たった一つの冴えたやり方
――あの人間の生を望むのが、クリス、エル、ガロン。
死を望む、あるいは結果的に死ぬことになることを望むのが私とエヴァ。
対立構造になってしまった。
しかもこっちが不利。
だが、クリスとエルちゃんがここまで執着する理由も良く分からない。
何度か聞いてみても、はぐらかすばかりで明確な答えはくれなかったし。
ガロンは、結構な人間嫌いの癖に、まさか情が湧いてしまうとは思わなかったし、所詮小娘だったかしら………。
なんかみんな、段々ヒートアップしてるし……!
「奴隷としてここの予算で購入したのであれば、自分にも使用する権利はあるはずだ」
「駄目だな、あれは余の所有物だ。くれてやるわけにはいかん」
「違うわお姉様。あの子は私のよ。お姉様にはあげないから!」
「おいおい、なに熱くなってんだよ。ってか、あいつは一応オレの教え子なんだぜ、まずはこっちに話を通すのが筋ってもんじゃねえか」
「……犬っころは黙っていたまえ。あのサンプルは、自分に任せてもらいたい。必ずや今後の研究の一助となる……」
「誰が犬っころだ、ああ!? エヴァ、テメェぶっ殺すぞ!」
なんか今にも殴り合いになりそうな状態になっちゃってるし……!
「……ガロンさんも落ち着いてください。人間ごときの為に、私達が争ってどうなるんです?」
「アロマはすっこんでろ! オレは、犬扱いした奴を生かしておくつもりはねえ!」
「……落ち着けガロン。それにエヴァ、どのみち余は奴を手放すつもりがない。人間のサンプルが欲しければ、また今度仕入れてきてやる」
「……クリス。自分の言うことが聞けないのか?」
「エヴァ様、今のお姉様はここの最高権力者なのよ? 昔とは違うんだから、凄んだって無駄」
「エル、お前も自分に逆らうのか」
まずい。
このままだと取り返しのつかない大喧嘩になってしまいそう。
仕方ない、ええと、ええと、何か仲裁案は……そうだ!
「皆さん、ちょっと注目!」
手を打って、みんなの目をこっちに向けさせる。
「とりあえず、意見をまとめましょう。陛下、妹様、ガロンさんは、あの人間に生きていて貰う必要がある。そうですわね?」
銘々がうなずくのを見て、今度はエヴァに顔を向ける。
「エヴァ、貴女はサンプルとして、あの人間を貰い受けたい。その場合、サンプルを生かして戻すことは可能ですか?」
「……無理だな。自分の考えている実験では、確実に死ぬことになる」
「でも、その研究は、確実に魔族へのメリットはあるんですね?」
「勿論だ」
む、とクリスが眉をしかめた。
私の言いたいことが分かったのだろう。
「三人は、あの人間を生かしておきたい。でも、そのことによる魔族への貢献は無し。エヴァは、あの人間を実験に使うことで魔族に貢献できる」
そこで、私は一度全員の顔を見渡した。
クリスとエヴァは、これからの話の流れが分かったのか、落ち着いて聞いている。
ガロンは何か言いたそうではあるが、結局口をつぐんだ。
エルちゃんは、まだ話が見えていないのか首をひねっていた。
「ではこうしましょう。あの人間が我々に、つまり魔族に貢献できる存在だと証明してもらいます」
「……つまり、どういうこと?」
エルちゃんが先ほどと逆方向に首をひねって尋ねてきた。
……この子には悪いけれど、そちらに不利な条件を出させてもらおう。
「曲がりなりにも、予算で買った奴隷です。ならば、生かしておくことに目に見える利益が無ければ、エヴァのサンプルにした方が有益だ、という話ですわ」
「条件はなんだね?」
風向き良しと見たか、エヴァが食いついてきた。
「アレに人間を百匹、捕まえて来て貰いましょう。食料としてね。アグスタの外に出すことになりますから、ピュリアを脱走防止用のお目付け役としてつけます。期間は一ヶ月………こんなところでいかがでしょう」
「そんなの無理に決まってんだろ!」
いきり立ち、牙をむいて反駁したのはガロンだった。
彼女の反応は当然とも言える。
こんな条件、達成できるわけがない。
元奴隷商と言えど、小間使いごときがこれだけの人数を集めるコネクションを持っているはずもないし、貧しい者であれば子供を売ることもあるが、魔族領に売られると聞いて平気で手放す者は少ない。
何より奴は一文なしだ。
「……ガロン、これって、難しいのかしら」
