ピュリア・ハープ
「おや、ピュリアさん。お久しぶり」
「お、ナインか。おっひさー」
僅か数日離れただけではあっても、感覚的には久方ぶりなのはお互い様であったようだ。
彼女はそう言って地を蹴ると、軽やかに僕の目の前に降り立った。
「相変わらず身軽ですねえ。地を這う人間としちゃあ羨ましいことこの上ないや」
「何今更言うとんの。人間が魔族の身体能力に勝てる訳ないやん」
そう言って、彼女は僕の頭をその柔らかな羽根でぺしぺしと叩く。
ついこの間までは毎日彼女と一緒にいたものだが、ここ最近で、つまり魔族領に戻ってからちゃんと話したのはこれが初めてだ。
「そうそう、アンタにガロン隊長から伝言を預かっとってな、前まで図書館でお勉強しとったんやろ? そん場所をな、隊長の私室に移すって」
「エヴァさんがちょっと怖くってね」
「あー……なるほどなあ。まあ、隊長の部屋は、後で時間になったら案内したるわ」
したり顔で頷くピュリアさん。
「……で、ウチにパシリなんかさせたんや、何で返してもらおか」
「ええ? 散々ティアマリアで動いてくれたのに……今更こんな事で」
「あん時はあん時、今は今や。アンタ、そもそもウチのパシリやん」
「うぇー、まだその設定生きてるんですかぁ? それに伝言を頼んだのはガロンさんじゃないですか」
「男がコマい事言わんと、ほれ、ちっと付き合い」
「うぇー」
襟口を口で啄ばまれ、後ろ向きに引きずられて行った。
って、こっちは城の正門なんだけど。
「ちょちょ、ピュリアさん、どこ行こうってんですか。こっち外ですよ?」
「ひみつー」
「……ひみつー、じゃありませんよ」
ウインクしながら振り返るピュリアさん。
ちょっとドキッとしちゃったよ。
こいつやっぱり、どうもあざといんだけどそういう仕草が似合いすぎてて困る。
「しゃーないな、教えたる……ちょっと城下町行こうな。ウチの買い物手伝って?」
「なんだ、そのくらいならいいですよ。っていうか最初から教えてくれたら……」
「こないだアンタに服ダメにされたからなー、んふふ、ウチに似合うの選んでや?」
「そうなると……もしかしてデートのお誘いだったんですか。あらやだ恥ずかしい」
「やだ?」
「え?」
「今アンタ、やだ、って言うた?」
ぞくり、と。寒気が。
あれ?
なんか、え、ちょっと不穏な雰囲気。
なんでよ、いつもの軽口じゃないですか。
「ウチと出かけんの、いやって言うた? アンタの為に、あんなに手伝ったったのに? ウチ、あんなに危ない橋渡ってんねんで?」
「いや、それは言葉のアヤで」
「またイヤって言うたな」
「待ってよ! べ、別にピュリアさんと出かけたくない訳じゃ」
「ウチと出かけんの、そんなに面倒? ウチ、アンタにとってただの都合の良い女?」
そう言って、顔を近づけてきた。
いやいやホントちょっと待ってよ。
ここ、人通りが凄く多いんだから!
みんな見てるんだけど!
やだ、ピュリアだいたーん、なんて声が聞こえてきたんだけど!
「わ、分かりました分かりました、行きます行きます」
「…………」
これだけじゃ駄目なの!?
