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ガロン・ヴァーミリオン

 


 僕がようやっと元の自分を取り戻したとき、後ろに気配を感じた。

 

「……おい、ブツブツ気持ちわりいな。一人遊びは終わったか?」


「! だ、だれ?」

「なんだテメェ、たった一月で先生の顔を忘れるたあ良い度胸じゃねえか」


 気付かないうちに抱きしめていたウィルソンを放り投げて顔を上げてみると、そこには久しぶりに見る僕の可愛い先生、ガロンさんがいた。


 今日からはもう鍵をつけなくて良いとのお達しがあったから、開けっ放しのこの牢に入ってくるのに気が付かなかったらしい。


「あ、あは、ガロン先生、こりゃお久しぶり」

「おう、歯ぁ食いしばれ」

「待って待って、会話して! そりゃ挨拶が遅れて申し訳ないけれど!」

「それもそうだが、一つ許せんことがあった」

「ななななんでしょう」

「……お前、この、お、おお、お前……このロリコン野郎!」


 そう言って振りかぶった腕には、間違えようのない殺意が篭っていて。直撃したら、きっとミンチになってしまうとそこまで考えながら、僕は無意識に、飛んできた拳を横っ飛びに避けた。


「避けんじゃ……ねぇ!」

「はわわわ」


 ドゴン、と後頭部の方から音がした。


 転がって辛くも避けたが、上から振り下ろされたその二発目の拳は、石畳にヒビをいれ、僅かに周囲をめくり上げていた。


 とんでもねえなこれ。


 ガロンさんは体勢を崩した僕の体に跨って、既に必殺の拳を打ち込める状態になっていた。


「一発で勘弁してやらあ! 大人しく殴られろ!」

「ちょ、ちょま、僕が何をしたってんですか!」

「うるせえ! エルから聞いたんだからな、お前の変態行為を!」

「へへ、変態行為ぃ!? 身に覚えがない! 冤罪です、冤罪!」

「えんざい!? 難しい言葉使うんじゃねえ! ネタは上がってんだよ!」

「なんですかネタって! 絶対誤解ですよ!」

「お、おま、おままま」

「なんですか、おま……の後は! いやらしい!」


「るっせえバカ! お前が、お前がエルにキスしたって! オレはあいつの口から聞いたんだ!」


「キス……キスぅ!? なんでそれが変態行為になるんですか!」

「あいつはまだ十四だぞ!?」


「軽くおでこにチュッてしただけじゃないですか!」


「おでこだと! おでこ……おでこ?」

「おでこです」

「唇じゃなくて?」

「おでこです」

「…………」

「おでこに、触れる程度にチュッてしましたが」

「…………」







 ――ガロン・ヴァーミリオンは、偉大なるフェンリスヴォルフを始祖に持つヴァーミリオン家の一人娘である。


 彼女は、父にこう言われて育った。


「誰よりも誇り高く生きろ」


 母には、こう言われて育った。


「貞淑さを忘れぬように」


 幼く、純粋で、少々思慮が足りない子供であったガロン少女は考えた。


 誇りとはなんだろうか?


