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夢の終わり

「う、ぇほ、げぇっふ……!」


 ――あたりにもうもうと立ち込める煙の所為で、辺りの様子がわからない。


(クリスは無事か……?)


 すかさず彼女のいる部屋を見るが、特にそちらは崩れていない様子で、ひとまず安心する。


「……な、んだよ、一体……人が、ようやく死ねるってときにさぁ……」


 息も絶え絶えながら、思わずそんな事を愚痴る。

 人が永い眠りにつこうってのに、随分と風情の無い……。


 そう思って、座り込んだまま、首を上げた、瞬間。




づかばぇだ」




 そんな声。

 地獄の底から絞り出したような、カエルの潰れたときのような濁って汚れた声が耳に届き、自分の顔が何者かの手の平によって覆われた刹那。


「ぐぅっ、があああ……!?」


 じゅうじゅうと、普段聞くこともある音、だけどこんな距離で聞く筈が絶対にない音。

 鼻につく、僕の好きで嫌いな食べ物の匂い。

 かつて一度味わった、斬られたり殴られたりとは違う、耐えがたい痛み。

 それらが同時に襲ってきた。


 ――これは、肉が焼ける音、匂い、そして痛みだ。


 熱、炎。これらを扱う相手を僕は一人知っている。かつてリール・マールで相対した、使徒の一人……その名前は……。


「よ゛ぅナ゛イ゛ン、久じぶり」


 『白炎』ローグ・アグニス。

 かつて破ったその男が、先ほど失ったばかりの僕の左目の眼窩を抉りながら何かを潜り込ませてくる。その細い異物……たかが指にも、僕の事を苛め抜こうというように明確な殺意を持った熱量が伴っていて、熱い、痛い、痛い、苦しい……!


「んん゛? ……ぁんだ手前でめぇ、もう目んだまねぇのが。畜生ぢくしょうアビズの野郎、先取りしや゛がっで」


 そう言って、僕の体をポイ、と前に投げ捨てたその男は、態々こちらの正面に回り込んで来た。


 先ほどの戦闘の影響と熱で、今にも消えそうな意識、生命。それらを必死につないで残った右目で睨みつけると、彼の体は以前とは随分様変わりしていた。

 一言でいうなら、膨らんでいる。

 太ったという訳ではない。ただ、逆光で見にくい彼の輪郭が、普通の人間のシルエットとは大きく異なっていたから、そんな印象を受けた。

 ……目がだんだん慣れてきて、彼の姿が明確になってくる。首から、腕から、腹から、管のようなものが生えていて、それが体のあっちこっちに繋がっていて、異形の様相になり果てている。


