世界が歪んだ瞬間
――十年前、イスタ北部、ナイル村。
現在、ファースト・ロストと呼ばれる地で、小さな戦が起きた。
しかし、それこそが魔族の侵略の始まりだったと言われている。
その村は、平和で暢気で、観光資源も何も無く、百年以上前から変わらない暮らしをしていたが、一つだけ変化があった。
サリア教の布教がなされたことである。
この宗教の宗主国であるセネカから司祭が送られ、教会もその時に建てられた。
精霊信仰が盛んであったこの村は、初めこそ新たなこの宗教に対して抵抗を持っていたものの、イスタ全体がセネカからの圧力に屈して国教をサリア教に定めたこと、また教会を支援する町や村に対して資金的援助を行うようにしたことから、ナイル村もその恩恵を受けるためにこの教えを受け入れた。
納得が行かないのは村の老人達と、何より与えずの森に住まうとされる精霊であったろう。
最後の拠り所であったナイル村からの信仰を失えば、精霊の力はこの上なく弱まってしまうのは明らかであり、ナイル村のシャーマンに不満をぶつけたところ、ただでさえ昔のシャーマンほど適性の無かった当代の不運なお役目は、耐え切れずに死んでしまった。
これに怯えた村人は、精霊を支持する者こそ僅かにいたが、多くの者が新たな神の庇護を求めて司祭に救いを求めた。
幸運であったのか不運であったのかは定かではないが、その司祭はナイル村の様な辺境に送られたのが不思議に思われるほどに、確かな信仰と法術の力を持っていたので、村に精霊の進入を拒む結界を張ることに成功した。
そして、村人達にこう伝えたのだ。
『与えずの森に住まうのは、人心を惑わす悪魔である。けして近づいてはいけない』
精霊と共に生きてきた老人達は、その言葉を受け入れなかったが、信心も薄れ、また結界と言う奇跡を目の当たりにしたことから、多くの村人達はサリア教に傾倒した。
そんな中、ある少年はしばしば教会で司祭の教えを聞きに行った。
その司祭は、信仰心は高くとも世渡りに難があったが、それ故に年代や価値観の違うものに対して臨機応変に神の言葉を噛み砕いて伝えることに長けたところがあった。
つまり、堅苦しい物言いが苦手だった為にこのような辺境に送られる羽目になったとも言えるが、ともあれその少年に対しても、出来る限り神の教えを伝えるよう努力した。
しかしこの少年、意外や意外、なかなかへそ曲がりであったから司祭も難儀した。
神が大地を創ったと述べれば、地の精霊がいなければ大地は固まらないと言い。
聖なる内海は、神の踵の痕であると述べれば、水の精霊によるものと言い。
この少年は、近所に住む精霊信仰派の老人達の長話に付き合っていたこともあるのだろう、中々神の教えを鵜呑みにしてくれないところがあった。
それでも根気強く話を進めれば、恐らくはその司祭の人徳もあったであろうが、話に納得してくれるようになった。
果ては、どうも単なる知識欲からのものであったようだが、サリア教の聖典まで諳んじることが出来るようになり、このような辺境でも敬虔な……とは言えないまでも、幼いながら立派な信徒が出来たことに、司祭は喜びを覚えたものであった。
ところがやはり子供は子供、入ってはいけないと教えたはずの森にその子が迷い込み、村全体で捜索する羽目になった際には、少年の無事を神に祈ったものだった。
結局その少年は無事に見つかり、父親に拳骨をくらって笑い話となったが、一つだけ気になることを言っていた。
――――悪魔なんか、いなかったよ――――
それから、その少年は教会に来なくなってしまった。
何度か村の中で見かけた際に、何故来なくなったのかを聞いても、黙って首を振るだけで、結局答えてくれる事はなかったが、少年の母親と世間話をした際にそれらしいことを聞くことが出来た。
『神様が、嘘をついたから』
結局司祭は、その言葉の真意を知ることなく、ファースト・ロストの災禍で命を散らした。