 父は自分で言うからには、きっと誇り高いのだろう。


「おとーさま、ほこりたかいってどーいうこと?」

「オレのようなことを指すのだ」


 そう言って、父はガハハと笑った。

 成程、分かりやすい。


 では、貞淑と言うのはどういうことだろうか。

 母も自分で口にするなら、きっと貞淑とはなんであるか詳しいに違いない。


「おかーさま、てーしゅくっていったいなーに?」

「結婚する人以外に、唇を許しては駄目ということよ」


 そう言って、母は優しく微笑んだ。

 成程、分かりやすい。


 ガロンは、言われたとおり父の姿を見て誇り高さを学んだ。


 ご飯を食べるときは出来るだけ豪快に、食べられるだけ食べる。

 ソファに座るときは出来る限り脚を開き、腕を背もたれにかけて体を大きく見せる。

 地面に座るときはあぐら以外の選択肢は無い。

 ましてやハンカチを敷くなど論外だ。


 スカートをはいている時だと流石に下着が見えるので恥ずかしかったが、成程、父はそのようなものをはいていない。

 スカートなどは誇り高さから離れた最たる物なのだろうから、私……いや、オレは二度とはくまいと誓った。


 同じ貴族の女の子はヒラヒラした女々しい物を着ているが、それはつまり誇りを失った行為であるに違いない。

 嘆かわしいが、誇り高きヴァーミリオンと同列に考えてはいけない。

 彼女らにもきっとやんごとなき事情があるに違いないのだから。


 そんな彼女は手に入れた信念を手放すことなく、病気の一つもせずにすくすく大きくなっていった。


 彼女が父から学んだ誇り高さを周囲にアピールできる程に身に付けた辺りから、夜な夜な聞こえる「ごめんなさい母ちゃん許して」という悲鳴と、「あなたが余計なことを言うから」という母の怒声は、きっと何か我が家にも逃れ得ない不幸と言うものがあったからなのだろう。


 誇り高き父をそのようにする不幸と言うものについては見当がつかなかったが、ヴァーミリオン家の当主たる父であればいつか乗り越えられる筈だ。



 そう信じていた彼女も、やはりある程度年齢が進めば気付いた。


 これはなんかちょっと違うかもしれない。


 誇り高いというのは、なにか、こう、もっと別なものであるのではないか。



 気付いたのが遅かった。



 彼女は改めて、誇り高きとは何かを父から学んだが、一度身に付けた彼女らしさは自分の仕草から消え去ることはなく。

 周りの女の子は皆可愛い服を着ていて、何か心の奥底では自分もそれに憧れないでもないようなそんな良く分からない心持ちになったが、今までの習慣が、自分がそれを纏う事の想像すら拒むのだ。


 男装と言うほどではないが、ユニセクシャルなすっきりした軽装が、彼女の服装の基本となった。


 とは言え、一度だけ鏡の前で(以前までは世話係が毎日持ってきてくれていたが、頑なに着るのを拒んできた為に着ることの無かった)ドレスを合わせたこともある。


 これを持って来てくれと馴染みの世話係に言った時、彼女が泣いて喜んでいたのを今でも覚えている。

 母に報告しに行くとも言っていた。



 その際、どのような運命の悪戯だろうか。



 大きくなった彼女の成長に合わせ、母が、いつか娘がそれを着た姿を見たいと祈りながら手直ししてきた青く可愛らしいヒラヒラのドレス。


 ガロンがそれを体に合わせ、姿見に映している時に、敬愛する父がそこを通りがかったのだ。


「似合わねえなあ、ガロン! ガハハハハ!」


 彼女は誇り高き父に倣い、決してそれまで女々しい姿を見せずに生きてきた。


 幼いながらも、彼女は間違いなく誇り高いということはどういう事か理解していたのだ。


 だが、その時。


 彼女自身にも分からないが、途方もなく自分が否定された気がして、久しく覚えが無かった頬を液体が撫でる感触を感じた。


 目頭に不明な熱も覚えていた。



 その後、ガロンはけっしてヒラヒラやフリフリを身に付ける事はなかった。


 彼女の女性は既に傷付けられたのだ。


 たとえその後、『先代魔王の牙』と称されるヴァーミリオン卿が妻と娘の世話係に半殺しにされ、涙ながらに許しを請うたことを知ったとしても、彼女の気持ちは癒される事はなかった。



 長くなったが、つまり彼女は純粋であるのだ。


 粗暴さこそ直らなかったが、父の教えと同様に彼女は母の『貞淑たれ』という教えも十二分に受け継いでいる。


 当然歳相応の知識はあれど、彼女の中では口付けと言うものは神聖なものであった。


『おでこへのチュウ』が許容されるべきものであるかについて、彼女の理性はとりあえず許されるべきと判断した。


 ナインは一命を取り留めたのだ。


「なんだ、だったら最初からそう言えよ」

「問答無用だったじゃないですか!」

「いいじゃん生きてんだから。細かい野郎だ」


 ガハハ、と彼女は笑う。

 笑う。


 人ならば、幸せな時に笑う。

 笑うって事は、今彼女は幸せなんだろうか。


「…………ねえ、ガロンさん」

「ん、なんだ?」

「貴女は今、幸せですか?」

「……何言ってんだお前」

「僕はきっと今幸せなんですが。ガロンさんはどうなのかなって」

「…………」

「僕、晴れて魔王様の下僕になれました。これからもっともっと人間を殺していって、魔族の皆さんの役に立ちたいんです。これって、幸せなことです」

「…………」

「ガロンさん達の仲間になれたんです。幸せ、幸せだな」


「バカだなお前は。間違いねえよ、とびきりのバカだ」


 ……なんだって?


