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蛇の民

「お手数をおかけしました」

「まったくだよ」


 後始末が一段落し、胸をなでおろした僕の目の前に座るのは、年齢不詳ダークエルフのエヴァ・カルマである。


 彼女は、砂糖も入っていないコーヒーを啜りながらそうぼやいた。


「荒事は嫌いだの言っていなかったかね」

「降りかかった火の粉ぐらいには対処しますさね。それにほら、陛下のおごはん、やっぱり毒が盛られてたでしょう?」

「……たかが毒ごときで。自分のラボの検査技術は、人間の最新鋭のそれを超えているんだぞ。その程度のことで使われるのはむしろ業腹だ」


 よりにもよって、と言うか。幸いなことに、と言うか。


 ……最初に現場に現れたのがエヴァさんだったから、彼女に後始末を頼んでしまうことにした。

 正直、どうしたものかと思っていたから、変に疑われる相手よりは、多少気安い仲の彼女が来てくれたことは、ありがたかったのかもしれない。


 ほい、と魔法陣を描くのに5秒。

 それだけで、その場にあったあらゆるものを、彼女の生息地である図書室に運んでしまった。

 僕も彼女も、一緒くたに。非常に助かりはしたが、しかし、おかしい点が一つあった。


「なんで服脱がないで転移できたんですか。おかしいじゃないですか、融合するリスクがあるから危ないんでしょうが」


「この城は私のテリトリーでもある。城内の転移で術式を失敗するなどありえないからな、危険性の考慮など不要だ」


「そんな油断が残念な結果を呼ぶんですよ! 研究だのなんだの言って言い訳して食っちゃ寝してたら体型まで油断した有様になりますよ。偶には男の目に触れさせなきゃ。脱がなきゃ。裸じゃない貴女にどれほどの価値があるってんですか。貴女、ヨゴレでしょうが」


「ふ、ふざけるな! ヨゴレとはなんだ、君が勝手に人の裸を何度も遠慮なく見たくせに、その言い分はありえないだろう!」


「一体いつの話をしてるんですか。もう忘れちゃいましたよそんなもんは」


「そ、そんなもん……人の体を見ておいて……そんなもん……」


 

 パクパクと口を何度か鯉のように開閉させたエヴァさんは、そのまま放心した。


 嘘だが。忘れるわけは無いのだが。

 彼女の全裸ハイキックは不幸続きな僕の人生、数少ない幸福ハイライトの一つである。


 ともあれ、現場をあのままにするわけにはいかなかった以上、後始末をしてくれた彼女をこれ以上辱めるのも気の毒だ。

 僕も、筋は通す男だ。

 向かい合って座っているエヴァさんに対し、僕は真摯に声をかける。



「エヴァ先輩さっきはあざーっす」



 鼻をほじりながらお礼だけは言ってみると、次の瞬間側頭部に衝撃が走った。

 半回転して、反対の側頭部にも大ダメージを受けた。


 彼女の蹴りは、相変わらずの切れ味だった。




 閑話休題。



「ごめんなさいは?」

「ごめんなさいでした」


 未だに歪んだ視界がゆらゆら、僕の目は床の模様をぐねぐね写す。

 最早お定まりの、四つん這いポーズである。

 彼女の尻に文字通り敷かれながら、謝罪する。

 意趣返しにこんな発想が出てくるあたり、彼女がクリスの師匠だというのが伺える。


 だけどありがたかったのは本当なので、改めて。


「いやいや、実際ね、本当に助かりました。他の人に見られるとまた面倒というか、心配かけちゃうっていうか……」

「まったく。君は本当にまったく残念な男だ。やはりあの時サンプルにしてしまえば良かったと思う」


 それは勘弁してほしいところである。

 しかし、声に柔らかさが戻ってきたあたり、怒りがだいぶほどけてきたようで一安心だ。


「感謝しているなら、君の血液を貰ってもいいだろうか。何、死ぬまでは取らない。その手前までだ」


 こっちが気を許そうとするとすぐにモルモット扱いするのが、この人の油断ならないところなのだが。こっちとしても扱いがぞんざいにならざるを得ない一因なのだが。まあ、今回は聞き流しておこう。


 ひとまずのお許しを得て、背中から降りてもらう。


「そう言えば、最近資料漁りで籠りっきりだって聞いてましたが」

「流石に一月以上も引きこもれば飽きも来る。新鮮な空気でも吸おうと思って外に出てみればあの有様だ。君は本当に面倒ばかり持ってくるな」


 今回の件については、僕は別にそんなに悪くないと思う。

 むしろ、クリスを害する者を排除したという点においては褒められてもいいくらいだ。


 そんな僕の不満げな表情を見て取ったのか、


「アレだって、仮にも魔王だぞ。シャイターンの秘薬であればまだしも、人間が調合できる毒などで気安く殺せてたまるか。どうせ、クリスの元にたどり着く前にセルフィあたりが始末していただろうがね」