「うううわー、嬉しいなー、可愛いピュリアさんとお出かけできてナイン感激―」
「…………へへ」
あ、やっと笑ってくれた。
「冗談よ、冗談。まあ、アンタいつもふざけよるからなあ、仕返しや」
「し、心臓に良くないんですよ」
ついこないだエルちゃんに似たようなことされたばっかりなんだから。
「可愛い可愛いピュリアちゃんが、こうしてわざわざアンタなんかの相手してやっとるんやから。嬉しそうな顔して素直に付き合うのが当たり前やろー?」
「……そーですね」
可愛いのは否定しないけどさ。
この小鳥め、変な知恵つけやがって。
ピュリアさんマジ悪女。
掴む為の手の無い彼女は買い物を誰かに頼まなければならないので、一度に大量に購入することが普段は出来ないとの事だが、今日においては僕と言う遠慮の要らない荷物持ちがいる。
だが、悪い女ほど要領が良いもので。
僕を退屈させる暇なく、くるくるころころと表情を変える彼女に心惹かれたのは確かなことで。
彼女が行きつけであるという服飾店に入ったときには、店員のアラクネ(蜘蛛女)と一言二言話した後、要領よく幾つかの商品を選んで、彼女だけのファッションショーを披露してくれた。
やや露出が大きいものを好む傾向があるのは出来るだけ身の回りが重くならないようにする為の飛翔種族の特徴らしいが、それにしても優しい青のグラデーションがかかったワンピースを着てくるりと一回転する彼女の姿は、掛け値なしにこちらを魅了した。
「似合ってますよ。でも空みたいなその色だと、飛ぶときに周りと溶け込んじゃいそうですね」
「んふふ、そうかもなあ。でも、アンタはウチの事見失わないでくれるやろ?」
「勿論ですともー」
「軽っ! 言葉が軽い!」
だってさ、流石に照れちゃうよ。
この人も無防備すぎる。
「えへへ、まあ、似合うってんなら買っとこ」
……だから、その笑顔とかが無邪気すぎるんだってば。
そこそこ付き合いも長くなったピュリアさんとのデートは、存外に気安く楽しいものだ。
話もしやすく、ちょっとした仕草に愛嬌がある彼女との時間は充実したものとなった。
「ほらほら、早よ来て! 若いんやからキビキビ動きぃ!」
「ピュリアさん、ふう、の方が……若い、はあ、じゃない、ですか」
ふう、ともう一度大きな息を吐いて、少しでも肺に空気を送ろうとするが中々上手くいかない。
この地に来たのは初秋のことだが、既に冬の足音が聞こえてきているのに大汗をかいてしまった。
それも全て、目の前の小鳥があちこちで購入した荷物を持たせたまま僕を歩き回らせた所為だが。
とは言え、感謝しているところもある。
ここに来てからそれなりに経ったとは言え、ほとんどの期間はティアマリアで過ごしていたし結局一度も城下町に来た事はなかったから、新鮮な気持ちになれたし。
それに、家屋の造りなどが人間のものとほとんど代わりが無く、市場も人間が使う貨幣と同じものを使用しているというのも知ることが出来た。
ただ、魔族や獣人が人間の代わりに生活しているだけのことである。
このこと自体はガロンさんに教えてもらってはいたけど、百聞は一見にしかず、貴重な体験であって。
「次、こっちこっち。オススメの飯屋があんねん! 奢ったるから早よう!」
「へーい」
ピュリアさんのオススメのお店は、意外にも菜食料理の店だった。
彼女はお肉が好きだったと思うけど。
今更こんな所で女子力アピールしなくてもいいのに。
そう言ったら蹴りが飛んできた。
羽根で叩かれる程度だと油断していた。
「……そういやアンタ、ちゃんとお給料出てんの?」
もくもくと、こう言っては失礼だが、犬食いで出されたサラダを啄ばみながらピュリアさんは聞いてきた。
料理が盛られた器はどれも彼女が食べても回りに飛び散らないような工夫がされていて、なるほど、こう言った点がピュリアさんのお気に召したのかと納得がいった。
「一応頂いてます。ちょっとですけど。ほんとにちょっと」
「あかんなー。甲斐性の無い男は嫌われるでー?」
ディアボロって組織、意外とケチなんだよなあ。
いや、自分の身分であんまり文句をつける気もないけど、ぶっちゃけ飢えそうなレベルのお給金しか出してくれないんだよね。
まあ、多分アロマさんの差し金なんだろうけど。
クリスはむしろ、お金には杜撰な感じがする。
「まあ、腹減ったらウチに相談しいや。飯ぐらい面倒見たるから」
「ほほう、そいつは心強い」
「へへ、ウチ、こんな体やからなあ。作ってはやれんけど」
「んーにゃ、奢ってもらえるなら十分すぎますよ」
「……ウチ、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけな、手先の器用な種族が羨ましいかもしれんわ」
ぽつりと呟いたピュリアさんの横顔は、ほんの僅かに憂いを含んでいて。
……もし、万が一……いや、思い上がりなのは分かっている。
余計な事は考えなくていいや。
彼女は既にもう、ニコニコ笑ってご飯を再開しているし。
……美味しくはないかも知れないけれど。