「幸せってのはな、いちいち口に出す奴はいねえよ。逃げちまうのが怖ぇからな」

「…………?」

「幸せだなんだって言うのはな、自分が幸せじゃねえって気付いてる奴だけだ」

「そんなこと無いですよ。だって僕、今、幸せだもの」

「オレの鼻を舐めんな。お前からは今、不幸な奴の臭いがプンプンしてるぜ」

「…………」

「まずはその、気持ち悪いニヤケ面をやめろ。幸せかどうかはそれから判断してやる」

「幸せだから笑ってるんだよ」

「……バカが。そうやって、死ぬまで自分を騙せると思ってんのか」

「騙すだなんて。僕は正直な男ですよ」


 嘘だけど。


「いいか、はっきり言ってやる。これが理解できねえなら、オレはお前のことをもう仲間だとは認めらんねえ」


「……なんですか、一体」


「無理すんじゃねえ。仲間なら、本音で話せ」


「…………無理?」


「……そうだろ。お前は無理してるんだよ」


「……どこが?」


「全部だ。表情も、仕草も、匂いも、全部、全部がそう言ってる」


「無理なんかしてない」


「してるさ」


「してないって」


「いつからお前、オレにタメ口利くようになったんだよ」


「うるせえ」


「……そうだ、そうだろ。お前は人間なんだ。魔族が、オレ達が嫌いなんだろうが。それがお前の本性だよ」


「うるっせえよ。僕は貴女達が大好きなんです。すっとぼけた事言ってっとぶっ殺すぞ」


「…………」


「何黙ってんだよ。愛してますよ。僕の愛を疑うのか? 死ぬか?」


「…………」


「反論できないんですか? ティア様の言うことが間違ってる訳ねえだろうがよ、違うか?」


「…………」


「愛してますよ。ガロンさん、愛してるんです」


「イっちまってるぜ、お前。狂ってる」


「愛に狂気はつきものさ。貴女に首ったけなほど狂ってるんです。愛してるよ、母さん」


「……オレはてめえの母親じゃねえ」


「当たり前じゃないですか。僕は人間ですよ、なんで獣人の貴女が……」



 ――あ、いけない――


 ……ちょっと待てよ、そういえば、ティア様も、人間じゃなかったな。

 ガロンさんも人間じゃないよ。見りゃ分かる。

 じゃあ僕のお母さん、どこ行ったの?


 どこ? 母さん、え、どこだよ。


 どこ行ったんだよ。僕を一人にしないで。

 だって、一人は  しいじゃないか。

 

 ティア様だって一人は耐え切れなかったから、僕を……。



「イカレ野郎、良く聞きやがれ! このディアボロで、お前の事を信用する奴なんかいねえよ。だってお前、人間なんだからな!」



 取り返しがつかないことを言われた、気が、する。



「う、あああああああああああああ!!」


「お前が人間を裏切ったって言ってもよ、お前の事を愛してくれる奴なんかいねえって」


「あ、愛は、愛は見返りなんか求めない! それでいいんだ、黙っていろ!」


「バーカ、世の中貰って与えて、だ。お前のイかれた愛をどんだけ与えっぱなしにしても、クソの役にも立ちゃしねえよ!」


「違う、違うんです、僕は、ただ貴女達を、愛して、愛している」


「嘘だな! お前のは愛なんかじゃねえよ! 言え! オレ達なんか大っ嫌いだってな!」


「違う! やだ、よせよ、僕はぁ……っ!」


「……ほら見やがれ。無理だらけだ、お前は」



 ――ナイン、そろそろしゃっきりしなさい。このままだと手遅れになりますよ――?



「……あっはは」

「分かったろ? お前はチグハグなんだよ。今にもぶっ壊れんぜ」

「あははは、は」


 参ったな。ガロンさんなんか小娘だと思ってたけど、僕のほうがよっぽどガキだ。

 このくらいでボロが出ちゃうなんて、はは、どんだけ僕は、心が脆かったんだろ……。


「…………ぃか?」

「え?」

「――され――か?」

「は?」



「次聞き逃したら、もう言わねえ。愛されたいか?」



 愛されたいか。


 ティア様は、愛せといった。

 愛されろとは言っていない。

 

「お前がどう思うかだ。自分で考えて、自分で決めろ」


 僕がどう思うか。そんなモノに価値は有ったっけ。


 有った。

 皆の仇を討とうって、自分で決めた。

 だからティア様と約束して、僕は魔族を愛することにしたんだから。



 僕がどう思うか?