 ……視界の端に映るのは、巨大な何者かの姿。ああ、思い出した。聞いたことがある、こいつは確か、人類唯一の、ドラゴンライダーだとか……。

 あれか、あのデカいのが竜か。騎竜なんかとは比べ物にならないくらいデカい……。

 あれに乗って、態々ここまで特攻かましてくれやがったのか。


「……ボロボロじゃねぇか、ア゛ァ? 何やっでんだよお前……死んじまうじゃね゛えが」


 そう言って、ローグは、まず僕の左腕の先……既にニーニーナに渡した分を残して消えた骨、その周りに絡みついている肉を握り。


 炎を放った。


「があぁぁぁ……!」


「お? お? いでぇか? 痛ぇのか? そりゃいい、生ぎてる証だ」


 次いで、脇腹にも同じ処置を。

 先ほど同様、無様な悲鳴を上げる僕に、嬉しそうにローグは笑った。


「血は止めだ。まだ死なれじゃ困る、お前はオ゛レに、オレの人生に傷をづけだんだ。一回死ぬぐれぇで許ずわげねえだろ? ……得意な゛んだろ、死んだふりがよ゛ぉ」


 ……どうしようもない痛みの中、ぼんやりとした思考の中でも、ローグの考えていることは分かる。何せ外道同士だ。彼が僕にどんな感情を持っていて、どんな事をしたいのか。

 よく……理解できる。


「死んでも生きがえらす。ま゛た殺す。そんでま゛た生き返らす。そんなのを得手にしでるヤヅがいるがらな。……オ゛レが満足するまで、お前は死なぜてやらね゛え……」


 ぐい、と髪の毛を掴んで持ち上げてきたローグきゅん。

 僕は、彼の目を覗き込む。これが僕に出来る最後の……最後の、やるべき事。


 ……ローグは、僕に対する執着だけでここに来た様子。独断専行、らしい。

 であるから、このままなら……クリスの事は気にせず、ただ僕を連れ出すだけで終わりそうだ。


 ……ああ、良かった。


 そう思って、だけど、万が一にもクリスの事を悟られない様に、目の前の男が他の物に気を取られない様に僕は、いつもの様にただのナインの顔で、ローグを見返す。


 さっきようやく取り戻したクリス=ナーガの顔を捨てて、卑屈に笑う。


 それを受けて、ローグも、嬉しそうに笑い返した。


「無限に(ごろ)し続げでやる。お前は一生、オ゛レの玩具だ」


 ローグはそう言って、僕の顔を床に叩きつけた。


 意識が、消えていく。


 彼をがっかりさせてやろうと、舌を噛んでやろうと思ったけれど。それに気づいたローグが八つ当たりして暴れているうちに、クリスの存在に気付かれるかもしれない。

 そんな僅かな、だけどあり得る可能性が頭をよぎって、この場で死んでやることはできなかった。


 限りない憎悪の中で、僕という存在が消えていく。僕の終わりは、やっぱり外道に相応しい血なまぐささの中で、虚偽と戯言たわごとと共に、という訳だ。

 夕陽を見ながら綺麗に死ねるだなんて……やっぱりあれだね、そんなのは甘え過ぎだね。


 ……ありがとよローグきゅん。僕という愚図に相応しい結末を彩ってくれてさ。


 はん。くそったれ。

 畜生クソッタレが。


 ああ。やっと終わる。ずっと前から死にたかったんだ、拷問されようが、僕のやる事はもう終わりさ。後は死ぬだけなら、手間が減っていいさ。

 うんざりだ、もうこんな悪意ばかりの世界で。どうせ、正気だってもう持たない。廃人をいたぶったってすぐ飽きるだろう。頃合いを見て死んでやれば、ローグだって満足するだろうさ。ようやくこの世からおさらばだ、さっぱりできる。

 清々すらぁ、鼻で笑ってやるってなもんだ。


 くそ。

 ……ああ。


 死にたくねえ。

 死にたくねえなあ。


 楽しかったのに。やっとこんな僕にも居場所が……。

 ……もうちょっとだけ。皆と、もう少しだけ仲良く……。


 あああ、もう駄目だ、意識が消える。僕が、僕でいられる時間が終わる……。


 ――クリス……初恋の女の子。天使のような僕の魔王……。

 それと……こんな僕の、居場所になってくれた皆。


 ……どうか、無事で……。






 ――――――――――





 ――人質の救出を命ぜられていたエレクトラ・ヴィラ・デトラは、現場への到着直前に、先ほどまで立っていた筈のテントが全て消失していたことを確認して、自分の仕事は失敗したということに気付く。


 だけど、それ以上に、第六感に囁くものがあって、振り返って城を仰ぎ見る。


「……ナインちゃん、お姉様……」


 ……エレクトラは隣にいる、ピュリアというハーピー……よく、ナインとつるんでいたらしいが、彼女が自分と同じように細めた目で城を見上げていて。

 そして、二人ともが、そこから大きな何かが飛び立ったのを見て。

 何か、良くないことが起こったことを確信した。





 ――――――――――





 ――クリスとナインが心配ではあったが、侵入できないまま立ち往生していてもしょうがないという事で、アロマとガロンは王の間への入り口から離れ、各部署に指示を出していた。

 特にエヴァについては、空間の隔離への対処を求めるために指示を出そうとしたが、捕まらないとのことであった。セルフィには既に指示を出しているから、何かあったとしても自分の裁量で最適な判断をしてくれるだろう。陛下の陰に付けとは言ったが、あの状況では難しかろうから。