 やっぱり毒は効かないのか。いやしかし、魔族にも薬師はいるし、薬が効くのに毒は効かないんですかね。


 いや、下剤を盛ろうとしといて今更なんだけど。

 下剤は多分効くと思うけど。

 何故って、お腹を抑えてぷるぷるしながらトイレに向かうクリスを見てみたいから。

 そんなシチュエーションを実現させうる可能性がこの世界に存在していて欲しいから。


「やっぱりセルフィさん、只者じゃないんですね」


「それは、な。それはそうだ。何せ、今は亡びた吸血鬼の、最後の生き残りだ。というより……」


「というより?」


「吸血鬼、というのはおそらく、元々奴が……いや。推測も混じっているからすよ」


 気になるところで話を切るなあ。勿体ぶりは嫌われるよ。人のこと言えないけど。


「いいですけどさ、結局エヴァさん、最近何やってたんです? 調べものっても、今更そんな必死こいてやることなんてあったんですか?」


「何を言っている。君が教えてくれた、精霊の話にも関わることだ」


「へえ?」


「精霊とは、『精霊達』ではなく、元々一つの存在を指していた。成程盲点だったよ。精霊信仰者が口にしていた、幾多も引き起こされたという、一見整合性のない奇跡……当然集団の行いが虚実合わさり、神格化されて伝えられた伝承だと、自分もそんな先入観に囚われていた」


 学者さんは言葉尻を掘り下げるのが好きだねえ。

 まあ、正しいんだけどさ。

 リール・マールではあんだけお手伝いしてくれたエヴァさんに、ちょっとしたご褒美と言うか、そんな感じで教えてあげた話だが、人から改めて聞くと確かに新鮮だ。


「精霊信仰者の生の声を聞けるのは貴重なのさ。蛇にまつわり、蛇に捧げる。蛇をまとわせ、蛇を捧げる。自然信仰に近しいようだが、蛇から始まって蛇に終わる不思議な信仰。ナイル村だけではなく、各地の資料を参照しても、蛇、蛇、蛇。あの手足もない珍妙な生物がどれだけ好きなんだと思ったよ。クリスなどは、あの生き物が大嫌いなようだがね」



 ――精霊信仰者。精霊信奉者とも、蛇の民とも呼ばれる。


 彼らの言によれば、世界は全て蛇の手によるものだという。手などないのに。


 例えば、ホールズの大地は己の尾を食らう蛇であるという。

 水は蛇の血液、あるいは涙。川、海、湖、沼。恵みを生み出した、一なるもの。

 口から苛烈な炎を吐き、尾を薙げばありとあらゆる物は吹き払われる。

 その身から剣を生み、英雄譚の母ともなる。

 人を見据える目は、覗き込んだ自身の本質を鏡のように映し出す。

 あるいは、その際限なく開く口が、世界を飲み込み、終わらせる。


 清浄にして、汚濁そのもの。

 毒ある知恵。知恵とは毒ありき。

 神への反逆者。裏切りをもって世界の意思を実行する、この世そのものに額づく忠臣。


 蛇を介して世界に繋がることを教義とする、一種の信仰だ。


 何故、蛇が世界の媒介者として選ばれたのかは、不明である。

 蛇をこれほど崇拝するのであれば、蛇自身が精霊と扱われていてもおかしくない、というよりよほど自然であるが、どうもそうではないらしい。

 では、信仰対象たる本尊は何なのか。既に名も失われている。

 精霊信仰は、いつから始まったのか。どうも、旧世界に由来するらしい。


 蛇に始まり、蛇に終わる。ただそれのみが一般には知られているが、それ以上はよく分からない。


 胡散臭い土着宗教だと割り切るには、あまりに歴史が深すぎる。しかし偽書が多すぎる。

 魔族らに影響のない些事だとすることができなかったのは、彼らこそが旧世界と今世の歴史を繋ぐ鍵だと、そう言い伝えられてきたからだ。彼らの間のみならず、彼らに敵対してきた者達の間でも。


 精霊信仰の存在を知る者は少なくないが、では何なのかと言うと答えられる者はいない。


 結局、『よく分からないもの』。それが精霊信仰だ。


 ……と、以上がエヴァさんの言なのだが。


「そこまで大層なイメージを持たれてもなあ」

「私は学徒だ。魔術により世界に繋がることを至上目的としているが、そもそも魔術自体が旧世界から持ち込まれたものである以上、過去を知ることは必須。そして、歴史の空白である旧世界のことを知る唯一のよすがが、君なのだ」


 何せ、最早生きている精霊信仰者など、君以外に存在するかどうかすらも不明だからな。


「そんなこと言われてもなあ」

「……随分とはぐらかすな。君は」

「そんなつもりはないんですけどぉ……」


 だって、ティア様は恥ずかしがり屋なのだ。

 彼女は、誰かに知られることを怖がる。


 その理由はきっと、かつて彼女が忘れられてしまったからだ。


 希望が絶望に代わるように、知られていたのに忘れられることが、どうしようもなく怖いらしい。


 愛をもって生き物を育んだのに、唾棄をもって全てから追いやられた彼女。


 彼女は永遠そのものだ。

 だから彼女は、昔のことをどうしたって忘れられないらしい。

 楽しかった記憶を嫌な記憶が駆逐していく遣る瀬無さに耐えられない、か弱い女神さまなのだ。


 だから僕も、彼女のことを人に伝えるのは慎重になる。というより、今までまともに話したことはない。



 ――精霊について話すべからず、見るべからず。口をつぐみ、ただ思え。

 触れるべからず。触れられるべからず。

 彼女は恵みにして、災いなり。



 そんな風に、……誰かから聞いて育ったから。

 その戒めが彼女を孤独に追いやったのだとしても。


 ……僕はすでに、彼女と触れ合ってしまったから、彼女に対して責任を取らないといけないのだ。


 しかし、これ以上ティア様に僕を引きこもり先にされてもいけないな。

 僕がいなくなった後も、彼女は存在し続けるのだから。ティア様の生は、彼女曰く最早呪いであるそうだが、せめて彼女を理解してくれる誰かが先の世にいることを切に願う。


 ……その一環、と考えれば、お話ししといた方がよかろうか。



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