世間知らずのエルちゃんは、まだこの条件の困難さに理解が及んでいないもののガロンの反応から不安げな表情をして、袖を引っ張っていた。
しかし、クリスだけは違った。
「……面白い」
魔王陛下は、まるで、獲物を見つけたかのような獰猛な笑みを見せて、こちらに振り向いた。
「だが、百匹では条件に釣り合わんな」
「……確かにちょっと多いですけれど、これ以上減らすつもりは……」
「逆だ。少なすぎる。二百匹にしろ」
その、明らかに自分達にとって不利な条件をクリスは堂々と持ち出してきた。
「な……何言ってんですお嬢!」
「どうしたガロン、さっきからお前らしくもない。随分アレの肩を持つな、奴に首輪でもはめられたか?」
「じょじょ、冗談はよしてくれよ! 想像したくもねぇ……!」
人狼は自分の全てを捧げるに足る主を見つけた時、その首に枷をはめることを許すという。
それはつまり、人狼にとって婚姻に勝る、絶対的な従属を誓う誓約であるのだ。
ガロンは両腕をさすり、本当に寒気を感じているような様子で顔を引き攣らせていた。
……と言うより、らしくないのはクリスだと思う。
ガロンに水を向けていても、自分が一番あの人間に執着しているように見える。
なのに、今度は自分に不利な条件を出してきて、正直何を考えているのか。
「どのみちこのままではアロマは納得すまい。なら、倍の条件で仕事をこなせば、認めざるを得んだろう」
うぐ。
見透かされてる。
こんな時でなければクリスの成長を喜べるのに。
「……一つだけ条件の確認をしておきたい」
そこで、今まで黙って状況を静観していたエヴァが口を開いた。
少なくとも、彼女にとっては一番都合のいい話に落ち着くと見たからだろう。
まあ、結局私が望む方向でもあるけれど。
「捕らえる人間については、食料として、と言っていたが、生死問わずか?」
「それは勿論、生きている者だけですわ。墓荒らしでもして骨でも拾ってこられてはたまりませんし、鮮度の問題もあります。ここは譲れません」
「お、おい待てよ、それじゃあ圧倒的にこっちが不利……」
「構わん。その位の事はこなしてもらわねば、余にとっても価値がないからな」
……どこからその自信が来るのかは分からないが、クリスが胸を張って言いきったので、ガロンは言い募ろうとしたものの結局口をつぐんだ。
「決まりですわね……ああ、ありえないとは思いますが、もう一つ確認しておきます。アレが人間を捕らえるに当たっては、この場にいる者は手出し無用でお願いしますわ」
「当然だ」
あの家畜の尊厳は自分が全て持っている、と言わんばかりに、魔王らしく、傲然とクリスは言った。
その一言で、奴の死は決まったも同然なのに。
……最後まで、幼馴染であり、魔王でもある彼女の心は、推し量れないままだった。
話がまとまり(ガロンだけは最後まで納得いかないといった表情であったが)、全員が部屋を出て行く段になって、エルちゃんが立ち止まってこちらを向いた。
「……妹様、どうなさいましたの?」
「私、アロマが出した条件がどのくらい難しいか分からなかったのだけど」
……まあ、彼女にとっては残念な結果になるだろうが、これも仕方ない。
あの人間を消すのは、この娘のためでもある。
エルちゃんが倒れた真相は分からないままだし、何よりあの人間にこだわる理由にしても不明だ。
この娘が話したがらない以上、不安要素はできる限り排除しておきたいというのが本音である。
あの人間は、エルちゃんに限らず、魔族にとっての癌である。
女の勘がそう言っている。
「……あの人間が真に魔族にとって必要な者ならば、きっとこなしてみせるでしょう」
そう言葉を濁しておいたら、エルちゃんは、一言ぽつりと呟いて、その場を去った。
――各々が出て行き、やっと執務室に静寂が戻った後、アリスが飛び込んできた。
「アロマ様! エヴァ司書長にちょっと言ってやってください!」
……鬱憤晴らしのカモがやってきた。
せっかく取り戻せた、私の心の平穏を乱した罰を与えてやろう。
八つ当たりだけど。
……ただ、一つ気になるのは、エルちゃんが去り際に言った一言だ。
「……あの子、怖い人間だよ。アロマ、あんまり変なちょっかい出さない方がいいと思う」
……人間など、恐れるに足りない。
エルちゃんは、あの狂人の雰囲気にあてられてしまっただけだ。
そう思うのだが、何故か彼女の一言が耳に残り、胸がざわざわする感覚は消えなかった。




