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トロイア

 ――一礼して退出したガロンを見送り、クリステラは黙考する。


 とうとうガロンに感づかせることがなかったのは、二つ。


 一つは、クリステラは、誰が主になったかを一度も問わなかったこと。

 それは、ガロン――かの純朴な人狼にとっては当たり前に過ぎることだったから、やむかたなきこと。


 もう一つは、組まれた腕に食い込む爪。

 文字通り痛々しいほどに、その様子は魔王の荒れた内心を表していた。


「…………」


 黙考は継続している。


 咎め立てする理由はなくなった筈だ。

 彼女に叛心なしと見たのは事実である。

 少なくとも、クリステラ自身としては、苛立つ意味など最早ない筈、と。


 ああすっきり。

 奴は変わらず忠臣であった。

 これで枕を高くして眠れる。


 ……そんな風に割り切ることができたなら、どんなに良かっただろう。


「ガロン……」


 彼女には、罰するつもりなどないと既に伝えた。

 鷹揚な態度を取った。それは、彼女に対して思うところなどないと自分に言い聞かせる為ではなかったか。


 魔王は首を振る。

 思考を別の方向に向ける。


「……アロマ」


 アロマ・サジェスタ。最近の彼女は、どうもおかしい。


 彼女の忠義を疑う……というのはおかしな話だ。何せ、自分は彼女に忠義など求めていなかった。


 友誼だ。これによって自分達は結ばれていた。


 王としては恥ずべきかも知れない。しかし、彼女が政務において自分より優れていることは火を見るより明らかだった。

 その能力と、自分への好意を、疑ったことはなかった。

 そして、しかし。優秀なだけでは、宰相になど取立てはしない。


 彼女が己のことを愛してくれていたからこそだ。それが一番貴重で重要な要素なのだ。


 幼い頃からの友情に由来する錯覚などでは……きっとない。疑問を挟む余地もなく、アロマは自分の味方であった、はず。


 けれど、最近。その瞳に、何か後ろめたい光……影? そういったものが宿ってはいなかっただろうか。


 いつからだ?

 いつから彼女は、自分に隔意を持ち始めた……いや、この魔王たる自分に、そんな疑いを持たせるような態度を見せた?


 あれは優秀な女なのに。賢い彼女が、例え幼馴染である自分に対してと言えど、そう簡単に隙を見せるか?

 あるいは、昔から自分に対して腹に一物含んでいたのか? いや、だとしたら……。


 魔王は首を振る。

 自分の半生以上を共にした彼女に、冷静な判断が出来ない状態で疑心暗鬼を向けたくなかった。

 ……そう、自分が気にしすぎなだけだ。


 彼女が自分を裏切るはずがない。

 彼女がまさか、自分を嫌うなんて、そんなこと……。


 ……でも。

 城に戻ってすぐ……いつもだったら、お疲れ様でした、と、花開くような笑顔で言ってくれる彼女が。

 今回に限っては、私の身を案じるよりも先に、ガロンの失態を私に伝えてきた。あたかも、それこそが最優先事項だとでも言うように。

 あのときの彼女の眼は、口は、身振りは。

 本当に、この身のためを思ってのものだっただろうか……?


 魔王は、首を振る。


「エル」


 最早言葉にするまでもない。妹は、あの人間に懐いている。随分と心を寄せているようだ。


 ……気に入らない。ひどく癇に障る話だ。たかが数ヶ月ともにいただけで、しかもしょっちゅう城を空けていたあの男に気を許すなど。

 しかもアレは人間だぞ、我々の仇敵ではないか。


 やはり間違っていた。

 エルには奴をそもそも近づけるべきではなかった、初手を間違えた。しかし今更妹の手からあの山猿を取り上げても無駄だろう。あのお転婆を抑えられる者などそうそういない。

 ゴネて暴れるだろう彼女を止めに、毎度自分が出張るわけにも行かないし……。


 ……魔王は何度も首を振る。


 振って振って、振り払わねばやっていられない気分だった。


 全部だ。

 自らの大事なもの、それらをどんどんアイツが侵食してきていて、それは酷く気持ちが悪いものだった。




 ――どうしてくれよう。

 あの男、余のものを、余の部下を、妹まで誑かして。


 この魔王を、はかろうというのか。彼奴は余のものになると、そう誓ったのではなかったか?


 無論、そんな言葉を信用はしていない。信頼などもってのほかだ。

 ……信用も信頼もしていないが、言質はとったのだ。奴は魔族の……己の下僕になると。


 人間、人間。

 かの惨めな生き物は、同胞から裏切り者を出したのだ。それが愉快だったのに。


 ナインは、なにがしか策を持って己をたばかるか? 出来るはずがない。

 あんな無力な生物が、このクリステラを?

 無理なのだ、そのはずだ。


 ……しかし現状。己の身内らに疑いを向けてしまっているのは、自覚している。


 ……あんな小物……吹けば飛ぶような雑魚虫が、このクリステラにとって獅子身中の虫になりえると?


 余の周りを、堀を埋めるが如くに……そんなことをしているのか?






 ……また、アタシから大切なものを奪おうというのか?

 あの時、あの森で、アタシにあれだけのことをしただけでは飽き足らず――?




「……許さん」


 許さない。

 そんなの許せない。


「……問い詰める必要があるな。呼ぶか」


 ナイン、あいつ、あの人間。

 これ以上何を考えていようが、余を舐めているというなら、思い出させてやる。

 人間など、所詮この魔王に嬲られるだけのものでしかないと、思い知らせてやらねば。


 さて、どのような目にあわせてくれようか……。







 ……連れ合いを奪われたとき。

 女なら、相手の女を恨む。

 男なら、相手の男を恨む。


 自分が何に怒っているのか、それすら曖昧に陥った彼女は自覚できぬままに。

 クリステラは、ナインを自分の身内を誑かした不義の者として、一切の鬱憤をぶつけることに決めた。

 二度三度、己の指を屈伸させる。

 恨めしい男の頭を、果実のように握りつぶすことを想像して、クリステラは愉悦に浸った。


 ……本当に、自分はこのまま、周りを信じていて良いのだろうか?


 そんな不安からは目を背けて。


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