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生きる気力を失う時

 ――懐かしい夢を見た。夢の常として、内容は覚えていないけれど。


 クリステラは、珍しく侍女が起こしに来る前に目を覚ました。

 身を起こしてストレッチをすると、伸ばした腕が柔らかい天蓋の絹布に触れ、心地よく肌をなでる。


 この様に爽やかな目覚めは久しぶりのことだった。

 昔の夢と言えば、映写機……失われた技術であるそれのように大体が面白くも無いことを延々と見せられる様なものが常だったが、今日はいつになく気分がいい。

 毎日が今のように起きられれば、自分はもっと幸福な生が送れるだろうに。

 毎日本気出せるのに。


 そんな、自分が本気を出せないのは他人の所為と言う者に有りがちな責任転嫁を頭の片隅に残したまま、魔王はベッドサイドに置いたベルを鳴らして世話係を呼んだ。


「おはようございます、陛下」

「ん、朝食をここに」

「はい、ただいま」


 寝ぼけ眼をこすり、重力に逆らってはねる髪の毛を撫で付けて、あくびを一つ。


 もう、季節は冬。


 暖かい毛布の誘惑には耐え難く、せっかく起こした体をついそこに戻してしまう。

 これは仕方の無いことなのだ。

 忌々しい人間が開発したこの寝具は、魔族を怠惰にすることをコンセプトに作られたに違いない。


 これは人間の攻撃であるのだ。

 対策を練るためにも、余は身を挺して、この兵器の威力を味わっておかねばならないのだ。


「もう、陛下。おねむの時間はおしまいですよ」

「んむぅ、後十分……」

「駄目よ、寝ぼすけさん。ほら、お顔を洗ってあげるわ、おっきして?」

「んむむぅ」


 仕方なく、顔だけを毛布から出す。

 そうすると、後頭部に優しく手を添えられたかと思うと、適温に暖められたおしぼりでぽんぽんと目尻を拭われ、瞼の上からじんわりと熱が伝わってくるのがまた心地よかった。


「今日の朝食は卵焼きに、キウイのヨーグルト。それに、ハニートーストですよ」

「ん、良いぞ、余の好みを分かっておるな……」

「ほら、せめて体を起こしてちょうだいな。あーんしてくれないと、ご飯が食べれませんよ?」

「んん。よっこいしょ…………あぁん」

「いい子ね。はい、召し上がれ」


 そう言って、余の開いた口に、一口サイズに切られた卵焼きが放り込まれる。


 この味付け、今日の担当はセルフィか。

 砂糖たっぷりで、甘くて美味しい。

 しょっぱい卵焼きが好きだと言う愚か者がいるらしいが、そんなものは卵に対する冒涜である。

 余の理解の範疇に無い。


「むぐむぐ」

「陛下はかわいらしいわね。ほら、ヨーグルトよ、お口開けて?」

「あーん」


 口を開けると、ちょうど良い量が適切なタイミングで口に入れられる。

 良いな、この給仕係は中々出来ている。


 名を覚えておこう。

 そう思い、ようやっと言うことを聞くようになった瞼を僅かに開いた。



「はい、ご馳走様でちたね、もぐもぐおちまいでちゅよ?」

 


 あの山猿だった。


 猫なで声で、裏声で、赤ん坊言葉で、気持ち悪さが筆舌に尽くせない域に達していた。


「うわああああああああああああああああああ!」


 最悪だ。


 この世で最もおぞましいものはきっとこのようなモノに違いない。


 一日の始まりとして、これほど酷いものは生まれて初めてだった。


 余は、何か悪いことをしたのか。


 父上、母上。

 余は、この様な辱めを受けるほどに悪辣で救い難き存在だったのですか。


「なんで貴様がここにいるんだあ!」

「いやあ、セルフィさんが朝食をこちらにお食事を運んでいる途中ですれ違ったんですけれど、どうもお忙しそうだったので代わりに僕が。たまたま早起きできて、暇だったんで、つい」


 うわああああああセルフィのバカぁ!

 吸血鬼なんかもう信用できない!

 そんな奴らだから絶滅しちゃうんだよ劣等種め!

 すまん、これは言葉が過ぎた!


「……そうか、ご苦労であった。下がってよいぞ」


 分かっている。

 分かってはいるのだ。


 あんな無様を晒してしまった以上、ここで取り繕うのは得策ではないと分かっている。

 しかし、これ以外に打つ手が無いのも事実であるのだ。


 私はクリステラ。魔王である。


 覚醒し、意識がはっきりしている以上、王らしく振舞う以外の選択肢など無い。


 それがたとえ、滑稽に見えたとしても、だ。


「了解しました。ああ、ちなみに」

「なんだ。余の寝姿に興奮したか? 残念だったな、貴様如きには手を触れるにも憚られてしかるべき」

「いやいやそういうんじゃ無くて」

「……ならばなんだ」


「そのぬいぐるみがないと寝られないって本当ですか」


「減点三だよ死んじゃえばかああああああああ!」



 余にだって羞恥の限界と言うものがある。





――――――――――





「おいアロマ! どうなってるんだ、ウチの警備体制は!」


「どう、と言われましても。セルフィが警備主任を兼ねてますし」


「あいつはクビだ! なんで山猿が余の部屋にあっさり入れるのだ!」


「あらまあ」


「あらまあじゃないだろう! なんたる、なんたる、ああもう……」


 朝っぱらからかつて無い恥を晒してしまった。

 何があーんだ、あの馬鹿者め。


「とは言え、貴女が仰ったんでしょう。あの人間の世話は自分でする、と」


「そんなペットみたいな言い方はしてないと思うが……」


「似たようなものです。私はあいつを受け入れるのに反対だったのに。貴女がそれを押し通したんだから、面倒くらい見なさい。どうせ、貴女に傷一つ付けられない虫けらですし」


