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転換期

 ――魔王陛下が、お呼びですよ。


 セルフィさんが、いつもの囁き声で僕にそう伝えたのは、アロマさんを撫で繰り回した翌日早々のことだった。


 冷えた体をほぐして地下牢から這い出したところ、出入り口の真横にぬっと立っていたこの男装の吸血鬼は、いつから待っていたものだろうか。


「今度はクリス様のお呼び出しですか。僕、なんかやらかしましたかね」

「……?」


 さて、と言わんばかりに小首を傾げる彼女は、なんとも読めないものだった。

 レヴィアタンから帰ってきて、そんなに経ってもいない訳だが。一体何の用かしらん。


 向こうであった一悶着から楽しい我が家に帰ってきてまで、ずっとむっすりしていたクリス。


 ニーニーナとムー、あの二人に……結局一杯食わされた形で帰る羽目になったから、というのは勿論あるだろう。

 あの使徒二人の所為で、魔王肝いりの海上巨大施設は当分使い物にならなくなってしまった。というか、ボロボロにされちゃったから、復旧の目処もたちそうになさそう。


 それだけなら話は分かるが、どうも最近のクリスは不安定だ。下手すれば、初対面のときのエルちゃんくらい。あるいは、それ以上。

 ……別に心配しているとかいうことではない。

 わが仇を心配する筋でもない、のだ、が……いややはり愛すると決めた以上その筋合いはあるかもしれない。

 ともあれ気がかりではある。


 ……きっと変な夢を見た所為だ。もうぼんやりとしか思い出せないが、夢に彼女が出てきた気がする。その所為だ。

 詮無い話。


 ……それにつけても呼び出されてばかりの僕である。

 たまには女性を呼びつけてみたくはあるが、未だにそんなことの許される身分でない以上、飼い犬のようにホイホイと従う以外の選択肢もない。あわれなりしか我が身。


「まあ、行ってみますか。ご機嫌麗しゅうあらせられれば重畳」

「……」


 困り眉のセルフィさんを見る限り、望み薄ではありそう。




 …………



「お呼びですか、クリス様」

「……座れ」


 クリスの私室に入るのは、これで一体何度目だろうか。

 しょっちゅう領内から離れる僕だから、それほど頻繁という訳ではないが、少なくない回数の訪問経験がある。


 そしておおよそそんなときは彼女の椅子になっていたから、どうせ今日もそうだろうと四つん這い体勢を取ろうとしたところ、右手をかざされ、阻まれた。


「今日は良い。そこに正座しておけ」


 そう言って彼女は僕の目の前で椅子に座り、僕の目の前で堂々と脚を組んでふんぞり返った。僕の目の前で。


 自分との身分差を分からせるための行為である、と言外に示しているのだろうが。

 ……お色気方面でガードの緩いクリスは、割と平気でこんなことをする。僕からすればご褒美だし、むしろコイツがゆるいのは頭ではなかろうかとも思う。股はゆるくなさそうだが。いかにも未通女おぼこっぽいし。


 しかし、今日の彼女の表情を見るに、精神の方はガードを固めて来ているようだ。

 いつも頑なな女だが、今日は一段とそのケが強い気がする。


 僕の愛しのアイアンメイデンは、これから一体どんなお話をしてくれるのだろうか。


 思わずぺろりと、口端を舐めた。


 そんな僕にちらりと視線を向けた彼女は、その整った口をふわりと開いて、閉じる。


 二度三度、そんな仕草を繰り返して、ようやく耳に届いた彼女の言葉……命令は、流石に僕の予想を超えていたものだった。


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