狂愛
「おやま、ガロン様。お久しぶりです」
やっとここでの生活に慣れてきたところで、仕事終わりにガロンさんが顔を出してきた。
「うるせえ。テメェの面なんざ見たくなかったっつーの」
辛辣だなあ。
ここの人達――魔族をどう表現すればいいのかわかんないな、いいや人で――はことごとく僕のことを虫けら扱いしてくれるよね。
僕はこんなに愛しているのに。
まあでもあれだね、見返りを求めちゃ駄目だよね。
愛っていうのはそういうもんだから。
与えて、与えて、与えて。路傍の果てで朽ちて死ぬまで、与え続ける。
それが愛ってもんだろう。
ですよね、ティア様?
「何ヘラヘラしてやがる……まあいい、ちっとついてこい」
「え、そんな」
「そんな、じゃねえ。オレがついてこいっつったらついてくりゃいいんだよ」
「で、でも」
「でももクソもねえんだよ! おら、さっさとしやがれ、噛み殺すぞ!」
「僕達まだそんな関係じゃないし……一緒にいて噂されると恥ずかしいし……」
「よし殺す」
「あいすいませーん今すぐ行きまーす」
ほんとチョロいなあ。
すぐ怒ってくれるし。
可愛いんだからもう。
でもこれ以上からかうと本当に殺されちゃうし。
死にとうない死にとうない。
「どこ行くんです? 僕これからご飯なんですけれど」
「知るか、黙ってろ」
「ああん唯一の楽しみが」
生ゴミを漁りに行かなくてはならないんですけれど。
食べるものがないと人間は死んじゃうんですけれど。
ティア様、なんで人間すぐ死んでしまうん?
「……アロマは覚えてるな? 忌々しいことに、あいつのせいでオレがテメエの教育係だのにされちまったからよ、ここでの常識を教えてやる」
「マヂで? 超ヤベェじゃん。パネェ」
「わかんねえ言葉使うんじゃねえ、返事はどうした!」
「はい先生! 分かりました!」
「せ………い、いや、いいだろう。先生、うん、そうか」
この人頭大丈夫なんだろうか。
チョロすぎるんだけど。
即落ち?
即落ちした?
いや、そうか。
頭がチョロすぎるから今まで先生なんて呼んでくれる人がいなかったのか。
気の毒に………。
「おう、先生がこれから図書館まで案内してやっからよ」
「はいガロン先生! ありがとうございます」
「よ、よし。そうやって素直にしてりゃあ良いんだ」
「はあい」
ヤッベ、罪悪感で胃が痛くなってきた。
嘘だけど。
でも可哀想過ぎる……大丈夫だよガロンさん。
女の子は少し位お馬鹿なほうが幸せな一生を送れるってティア様が言ってたからね。
あの方が言うんなら間違いないから。
きっと貴女、幸せになれますよ。
オツムがお花畑ですからね。
……ああ、違った違った。
幸せになれるんじゃないか。
幸せに、してあげますよ。
愛してあげますから。存分に。
まずは貴女から、って決めてましたしね。
そう思いつつ、揉み手しながら着いていくと、城から出て独立した建物の中に連れて行かれた。
「おーいエヴァ、出て来い! アロマから聞いてんだろ、ガロン様のお出ましだぜ!」
仕舞いには自分を様付けまでしてしまった。
どこまで調子に乗れるんだろう。
自分も調子に乗る性質だから人のことを言えた義理じゃないが、見てみたい気もする。
おだてたら木に登るんじゃないだろうか。
狼の癖に。
そんなことを考えていると、よれよれの白衣に黒いとんがり帽子を被った、チグハグな人が大量に並んでいる本棚の陰からのそのそと姿を現した。
「なんだね騒々しい……ああ、ガロンか。帰りたまえ」
「なんだよ、いきなりご挨拶じゃねえか」
「君は五月蝿い。自分は静寂を尊ぶ。だから帰りなさい」
「今日は仕事で来たんだよ、でなけりゃ態々こんなカビくせえ所に来るもんか」
「……? 猪武者が、こんなところに何をしに……んん? 後ろにいるのは人間か?」
「ああ、こいつに常識を叩き込めってさ。クソッタレ宰相様の命令でよ」
「む……ああ、そう言えばそんなことを聞いた気がしないでもない。何だ、サンプルの提供じゃないのか……折角の健康そうな人間が……」
そんなことを言いながら、名残惜しげにこちらを見てくる彼女は……一見人間に見えるが、その長い耳と浅黒い肌から分かった。