 ……しかし、城内で、大きな、不自然な振動が感じられた。城内での戦闘の音であれば、玉座以外には考えられない。空間の隔離が解けたのだと判断したアロマは、すぐ傍にいたアリスに同行を命じ、元居た場所に戻る。


 すると、果たして、先ほどまで入れなかった部屋に入ることが出来た。

 中の惨状を認めて、二人は思わず眉をひそめる。


「陛下……? ナイン?」


 恐る恐る歩を進めてみても、そこには誰もいなかった。

 魔王とナインだけではない、使徒も、勇者も、誰もいない。


 明らかな異常だ。アロマとアリスは、警戒しながら呼びかけるが、返事はない。


 ……すると、コトリ、という音が隣から響く。休憩室の方だ。


「陛下、ですか……? そこにいらっしゃるのですか?」


 ……最悪の事態すら、自分の脳は想定している。しかし、それでも恐らくそこにいるのはクリスだろうという確信があって、アロマは休憩室の扉を開けた。


「だぁれ……?」


「ああ、陛下! ご無事でしたか……!」


 内装がひどく乱れていることも気にせず思わず駆け寄るが、すぐにクリスの様子がおかしいことに気付く。


 雰囲気が、違う。いつものクリステラではない。戦闘の後とはとても思えず、胸元に部屋備え付けの熊のぬいぐるみを抱えてしゃがみ込んだまま、アロマを見開いた眼で見つめ返すのみだ。


「……お姉ちゃん、だれ? マーちんに似てるね」


「……ク、リス……?」


「ねえお姉ちゃん。あのお兄ちゃん、どこ行ったの?」


「…………お兄ちゃん、とは」


「お兄ちゃんがね、あたしにね、『僕が良いって言うまで、出てきちゃいけないよ』って言ったの。だからね、あたし待ってるの」


「……! アリス! 今すぐ、陛下を安全なところにお連れします。人間の侵攻のおそれがある為、一旦この城は放棄。シャイターンに退きます、その旨の連絡を」


「はい」


「それと……陛下については他言無用ですわ。絶対に……絶対に誰にも知られない様に、外にお連れできるようになさい」


「……はい」


 休憩室の入り口で控えていたアリスは、項垂れたまま、一瞬の間をおいて返事をした。

 そして、すぐさま踵を返す。二人は事情を理解した、理解してしまった。


 魔王は、負けたのだ。この場にいるのは、ただ命をながらえて……『こう』成り果ててしまった、クリステラという一人の魔族でしかない。


 そして、彼女の代わりに誰が戦ったのか。その結果、どうなったのか。


 誰もいない戦場の跡。それが、全てを物語っていた。


「お兄ちゃんがね、良い子にしてなさいって。ちゃんと守ってあげるからって……」


「ええ、ええ。存じ上げております。私は、彼から貴女をお迎えに上がるようにと仰せつかっておりますわ」


「そうなの? ……お兄ちゃん、大丈夫だったの?」


「……ええ、もちろん。ご安心くださいな。ですから……」


「……良かった」


 そう呟いて、クリスは少し頭を揺らした。


「ごめんなさい、ちょっと、眠いの……だけど、心配だったから起きてなきゃって……」


 クリステラは、ゆっくりと横に倒れ込んでいく。

 眠りに落ちたその体……細い彼女を胸に抱いて、アロマは彼女の顔を見る。

 幼い表情だ。幼馴染である自分は、彼女がかつてこんな表情をしていた事を知っている。


「……まだ、クリスは生きているわ」


 クリステラは生きている。しかし相対した瞬間に気付いた。彼女は、力を失っている。

 即ち、人間への最大の抑止力が失われたという事だ。


 魔族が、人間に与えていた、絶対的な恐怖の象徴が、実質的に失われたという事だ。


 だとしても。だとしてもこの娘が生きている以上は、自分達は負けていない。


「我々は、まだ終わらない。終わってなんかいない……! パパ、貴方の事も絶対に探し出します、必ず見つけ出しますから――!」


 我々は負けない。人間になど負けない。

 運命を克服することを、諦めない――!

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