよな」
「ローグ」
「……分かってる分かってる。偉大なるご加護のおかげで、俺だって人生楽しめてる訳だしな」
そう言って、ローグは少し考え込んだ。
「……ちっと面白い事を思いついた。おいアビス、お前もうちっとティアマリアに残れ。セネカの情勢は安定してるし、急いで戻らなくてもいいだろ?」
「なんだい、また何か悪巧みか」
「人聞きの悪いこと言うなよ。上手くいきゃあ、そのナインとやらをおびき寄せられるかもしれんぜ」
「うん?」
「話を聞く限り、どうも曲者みたいだしな。なら、こっちもちっと搦め手で行ってみようって話さ」
ローグ・アグニス。
フォルクスの防衛戦で多大な戦火を上げた、英雄。
真っ向からの戦闘でも、奇策でも、使えると思った作戦はなんでも使うが、そこに人道的な倫理が含まれないことは誰もが知るところだ。
「……余計な犠牲を出すのは許さないよ」
「出ねえよ。精々、獣どもがいくらか減るだけさ」
サリア教では、獣人は人間じゃあねえらしいしな。
そう付け加えて、ローグは相棒の竜に乗り、飛び立っていった。
そんな彼を見つめて、アビスは思う。
……神の意思は、常に正しいとは信じているが。
それでも、あの様な野卑な者を使徒にする理由までは慮れない。
神を疑うことは、アビスという存在が自身を否定することに繋がる。
アビスは、神に選ばれ、使徒となることで自分の生存意義を見出すことが出来たのだから。
人を助け、人を敬い、そうして生きていく尊さを教えてくれたのは、サリア教にほかならない。
だけど、と思ってしまうのは。どうしても頭に引っかかるのは、勇者の存在だ。
勇者。
彼女は、元はただの村娘であったと聞く。
ある日、いきなり聖痕……肩甲骨のあたりに傷痕が浮かび上がり、それを知ったサリア教団の者に引き立てられ、勇者と祭り上げられた少女。
――彼女と初めて出会ったときのことを思い出す。
六、七年前だろうか。
セネカの宮殿にて、初めて勇者と顔合わせをするといわれた時、アビスは年甲斐も無く胸を躍らせていた。
とは言え、その時はまだ二十歳を過ぎた辺りであったから、いまだ若輩といってもいい年頃ではあった。
「勇者様。この者が貴女の手足となり、魔を撲滅する剣となる使徒が一人、アビス・へレンでございます」
教団の幹部にそのように自身を紹介され、やや照れながらも頭を下げたアビスに、いきなり勇者と呼ばれた僅か……十二、三歳前後であろうか、その少女は掴みかかった。
「うるさい! 何が使徒よ、あたしを家に帰せ、帰して!」
そう叫ぶ彼女にアビスが混乱しているところを、別の者が取り押さえた。
「離せ、離してよ! なんであたしが、あたしがこんな」
しばらくそうして暴れていたかと思うと、彼女は自身の体を何かから守るように抱きしめて、虚空に向かって叫んだ。
「うるっさいんだよ! 何が天使だ、このペテン師! い、っつぅう……! い、痛い痛い、やめて、痛いよ! やめてよおぉ! ご、ごめんなさい、ごめんなさい!」
そんな彼女の姿を見て、流石にアビスもおかしいと思う。
「ゆ、勇者様! 大丈夫ですか……一体何が……」
「いたい、いたいよう! 許して、もう、許して……ママぁ、ママ……」
身も世も無く、母の名を呼んで縋る、勇者と呼ばれた娘。
涙も鼻水も流して蹲るその少女は、この上なく哀れであった。
「おい、医者を、いや、とりあえず鎮痛の薬か魔法を扱える者を!」
「不要ですよ、アビス様。これは勇者様の試練なのです」
「な、何を……試練だと……?」
「ええ。人の身で神の加護を得るには、多大な苦痛が伴う。預言の通りです」
「馬鹿な、だとしてもこの苦しみようは見ていられない」
「ご安心を、アビス様。この苦しみを乗り越えられると見込まれたからこそ、勇者様は選ばれたのです」
そう言って、教団の幹部の男は、優しく笑う。
「彼女は、この苦しみを一身に背負い、やがては魔族にその苦痛を還元してくださることでしょう」
そう言って、彼女に向かい、両手を合わせて祈りだした。
やがて、その祈りに答えたのか、あるいは偶々か。
勇者の背中から、うっすらと数対の光の翼が明滅して現れ始めた。
「この翼が完全に成った時。その時こそ勇者の力は完全となり! 下劣なる魔族、獣人共はこの世から消え去ることとなる!」
恍惚とした顔で、そう高らかに叫ぶ彼を見て、アビスは。
勇者に対する心配の無い彼に、間違いなく嫌悪感を覚えた。
しかし、それにも勝る違和感を覚えた。
神とは、サリア教とは人々の安らぎであるべきだ。
この様な少女に、これほどの苦痛を与えるのが、神の行いなのか。
しかし、目の前でもだえ苦しむ彼女から漏れ出す光の翼は、確かにこの上なく尊くアビスの心を打つのも確かであったのだ。
それは余りにも、余りにも人の目に優しく、暖かく映るものであったから。
アビスは、自分が大したことの無い者だと思っている。
ただ、力の強さ、打たれ強さにだけは誰にも負けないと信じているが、一部の使徒や教団の幹部からは馬鹿力だけが取り柄の無能者だと言われていることも知っている。
それでも、目の前の少女がこれほどまでに苦しむのが、魔族の存在の所為であるなら。
魔族がいなくなれば、この様な光景がなくなるというのであるなら。
自分は、そのために力を尽くすとそう決めた。
「勇者様」
「……う、ぐぅう、うう」
「ボクは、アビス・ヘレンは、貴女のためにこの力をふるいましょう。貴女のその痛みが、無駄とならぬよう。報われるよう」
「…………?」
「ボクは、貴女の剣となります」
「…………ほん、とう?」
「ええ。ボクは、嘘など申しません」
「……アビス。アビス・ヘレン……」
「待っていてください。必ず貴女がお母さんに会えるよう、このアビスが尽くします」
「……うん。ありがと、アビスさん……」
一刻も早く、魔族を殲滅する。
可能であれば、勇者の、あの気の毒な少女の手を煩わせることなく。
武器を持ったことも無いような、あの娘を戦場に立たせる前に。
そして、人々を救うのだ。
サリア教の威光を持って、世に平和をもたらす。
それが、アビス・へレンの生きる目標であるのだから。