 ……なにか、話がずらされている気がする。


「だって、余のねぐ……ねぐる……」


「ネグリジェ」


「そう、ねぐるじぇ姿を見られたのだぞ。これは由々しき事態である。この美の集大成たる余の無防備な姿はあの山猿には過ぎたものぞ」


「そうですね」


「少々あいつは図に乗りすぎなところがある。よって、余が直々に制裁を加えるべきだと考えるが如何か」


「左様ですね」


「何か良い案はないか?」


「いい天気ですね」


 聞いてよ!


 なんでアロマこんなに冷たいの?

 余の幼馴染はこんなに薄情じゃなかったはずである。

 あの素直だったマーちん(アロマちゃん→マーちゃん→マーちん)はどこに行ったというのか。


 時の流れは残酷に過ぎる。


「我が宰相よ、もうちょっと余の話をちゃんと聞いてはくれまいか」


「……今、ちょっと忙しいんですのよ。リール・マールの情勢がおかしいの」


「なんだと?」


 こちらの声音が真面目な色になったのを感じたのだろう、そこで初めてアロマは手元の書類から顔を上げてこちらに視線を向けた。


「あそこの親人間派が勢力を増してきているのはもうお話しましたよね」


「ああ。どうもプロパガンダに長けた者がいるようだな。流言に簡単に惑わされるなど、やはりリール・マールの獣人共は信用できん」


「その件で、あんまりにも手際が良すぎるから少し調べてみたのだけど。やっぱりってところかしらね、使徒とやらが裏で動いているみたい」


「勇者の下僕か。ふん、恐るるに足りん」


「勇ましいのは結構だけれど、そうも言ってられないのよ。このままじゃ、ティアマリアを落としてイスタを手に入れてもリール・マールの支援が受けられない。そうなると、ちょっと都合が良くないわ」


 それに、アリスの家族も気になるし。

 あの子、最近ただでさえ不安定なのに。


 そんな余には良く分からない独り言を繰るアロマは、少なくとも余の悩みを解決するに頼りある姿を見せてくれる予定は無い様であって、しかるに余としてはまた別の相談相手を探す必要性が発生した訳であって。




 当てにならない宰相に捨て台詞を吐き、忠義深きヴァーミリオンに声を掛ける事にした。



「が、ガロン。お前は余を見捨てぬよな」


「なんですかお嬢、いきなり弱気なことを言わんでください」


「ああ、すまん。アロマが余りにも頼りなくてな、相談事と言うか、お前の意見を聞きに来た……それとな、お嬢と言うなと何度も……」


「そいつは光栄です。頭でっかちなあいつよりかは、オレの方がよっぽど建設的な意見を出せますよ!」


 なんでも聞いてくださいや、と胸を叩くガロン。


 その姿を見て、ディアボロはこ奴がいれば安泰だと胸をなでおろすと共に、これから自分が口に出すことが低俗なものではないかと一瞬不安を覚えてしまう。


 これだけ余に忠義を捧げる者に対し、このような私事を話して煩わせるべきであろうか。


 そんな生来の――やあ自覚しているとも、これ以上は目を逸らせまい――小心がのっそりと心の隅から這い出てくるが、最近急に包容力のようなものを身に付け始めている眼前の親衛隊長は、その様な物を吹き飛ばさんとばかりに莞爾として笑う。


 うむ、ガロンを親衛隊の頭に据えたのは間違いではなかった。

 頭の回らないところはあれど、こ奴ほど頼もしい者はおるまい。

 余の心身共に守ってくれるその笑顔、千金に値しよう。


 余は安心して口を開いた。


「実はな、あの山猿が」


「ナインです」


「へぁ」


「あいつには、ナインと言う名があります。そう呼んでやってください」


「あ、あのなガロン。奴がな」


「…………」


「……な、ナインとやらがな、余の寝室に忍び込んで」


「良く分かりました、お任せください」


「まだ何も言ってないぞ」


「ご安心を、陛下。しかと懲らしめておきます故」


「い、いや、それは余がやるし」


「お任せください陛下。あの様な下賎な山猿、このガロンがきちりと教育しておきますから」


 お前、あれだけお嬢言うなって言ってきたけど、いきなり変えないでくれまいか。


 それに山猿て。


 凄い怖いのだが。

 なんでそんな、歯軋りしながら喋るのか。

 器用であるな。


「まあ落ち着いてくれ。とりあえず、お前と話していて余の頭も冷えた……まずは減点が十点を超えたからな、適当なペナルティでも与えておくか」


「…………」



 ……なあ、ガロン。


 お前は、いやお前だけじゃない、ヴァーミリオンに名を連ねる者共は、皆その忠義深さで名を馳せて来たであろう?


 何故そのような、違うだろう?

 そういう、何と言うか、奴に負の感情を向けるのは構わんのだが、ベクトルが違うような気がするのだが。




 何故そんな、越冬に成功したキリギリスを見つめるアリの様な目を余に向けるのだ?

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 寝ぼけたお嬢とナインでワロタ
[一言] どういう目なんだ⁉︎あれか⁉︎出来ないと思ってた的なやつか?驚きの感情なのか⁉︎ちょっとよく分からーん!
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