エルフだ。
それも、ダークエルフ。
エルフは絶対数が少なく、世界中の森の中で集落を作り生活をしているというが、その中でも異端とされているのがダークエルフだ。
森から出て生活することで、エルフの信仰している森の精霊(そんなものがいればの話だが。正直僕としては眉唾である)の加護を失って、その肌が褐色に変化するとは聞いていたけれど本当だったのか。
いや、そもそもダークエルフどころかエルフについても知られていることが少ないだけに、事実かどうかは知らないけど。
そもそもエルフ種を見たのも初めてだし。
「……で? ここは一応図書館だ。貸し出せる物は図書しかないが」
「よし、じゃあ……」
ガロン先生が張り切って教材を探してくれている間に、辺りを見回してみる。
人間の図書館と大差ない感じがするが、規模が半端ではない。
フォルクスで一度だけ見たことのある、王立中央図書館のようなものなのだろうか。
ただ……さっきサンプルとか言っていたし。
どうもそれだけじゃあなさそうだね。
奥のほうに、あからさまに怪しい黒塗りの扉があるし。
しかも魔法陣まで描かれてるし。
いかにも入ったら危なそうな……。
せっかくだから僕は黒の扉を選ぼうか。
そんな感じで、ふらふらとそちらに吸い寄せられるように歩いていくと、
「ああ、君。危ないよ、あちらは立ち入り禁止だ」
そう言って、エヴァさんとやらは僕の肩を掴んで引き留めた。
「それと、あまり勝手に辺りのものに触らないでくれよ。自分が貸し出し許可を出すのは君じゃなくてガロンなのだから」
そんな言葉を残して、エヴァさんは立ち去った。
………危なそうな所についつい行っちゃうのは昔からの癖だった。
初めてティア様に出会ったのがそのお蔭だったっていうのもあるし、そのお蔭であの時死なずにすんだっていうのもあるし。
……違うか。
違うな。
死にぞこなっただけだ。
今でも皆が、あの僕が掘った墓穴の中で待っているから、そこに早く行きたかったから、僕は今でもこうやって危なっかしいことばかり…。
『おいたばっかりしちゃいけません』
『まあ、そう怒るな。男なんだからよ、ガキのうちは腕白なくらいが丁度良いさ』
『あなたがそうやって甘やかすから……』
そう言って、母さんが僕を叱って。
父さんが僕を庇って。
それで、調子に乗った僕が父さんに拳骨をくらって。
あの暖かかった場所は、記憶の中にしかもうなくて。
それが許せなかったから、僕は……。
「おい、人間! ボーっとしてんじゃねえ」
「はい、母さん」
「だ……! 誰が母さんだこのボケが! オレはまだ十八だ!」
そう言って、数冊の本を片腕に抱えて戻ってきたガロンさんは僕の頭を引っぱたいた。
モキュっとした感触が凄い気持ち良かった。
癖になりそう。
と、いうかまだ顔に押し当てられてるから、額でモキュモキュ押し返してみる。
やっべこれ。
まじやっべ。
「……失礼しました、先生。ところでその肉球、もっと触ってもよろしいでしょうか」
「よろしくねえよ! おら、あっちでやるぞ、向こうの席に座れ!」
「はいな」
エヴァさんの判断は間違っていない。
やっぱりこの人、五月蝿いよね。
………で、机に二人並んで、開いて見せてもらった教材が……。
「……ということで、魔王様と魔族達は幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」
「めでたし、めでたし」
「……どうだ、お前みたいな奴隷上がりの人間じゃ字も読めねえだろ。まずは、こういう簡単な絵本を読んでだな……」
「ガロン先生ガロン先生」
「おう、何だ。先生に聞いてみろ! 何でもいいぞ、何でも」
ガハハと豪快に笑いながら、ガロンさんは胸を張って言ってくれたから、僕も遠慮なく言うことにした。
「僕、字は読めます」
「そうかそうか、読めるか」
「はい」
「……そうか」
「はい」
「読めるのか……」
「はい……」
そう答えると、ガロンさんは机の上に両の拳を置いて、俯いてプルプル震えだした。
頭の上についている耳はやや伏せられているが、その内側は毛が薄いから真っ赤になっているのが分かった。
