魔王城
ふわふわと波打つ、美しい金髪の女。
体をゆるく覆うドレス、耳から下がるイヤリングかピアスか、いずれも豪奢過ぎないが、それが故に、服と言うものがその女の美しさを際立てるものでしかないと周りに知らしめている。
しかし、笑顔でありながらぞっとするほどに凄絶な雰囲気の彼女の頭部には、人間と明らかに異なるものがついていた。
くるくると巻いた、まるで羊のように大きな角。
それらの彼女の特徴からアビス・ヘレンは、目の前にいる女が誰なのかを即座に理解した。
「ようこそ、勇敢な人間達。我らが陛下の居城へよくぞいらっしゃいました。ディアボロはあなた方の来訪を心から歓迎いたしますわ」
そう、アビスとサリーを城門から呼びかけたのは、ディアボロの宰相、アロマ・サジェスタであった。
シャイターンなど他領とも繋がりが深く、果てはインディラとまで関わりがあると言われている彼女はとりわけ人間にとっては悪名高い。
アグスタ内における地域別、派閥別の連携がアロマの采配によって有機的に行われているのは、サリア教団の上層部では良く知られている事実だ。彼女の存在によって、人間側が手痛い打撃を受けたのは一度や二度ではない。人間が魔族の討伐にあたり想定していた以上の苦戦を強いられ、各国の軍部と関わりのあった上層部の何人かが更迭されたこともある。
アビスだけではなく使徒は当然、彼女の事をひどく警戒していた。
その当人がここまで出迎えに来たということに、アビスは酷く驚いた。彼女が表に顔を出すのは、魔王クリステラほどではないが、あまりないことだ。
「あら、驚いておられますわね」
「……急な来訪に応じていただき、どうも」
アロマの言葉は事実だったが、僅かでも弱みを見せるのを嫌ったアビスが、言葉少なく返す。
社交辞令的な感謝すらも最低限にしているのは、彼自身の持つ魔族に対する敵意からだけではない。己が交渉役としては未熟であることを自覚している為に、言質を取らせないためだ。
また、サリア教徒の扱う法術には存在しない技術のうち、他人の言葉を媒介とした術をも彼女は使用しうるとの噂が、アビスの警戒をより強めている。
「……まあ、そんなに気を張らず楽になさいませ。本来真っ当なお客様であれば来賓室でお待ちいただくことになるのですが……陛下はあなた方の来訪を心から喜ばれ、またお会いすることを楽しみにしておられます。お疲れの中申し訳ありませんが、このまま陛下にお会いになっていただきますわ」
その言葉に、アビスは耳を疑った。
ディアボロに到着した後は、どんな事をしてでも勇者たるサリー・スノウホワイトを魔王の前まで連れていくことが自分の使命であった。
つまりそれは、魔族らが例え人質の安全を無視してでも彼らの抹殺に動く可能性を考慮していたことでもある。
正直、城門に来るまでに奇襲を受けなかったことだけでもアビスは奇跡だと思っていた。
「……本当かい? 彼女は、人間の前に顔を見せることなど殆どないと聞くが」
「あらあら」
そう言ってアロマは、張り付いたままの笑顔をほんの少しだけ傾けた。
「それを望んだのは、あなた方でしょう? 大変な手土産のご用意までしていただきましたので、我々もお持て成しに力を入れませんと」
「…………」
それが、こちらがとった人質のことを強力に揶揄していることは、アロマの笑顔の奥、その目の光からも明らかであった。
……アビスとしても、今回の作戦に思うところがないわけではない。これは、明らかに正義に悖る行いであることを自覚している。
しかしこの非道を行うことにより、人間が平和な生活を送るための礎となるならば、甘んじて後年の非難をも受け入れようと思っていた。ただ、サリー……勇者の功績を汚すことの無いよう、自分たちが責任を全て負う覚悟で、アビスはこの場所に臨んでいる。
無論、ここで死ぬ覚悟も、サリーを命を懸けて守り、確実にセネカに戻す覚悟も、そのいずれをも持ち合わせている。
「……お疑いになるのは結構ですけれど、陛下の命令は絶対ですわ。陛下がお会いになると判断されたなら、それを叶えるのが我らの使命。求心力のない人間の王のそれとは……また異なるやもしれませんわね。信用するかしないかは、お任せいたします」
アロマは、己たちが先ほど行ったやり取りの残滓すら見せずに、そう言って微笑んだ。
「……では、案内を願う。遅ればせながら、自己紹介はしておくよ。知っているかもしれないが、僕の名前はアビス・ヘレン。サリア教団所属、使徒の第十二位を拝命している」
そう言ってアビスは、先ほどから黙ったままの、己の後ろに隠れていた少女を紹介する。
「そしてこちらが、我らがサリア教団における祭祀継承者、サリー・スノウホワイトだ。……そちらでは、勇者と言う方が通りが良いかな」
「……ええ。そちらが陛下のことを魔王と呼ぶようにね。最近では、こちらも好んで言う名前ですが」
初めまして、とアロマはサリーに笑いかける。
サリーはその笑みに対して、一切の反応をしなかった。ただ、彼女が掴んでいるアビスの右腕、その袖の皺がより深くなった。
アロマは、その様子を気にもせず、ただサリーの事を観察する。
そうして、アビスもサリーも、本当に武器を携帯していないこと。
アビス・ヘレン一人であれば、己のみでは難しいが、ガロンと協働することで殺害し得ること。
……勇者サリー・スノウホワイトは、身体能力においてはただの人間の少女でしかないこと。
何より、最も警戒していたことだが、サリーからは魔力が全く感じられないこと。
それらを初見で判断し、城内に招いても全く問題ないと判断した。
……無論、『問題がない』というのは、たった一つ、クリステラを害し得ないということである。
判断を終え、アロマは形ばかりの笑みをより深めて二人に向き直り、体を開いて城内へ招き入れた。
「では、こちらも改めまして。ディアボロの王にしてアグスタに住まう魔族及び獣人の盟主たるクリステラ・ヴァーラ・デトラが右腕、アロマ・サジェスタと申します。本日は、どうぞよろしく」
こうして、挨拶、話の要件、根回しの全てが転倒し、互いが悪意と不信に塗れたまま、魔王と人間との邂逅がなされることとなった。




