それは、この上なくおぞましき
寝ぼけ眼で辺りを見回し、一言。
「さて、どうしましょうね」
「………」
「ねえ、そろそろ機嫌直してくださいよ」
「………」
「まだお尻が痛いなら、お薬塗ってあげましょうか?」
「反省が無い! そんなにウチのケツが好きか!」
「好きです」
「……」
「大好きです」
「二度も言わんでええ」
「大好きなんです……!」
「泣きそうな声で何を馬鹿なこと言ってんの!? 泣きたいのはウチのほうよ!」
どれだけピュリアさんのお尻が好きか伝えたかっただけなのに。
と言うかさ、元々彼女が悪い訳でさ。ねえ。
不貞腐れちゃったからってさ、こんなご機嫌取りなんかする必要ないよね。
するけどさ。
男と女が喧嘩したら、男が頭を下げるもんだって父さんも言ってたし。
「すいませんピュリアさん、さっきはちょっとやりすぎました」
「……ふん」
「あんまりにも貴女のお尻が魅惑的だったんで、触る口実が出来たと思って、ついテンション上がっちゃいました。次はもっと優しく取り扱います」
「謝るところ違くない!?」
「?」
「首傾げるな! ……もうええわ、アホらし」
何だかんだで許してもらえたらしい。
紳士として完璧な対応と言えるのではないだろうか。
もう紳士度はウィルソンを超えたと自負しても良いのではないか。
「んで? これからどうするん?」
「んー、最初に一つだけ聞いておきたいんですけども」
「なーに?」
「昨日、酒場でチンピラさん達が魔物狩りで生計を立ててるって話、聞いてましたよね」
「? どこにでもある話やん」
「魔族にとっては、魔物が死んでも思うところは無いんですか?」
「……あー、あー、なるほどなー」
「いや、仲間意識があるんだったら、怒るなり何なりの反応があるのかな、と。もしかしたら、それで機嫌が悪かったのかな、と」
「安心せえ、機嫌悪くしたのは十割方あんたの所為やから……人間で言うと、野良犬が殺されたような感覚なんかな。自分で可愛がっとった奴が殺されたら、そりゃあ腹立つやろうけど。魔族の中でも物好きな奴なら、見ず知らずの魔物が殺されても怒るかも知れん」
「はーん、成程ね」
犬猫と同レベル、ってところなのか。それならそんなに気を遣わなくてもいいかな。
「……いやらしい顔して。えげつないことでも考えついたんか」
「仕方ないじゃないですか。普通にやって達成できるノルマじゃないんですから。二百人の人間集めろって。そんだけ死に追いやれって、相当ですよ」
仕方ない。
良い言葉だ。
罪悪感って気持ちがこの世に存在しなければ生まれなかっただろう、便利な言い訳。
うん、仕方ないね。
だって僕は、弱い弱い人間だもん。
「本番はアリスさんが戻ってからですけど、取りあえず。目下優先してやるべきことは」
どっこいしょ、と重いそれを持ち上げた。
「掃除ですかね」
寝込みに部屋に入ってきた泥棒……今は只の死体だけど、その腋を掴んで、暖炉に引きずっていく。
臭いが残りそうで嫌なんだけど仕方ない。
……ああ、燃やすくらいなら、ピュリアさんに食べさせてあげた方が良かったかな。
祈るくらいはしてあげるけどさあ。
金目の物なんか一つも無いのにね。
やっぱり、ここら辺の人間の倫理観なんか信用できたもんじゃないや。
「それにしても、お礼が遅れましてすいませんね。助けてくれてありがとうございました」
「ホンマよ。見捨てても良かったんやで、そこんとこ分かっとるんかな……」
シクシク泣いてたピュリアさんを放ってグースカ寝ていた僕の隣で、毛布に潜り込んでいた彼女が、脚の爪で空き巣の首を『サクッ』とやってくれたらしい。
生暖かい液体が顔に当たる感触で目が覚めるのは最悪の気分だった。
「いや、本当に感謝してますよ。空き巣ならまだしも、もし強盗だったら、残念にも僕の冒険がここで終わってしまうところでした」
「……あんまり動揺してないみたいやね」
「そんなこと、ないですよ。ほら見てくださいこの手。プルプルしてるでしょ。自分、小心者ですから」
「ざーとらしぃ……ねえ、ウチもあんたに一つ聞いていい?」
「どうぞどうぞ。命の恩人様ですもん」
「さっきのあんたの質問と似とるけど。……目の前で人間が殺されて、どんな気分?」
「……質問の意図が掴みにくいんですけれど。今、この状況に対する感想ってことで良いんですかね?」
「んん、まあ、それでええわ」
「んー、えっと、まあ、あえて言うなら しいです」
「……んあ? よく聞き取れんかったわ。なんて?」
「だから、 しかったんですってば」
「からかっとるん? 肝心な所で口パクになっとるやん」
「んーもう! だ・か・らぁ! しかったって、さっきから……」
――ナイン。私は眠いんです。あんまり騒がないで……――
「……っとぉ。ごめんねピュリアさん。ティア様眠いって言ってるんで、寝ましょうか」
「って、ウチの質問に答えとらんのに……!」
「ティア様が、寝るって言ってるんだから、仕方ないじゃないですか。ほらほら」
「……! ティア様が言うとるんやったら、仕方ないな」
そう言って、ナインは血まみれのままの毛布を、無頓着に被った。
ティア様には逆らえないからしょうがないけど、それでもこの質問には答えて欲しかった。
『魔物が死んでも思うところはないんですか?』
そう目の前の男は聞いた。そして、それに対する自分の答えに偽りを混ぜたつもりはない。
では、こいつはどうなんだろう。
初めて『ご馳走部屋』を案内した時、こいつは笑顔を崩さなかった。
こいつの体にある傷痕は人間からの虐待の所為だって言うし、魔王様から、こいつが人間を嫌っていて、魔族の味方になりたいって要求を受け入れたって通達されてはいるけれど。
人間は、簡単に同族を見捨てられるんだろうか。
魔族は、魔物は別としても、魔族同士を見捨てることはしない。
少なくとも、仲の悪い種族はいても、命のやり取りのレベルで争うようなことはない。
だって、仲間なのに。
仲間が信用できないなら、人間って生き物はどうやって生きているんだ。
あんなか弱い生き物の癖に、どうやって今まで繁栄して来れたのか。
さっき実際にやったように、ひ弱なこの生き物は爪で一掻きするだけで死んでしまう。
実際に、何も不安がないようにまた図太く眠り出したこの男だって、その点で言えば代わらない筈なのに。
なんで人間を殺したばかりの自分を前にして、平気でそんな寝顔を晒せるのか。
「あんたは、本当はどっちの味方? 人間? それとも、ウチら……?」
人間にディアボロの情報を流そうとするスパイか。
本当に人間に絶望して人間の絶滅を願う、人類の裏切り者か。
あんたは、どっちなん?
……今はまだ、どっちでも良い。
自分の尻にえらい執着を見せられたが、それでも話をしていて存外に楽しい相手ではあるし。
どの道、アロマ様からのノルマが達成できなければ死ぬ運命だ。
そうだ、まだ、どっちでもいい。
今が楽しければ自分はそれで良い。
――そうそう。あまり深く考えないで良いのよ、小鳥ちゃん――
――ナインにあんまりああいった質問をされても困るし――
――今はもう忘れちゃいなさいな。良い子だから、ね――?




