対照
大きな城門、立派な石造りの城壁。城の機能として一つだけ違うのは、飛翔種族が発着するためであろう、屋上に設けられている広いスペース。
……魔族の建築様式が人間のそれとあまり変わらないのは知っていたが、目にするのは初めてであった。
「そんなに物珍しいものかしら? 城が血の色をしていたり、人間が磔にされているとでも思っていたのですか?」
そう言ってくすくすと笑うアロマに、アビスは言葉少なに――内心に比してのことだが――返す。
「……あり得なくはないと思っていたよ。それは自虐かい? イスタのアケルダマで『白痴』が何を行ったか、君達は忘れたのか? ……我々の身内にはそこの出身の者もいる。言っている意味が分かるかい?」
「ふふふ」
「…………」
そのまま無言で、彼らは共に歩く。そうして城の正門に到着したとき、アロマはそこを衛兵に開けさせた。
彼らは、ただただ、アビスらを睨みつけていた。
……城の外から、城の中へ。
城の敷地内であっても無論警戒はしていたが、城内に入り込んだことで、より一層その度合いは上がっていく。この作戦の前日に、連絡が取れなくなった密偵の一人が、首だけになって大聖堂に帰って来たという報告は既に受けている。
密偵達と違い、この場所に真っ当な手段で入ったのは、恐らくは自分たちが初めてだろう。絶対にこのチャンスを逃すわけにはいかない。
……そんなアビスの思いをくみ取ったのか、未だに言葉を発しないサリーは、軽く掴んでいたアビスの右手を、胸にぎゅっと抱きかかえるように持ち替えた。歩きにくいだけではなく、いざという時に彼女を守れないことを考慮して、そっとアビスは彼女を撫でて、己の身から離れさせた。
歩みを進めていくと、やはり知識として知っている相手の姿が目に入った。
廊下の真ん中に、腕を組んで仁王立ちしている赤毛の人狼。
アロマに負けず劣らず肉感的でありながら、受ける印象は対照的であった。
鍛え上げられた体だというのは、所々露出しているその無駄のない筋肉からもわかる。戦闘装束自体が動きやすそうな軽装で、しかし傷一つない彼女は、並みの戦士ではない。
元より、その組んだ右腕に刻まれた印は、彼女が何者であるかをこちらにありありと分からせる。
「ガロンさん。ご挨拶なさい」
「……ガロン・ヴァ―ミリオンだ」
魔王親衛隊長にして、ディアボロの中でも一、二を争うほどの戦闘強者。
こちらに体を向けていながら、目を合わせることなくぼそりと呟いた彼女の静かな様子は、前評判とは随分と異なっているとアビスは思う。
ディアボロにおける人間殲滅派の最右翼である彼女が案内に加わるのは、全く晴天の霹靂であった。
出会った瞬間、殺し合いに発展してもおかしくないどころか、むしろそれが自然である。
しかし、彼女の後ろ側に続く廊下の一部が不自然に抉れ、その下に掃除する暇もなかったかのようにこぼれた石片をみるに、それが彼女の不満の現れであったのだろうと、アビスは勝手に納得する。
ともあれ、一応自己紹介をしてみたが、やはり彼女からの返事はなかった。
アロマとガロンが先導し、その後ろをアビスとサリーは付いていく。
「……あと、どれくらいで着くんだい?」
「五分ほど」
言葉少なに帰って来た、アロマからの返事。
魔族に質問し、その返事が返ってくる。この場所は、人間を長年苦しめ、そして自分の故郷を滅ぼした魔族達の一大拠点。
そして自分たちは、彼らの支えであるクリステラ・ヴァーラ・デトラを滅ぼす為にこうして策により城内に入り込んでいる。
全てが、非現実的であった。
アビスは、ただ、人間を守りたいとの一心で使徒になった。
魔族に家族を奪われ、故郷を焼かれ、身寄りのなくなった自分を受け入れてくれたサリア教団に尽くす為に、人生の大半を捧げてきた。
その中で、今、隣を歩くサリーという少女と出会った。人間全て、という抽象的なものだけではなく、この女の子を守りたいという、確固たる意志が固まった。
……サリーが自分に預けられたのが、上層部のいかなる思惑によるものであったかは知らないし、構わない。彼らが常に正義を行うわけではないのは、大人になった今、既に知っている。
しかし、サリア教の教え自体は、アビスにとって完全な正義であった。それに基づく、人間の未熟さによる不完全な正義であっても、何も為さないで良しとする偽善よりは余程尊いと信じていた。
守るべきものが出来た。そして、サリーは、人間は、自分にとっては守るべき価値があるものだった。
それだけで良かった。
アビスは、希望に満ちている。たとえ今日この日、上層部の見込みが間違っており、魔王を滅ぼすことが叶わなかったとしても構わない。
自分は正義のために生きている。
そして、人間は成長できる生き物だ。例え今、完全な正義を、神の愛を実践することが出来なくても、いつかはそれが出来るように努力できる生き物だと、そう信じている。
平和を手に入れ、それを腐らせることなく保つ為に努力していく。そんな世の中の礎になること以上に尊いことはない。
……アビス・ヘレンは、人間を愛していた。
綺麗なばかりではなくとも、その中に光るものを持つ人間という存在を愛してきた。
故郷を滅ぼされ、苦涯の中にありながら、なお希望の中に生きてきた。
その芯の強さこそを、無知であっても生まれながらに賢明で純朴な勇者は理解し、愛した。
互いの辛さを、彼と彼女は幾度もの触れ合いを重ねた中で理解し合い、そして今、互いの強さを信じ合ってこの場に立っている。
……アビスと同じような出自を持ちながら、対照的な性質を持ったとある一人の男がいる。
己の故郷を魔族の手によって失い、神を唾棄し、かつて知った人間の美しさを苦難の中で忘れ、人間が愛し愛される存在であることも忘れ、絶望の中ただ憎悪だけを保ち。
ため込んだ憎悪を愛情と呼び、歪みに歪んだ復讐を為そうとし、その動機すらも……幸福だった時の記憶すらも奪われ。
惨めさばかりを噛み締めて、己の生の悲しさすら認めることが出来ず、泣くことも忘れた男。
彼の名前は、ナインという。
己を愛した両親に授かった本当の名前すらその人生から取りこぼした、自分を含めて誰を信じることもできなくなった哀れな男。
……アビスは、あと五分……アロマが告げた時間の後、その男と再会する。




