heroin(e)
――教会の裏、その一角の草むら。ここが私の安寧の場所。
石造りのあの建物は、昔は荘厳さを感じたものだったけれど、中から見てみると、冷たさを感じる。
そこで働く人たちが、私に優しくなかったからかもしれない。
柔らかな服の裾が、歩くにつられて、ひらひら。
……いいや、服と言うのは違うかもしれない。今自分がまとっているのは、そう呼ぶにはあんまりにも不相応だ。表現が安っぽすぎる。
これを受け取ったときの手の平を滑る感触があまりに優しすぎて、「私ごときには勿体ない」と伝えたときには、怒られた。
「それはお前の『役職』に与えられた衣装なのだ」と、そう言われた。
つまり、これはあくまで衣装であり、そして私のものではないのだ。
私には勿体ない、と言うのは誰も否定しないし、私自身撤回しようもない。王室御用達の仕立て屋の手によるものらしいから当然だ。
だけど、これを突っ返す自由など、私には与えられていない。だから、そのとき私にできたのは、ただ恐縮して袖を通すだけ。
甘やかすぎて慇懃さすら感じさせる手触りは、まるで私自身を主と認めていないかのよう。
必要に駆られて何度も着たが、未だにこの高貴な布切れは、私の胸をざわつかせる。
しかも一旦着たら、下手にお茶も飲めやしない。こぼすのが恐ろしい。
挙句、脱いだら脱いだで、装飾品がちょろまかされていないか確認までされるのだ。勿論疑われているのが私なのは明白だ。
専門の係が媚びた笑顔を向けて汚れの点検だのと言って誤魔化してくるが、そんなのに騙されるほど私のオツムは幸せにできてはいない。
気に食わない。時が経つほどに、この布切れには愛着どころか憎しみすら感じるようになった。
背中の空いたこの衣装は、ただの村娘には価値の過ぎたもので、私個人から見れば麻の下着にも劣る、半端なだけの存在だった。
……長くなったが、実を言うと、これは衣装に対する愚痴ではない。
私が抱えているのは、今の私に与えられている、『役職』そのものに対する不満だ。坊主が憎いから、袈裟が憎いだけの話なのだ。
私は、『勇者様』とやら、なんだってさ。
失笑ものだ。
空いた背中から、羽を生やして、教会の陰険な顔をした年寄り達を喜ばせる。
そんなサーカス以下の見世物を無理にさせられて、喜ぶ年頃の娘がいるのだろうか。
いるのかもしれない。でも、私は違う。
私は、羊を抱きしめて、山羊をしつけて、時期が来れば毛を刈って、群れからはぐれた狼が来れば追い払う、そんな生活を愛していた。
そこから引きはがした、この教会の人たちを、恨んでいた。
スカートの裾をつまみ上げて、ぼそりと言う。
「何が、勇者さ」
こんな村娘一人に、『勇者』だの『救世主』だの。そんな大仰なもんを押し付けて、何が僧侶だ、祭祀だ、坊主だ、信仰だ。
あの禿頭どもは、私の人生より長い時間を、よっぽどおめでたく無駄に生きて来たらしい。
ずき、と背中が痛む。
初めの頃に比べれば、微々たるものだが、それでも痛いのは不快。
みんな嫌い。
みんな嫌い。
勝手なことばっかり言って、あの人達は、私の知らないうちに私の人生を滅茶苦茶にした。私の意思なんか、少しもかえりみてくれなかった。
魔王の恐怖だの、そんなもんは都市部から外れた私の村に関わりないことだった。あんな小規模の村を狙って攻めたことなんて……『ファースト・ロスト』のときぐらいじゃないか。
村から掻っ攫って、ひん剥いて、よく分からない薬を飲ませて、ピリピリする軟膏を塗りたくられて、気付けば羽が生えてきた。
それで、天使だ、いや勇者だ、おお我らを守りたまえ……って。
何さそれ、ばっかみたい。
「なにが、勇者よ。勇者ってのは……」
勇者っていうのは、人を救う勇気ある者を言うのじゃなかったかしら。
子供の時以来、殴り合いすらやったことのない小娘を捕まえて勇者とか、冗談でしょう。
勇者っていうのは、例えば……。
「勇者様。こんなところにおられましたか」
不意に声をかけられた。
誰か、なんて聞かない。彼以外は呼びに来るなと、その約束だけは守ってもらっている。
「……」
「……勇者様? どうなさいましたか?」
「……」
「次で本日のお勤めは終わりですから。さあ、お疲れでしょうがもうひと踏ん張りです」
そう言って手を伸ばしてきた男の人に、私はまだ背中を向けている。
聞こえるか聞こえないか、そんな声で、私は言う。
「……今は、二人きり、だよ」
しばらくそうしていると、根負けした相手が、少しだけ柔らかくした声で、再度こちらを呼ぶ。
「……サリー。ほら、おいで」
自分が犬になったような心地。
羽は生えたり引っ込んだり、でも尻尾なんか生えてない。でも、もし尻尾があったら、ぶんぶん振ってしまっていただろう。
私は、勇者ではなく『私』を呼んでくれた人に飛びついた。
「んーんーんー」
ぐりぐりぐりぐり。彼の胸板に、自分の頭を押し付けた。
「まったく、君は……」
苦笑しながら、彼は武骨な指で私の頭を撫でてくれる。おっかなびっくり、だけど、とても優しく。
心が暖かい。
優しいこの人が好き。
ここに来た私を、勇者になった私を、初めて『私』として見てくれた彼が好き。
あの教会の人たちのためになんて、私は何もしてやらない。
この人のためになるから、勇者なんてのもやってやる。いくらでもやってやる。
この人が笑ってくれるなら、私はいくらでも見世物にでも神輿にでもなってあげる。
もしかしたら、彼に利用されているのかもしれない。冷静な、頭の中のもう一人の私が、そう囁く。
それでもいい。
この人の役に立てたなら、もうそれだけでいい。
貴方が撫でてくれるから、私は、勇者の役目を果たします。
アビス様は、私の王子様だから。
アビス・ヘレン。
あなたが使徒の一員でも、いいえ例え物乞いだったとしても関係ない。
私は、貴方のために全て為します。誰が相手でも戦います。
それが、獣人であれ、魔族であれ、それらの王であれ。
――人であれ。神であれ。