その内僕の手料理を食べさせてあげたいと思う。
彼女は喜んでくれるだろうか。
それとも、無神経だと怒るだろうか。
きっと、どっちにしても彼女の美しさが損なわれはしないだろうな。
二人して店を出ると、夕日が沈んでいくのが視界に映った。
もう冬に近いし大分日が短くなったとは言え、思ったより長く彼女と町を回っていたことに今更ながら気付く。
「今日は楽しかった。あんがとな」
「いやあ、こっちこそ。ご馳走様でした」
「ああ、荷物はそこに置いといて。部屋ん中汚いから見られとうない……うん、よし行こか」
城に戻ってきて彼女の部屋の前まで買ったものを運んだ後、ガロンさんの部屋への案内をしてくれる、とのことだったので、それに従う。
正直今までの時間が楽しかったから忘れかけていたが、今日からはガロンさんの部屋でお勉強が始まるのだ。
「ここや、これからは一人で来れる?」
「ええ大丈夫、ありがとうございます。今日はどうも」
最初は強引だったけど、今日は随分ピュリアさんには良くしてもらった。
今度お礼をしなきゃなあ、と思っていると。
彼女はこちらを振り向いて、ぽそっと笑顔で囁いた。
「一つだけ、言うときたい事があんねんけど」
「ん? なんか言い忘れですか?」
「ちゃうちゃう、お願いや。ただのお願い」
「なんだ、今日はご馳走になっちゃったし、僕に出来る事なら」
「ほんなら、ちっと耳貸しや」
ピュリアさんは、唇が触れるほどに僕の耳元に寄せてきて。
「ふぅっ」
「おわーっ! やや、止めてくださいよ! 何すんですか!」
「あはは、冗談冗談」
と、そんな騒ぎを聞きつけたのか。
「おい、オレの部屋の前で騒ぐな! うるせえよ!」
ガロンさんご登場。
「あっと隊長、すんません」
「なんだピュリアか……ああ、そいつを届けてくれたのか、悪いな」
僕は郵便物じゃないんですけれども。
「いえいえ、お気になさらず。おかげさんでこいつと楽しめましたし」
「……あん?」
「ちょっとばかし、ね」
「なんだぁ? 案内しただけじゃねえのか?」
その言葉に、ピュリアさんは黙って柔らかく笑んだ。
ガロンさんは、軽く目を細めて……なんだろう、どこか様子が変な感じ。
思わずキョロキョロ二人を見てしまう僕を置いて、ガロンさんに軽く目線を向けたピュリアさんは、視線はそのままに改めて僕の耳に顔を近づけてきた。
小さな、小さな声で呟く。
「今度からウチの誘いを断ったらあかんで? アンタはティアマリアで、ウチにでっかい貸しを作ったんやから、な」
「……え?」
その声音に、背筋に氷柱を入れられた気分になった。
「ウチはもうアンタのモンやけど。アンタかてウチのもんなんやからな」
思わず仰け反って、彼女の顔を見て、鳥肌が立った。
彼女の眼は、全く笑っていなかった。
猛禽の目つきをしていた。
今日の彼女とのデートは楽しくって。
ついさっきまでは、そう言えば、人生で初のデートであったな、なんて気恥ずかしい想いをしていたのに。
こんなことを考えるつもりはないし考えたくも無かったのに、目の前のピュリアさんがじっとりと目線だけで僕を嘗め回すように見るものだから、初デートで得られた胸の温かさが粘着質な何かでべっとりと塗りつぶされるような思いがした。
僕はただの無力な人間であって、捕食される側であった事実を思い出した。
そうだ、彼女は。
爪の一振りで人間の首を切り裂く怪物であって。
そして僕は、そんな彼女と歪な関係を無理やりに結んだんだ。
「おい、ナイン。さっさと入れよ」
身動きが取れなくなった僕を現実に引き戻したのは、ガロンさんのいつもどおり粗暴な口調だった。
「あ……はいはい、お待たせして申し訳ないでした」
「なんだそりゃ」
思わず変な言葉遣いになったが、ガロンさんはニコリともせず、ただピュリアさんに一瞥を向ける。
「ご苦労だったなピュリア……もう、戻っていいぞ……?」
ガロンさんは彼女らしくも無く、ゆっくりと、一語一語を区切るように言う。
「いえいえ、このくらいお気になさらず……ああそう、もう一つ。ねえ、ナイン?」
一つだけ、と言ったのに。
ピュリアさんは、さりげなくガロンさんから目線を切って僕を見やる。
彼女の快活なイメージから似合わない、酷く鼻にかかったような、甘えたような。
鈍い僕でも感じられるほど男に媚びた声で、こう声を掛けてきた。
「獲った獲物にはちゃんと餌ちょうだいな? アリスもきっと、そう思っとるで?」
今度の言葉には、明らかにガロンさんが反応した。尻尾の毛が酷く逆立っているのが見て取れる。
「…………」
ガロンさんが何事か口にしようとする寸前、ピュリアさんはいつもどおりの可愛い小鳥さんの雰囲気に戻って、
「んーじゃ、失礼しますー」
と、語尾が上がったイントネーションで軽やかに挨拶し、去って行った。
「……元気な人ですよね」
僕ごときでは、そんな言葉しかその場では口に出来なくて。
ガロンさんは暫くピュリアさんの後ろ姿を眺めていたけれど。
僕の体を尻尾で室内に押しやりながら、やっぱり彼女らしくもなく、恐ろしく静かに扉を閉めた。