 そんなの。





「愛されたいよう」


「……そうか」

「ガロンさん、愛されたい、僕、愛して、愛してくださ…………」

「…………それが。お前の本音なんだな?」

「うぇ、うん……もうやだ、信じてよ、なんで、もうだって、誰もいないのに……」

「…………」

「みんな、みんな死んじゃって、人間もたくさん殺して、ぼ、僕もう、戻れない……」

「…………そうだな。お前は、同胞を殺したんだ。このアグスタで、たった一人になっちまった」

「一人は、駄目なんだ。一人は、耐えられないよぉ……」

「なら」


 彼女は、僕の両肩を爪が食い込むほどに握って、僕の目を見ながら言葉を発した。


「愛だなんだは、オレにはまだ分かんねえけどよ。オレがお前を認めてやる。オレだけが」


 彼女の目は月光を反射する獣のそれのように、爛々と輝いていた。





 ガロン・ヴァーミリオンは、誇り高い。


 正しく身に付いた彼女の誇り高さは、本音を口にした目の前の男を仲間と再認識した。


 危うくもあるが、それこそがヴァーミリオンを最も忠義深き者として名を馳せた要素であるから、その誇り無くして彼女は彼女足り得ない。


 しかし、彼女は女性であった。

 抑圧こそされ、この事実は変えようがなかった。


 過去に嘲笑われ、存在が忘れ去られた彼女の本質は、今、目の前の弱りきった人間の雄に対して好ましからざる反応を起こした。


 強きをもって尊さを為す獣人において非常に珍しくはあるが、彼女は肉体的に劣等であるナインと言う男に対して、とある情動が首を持ち上げるのを感じた。


 未だに涙の一つもこぼしていないものの、女々しいとしか言いようの無いこの男が、自分に対して、雄が見せるべきではない内面を晒したことに、彼女の中の雌が反応してしまった。


 すなわち。


 ――『この男には、自分がついていてやらないといけないのではないか』。


 圧迫されてきた彼女の中の女性が、母性と言う形で芽吹いてしまったのか。

 そしてあるいは、あれだけそそのかしても自分のことを嫌いだと明言しなかった男に対して、それが自分を思う心の一片によるものではないかと思い至って名状しがたい感情が宿ったのが、彼女の生涯における最大の不運の一つでもあったのかもしれない。




「おい、ナイン」

「……はい……」

「オレの事は、二人っきりの時なら母さんって呼べ」

「……いいん、ですか?」

「……おう」

「じゃ、じゃあ、お願いしたいことがあるんですけど」

「言ってみろ」

「…………えっと」

「言えって」


「おっぱい吸わせてください、母さん」


「バーカバーカ! お前とんでもねえバカだやっぱり!」






 ――そして、淡い桃色の花片喰のごとき母性と併せて彼女の中で開花したものがある。


 女性が持ちうる中で最も尊いものの一つである前述の感性と比べて、酷く毒々しく、それでいて他者を惹き付けて止まない黒い薔薇のようなそれは、エレクトラとの会話の中で萌芽したモノであり。


 薔薇には様々な花言葉があれど、黒い花弁を持つ場合に意味するのは。


 ――『あなたはわたしのもの』。


 それは、口が悪く、それでいて歳に見合わぬ程に純粋な人狼の少女を、昨日までの彼女と全く別物に変えるほどにおぞましい何かであった。

 








 ある時期から彼女は、夜にディアボロ唯一の人間の同胞と会話するのを日課とするようになる。


 そしてそれは、常に人目を憚るように行われた。


 ただ、ある日胸元を気にしている様子を宰相であるアロマ・サジェスタに追求された際は、顔を赤くしながらもどこか色気を垣間見せていた、とは余談である。














 ――されど、蛇は潜むものである。



 ――一人きりは耐えられない。愛して欲しい――


 ――ええ、ナイン。それは貴方の本音。間違いないわ―― 


 ――でも、それも私が教えてあげたこと――


 ――貴方の心の奥の奥。そこは私が住まう場所――


 ――子犬さん。あんまりあの子を誑かさないで欲しいわね――


 ――次は許さないから――



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