「てめ、ふざけんなよ! 読めるんだったらそう言えよ! 最後まで読んじまったじゃねえか!」
「めでたし、めでたし」
「めでたかねえよ!」
ガロンさんの頭がおめでたいんですよ………と口にすると、流石に殺されてしまう。
フォローしないと。
「すいません……昔、母に読んで貰ったのを思い出して」
「ああ!?」
「懐かしかったんです。こんな風に、読み聞かせて貰ったり、子守唄を歌って貰ったり」
「はー……なんだ、人間もそんなことするんだな」
「……お願いします。もう一回だけ、もう一回だけ読んで貰えませんか?」
「けっ、ざっけんな。オレはそんな暇じゃねえんだ、甘ったれんじゃねえ」
そう言って、ガロンさんは僕に指を突きつけた。
「勘違いすんじゃねえぞ。オレはお前に、今すぐにでも噛み付きたくて仕方ねえんだからな。こんなママゴトをこれ以上やらせるつもりなら、それなりの覚悟をしておけよ」
「……すみません、でした」
「……ちっ、分かりゃいいんだよ」
そう言ってそっぽを向くガロンさん。
……ああ、可愛いな、可愛い。
可愛い。
今、小さな罪悪感を覚えてしまったんですね?
奴隷ごときに。
人間ごときに、情が移りましたね?
本当に可愛いなあ、もう。
アロマさんも思ったより賢くないのかな。
なんでガロンさんなんかを寄越したんだろう。
こんな情緒の幼い娘、力はあったとしてもまるで子供じゃないか。
人間というものを理解していないのか。
それとも情というものを、理解していないのか。
知性のある生き物は、好意を向けられる快楽からは逃れられないんですよ。
裏切られたことのない限りは。
少なくとも、こんな小娘では。
人間と違って、あなた方魔族は内乱の経験が無いからね。
「敵か味方か」が、すなわち「人間か魔族」だったんですよね。
……本当は魔族は、人間よりよっぽど知恵のある生き物なのかもしれない。
勢力争いをしているとはいっても、魔族同士での殺し合いになど発展したことがないのだから。
魔族に滅ぼされそうな今でさえ、人間は人間同士でいがみ合っているのに。
……背中を刺されたことのない者は、その痛みを想像すること自体、思い至らないんでしょうね。
僕にとっては、都合がよろしいんですがね。
でも、裏切るのは、愛じゃないから。
愛に悖る行為は、僕は出来ないから。
だから、愚かなガロンさん。
僕は貴女を決して騙したりはしません。
僕のほうが余程愚かなんです。
愛したいんです。
貴女を愛させてください。
見返りなど求めません。
ただ、貴女を想っていたいんです。
………ん、じゃあ、これで行こう。
『ガロンさんは、僕のお母さんだった』
『優しかった僕のお母さんは、ガロンさんだった』
『僕のガロンさんは、愛しいお母さんだった』
………。うん。で、呼び名は、ガロン先生。ガロン様。ガロンさん。
こんな感じ。
……よし。
……ああ、ガロンさん、愛しいなあ。
愛しい。恋しい。
抱きしめたい。
愛しています。
慕っています。
大好きなんです。
どうか、どうか、この想いを信じてください。
…………こんな感じでどうでしょう、ティア様?
――なんとなく、本日はお開き、という感じになってしまったので、二人して図書館を出た。
「…………」
「…………」
言葉も無く、夕焼け色に染まった庭を抜けて、僕は寝床の地下牢に、ガロンさんは城の方に戻っていく。
背を向けた彼女を見送っていると、不意に足が止まり、聞こえるか聞こえないかといった声で、ぽつりと呟いた。
「……また明日、同じ時間に図書館だ。遅れんなよ」
「はい! ガロン先生!」
出来る限り大きな声で、返事をした。
「うるせえ!」
そんな風にガロンさんは、牙を向いて怒鳴り返してきた。
でも、向こうを振り向く一瞬の表情には、少し笑みが浮いていた様に思う。
それは、きっと間違いじゃないだろう。
何故なら彼女の尻尾が、ゆっくり二度三度、左右に振られるのが見えたから。
…………捕まえた。
僕は、ガロン・ヴァーミリオンの心を見つけた。
そう遠くないうちに、彼女に愛を伝えることができるだろう。