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パラノイア

――そして舞台は、ディアボロの城に戻る。

 喜劇から、更なる喜劇への幕がこれより開ける。


 古くは人間が始めた。

 その後、ヴァーラ・デトラの手により確立された。

 道化のナインが引き金を引いた。

 そして今、クリステラが踊る舞台。


 魔族や獣人……倫理を胎内に置き忘れた誰かによって作られた、これら滑稽な生き物を弄ぶ残酷が、これから始まる。




 ――――――――――――――――



「お帰りなさい、お嬢!」

「ガロンか」


 玉座に座り、ついた右肘を顎に乗せたまま、ガロンの声を受けたクリステラは閉じていた目を見開いた。


「ご無事なようで何よりです。恥知らずの……あの使徒の奴らが現れたと聞いて、驚きました」

「……ふん」


 あれ、とガロンは内心首を傾げた。

 普段であれば、愛想の無いこの自分の守るべき主人は、無愛想なりの温かい声で応えてくれるものだったが。

 今の鼻で笑うような返事の原因はなんであろうか。自分は何か、とんでもない無礼でも働いているのか……?


 ――ああ、後ろめたいことは、ないでもなかった。

 でもそれは、彼女が知るはずのない事だ。

 ナインにはああ言ったが、流石に魔王陛下の前で首輪を晒すつもりもなくて、首元が隠れる襟高の上着を身につけているのだが……。


 ほんのすこしだけ湧いた、罪悪感。

 しかしそれを振り払うかのように、ことさら明るい声で、ガロンは続ける。


「何にしろ怪我がなくて良かったですよ、ほんと!」


 この言葉は間違いなくガロンの本音だ。

 しかし、あたかもその裏側を見透かすかのような強い眼差しをクリステラから向けられて、一瞬人狼は身じろぎをする。


 そして、そんな己の部下の姿をその冷えた視線で捕らえたまま、魔王は口を開いた。


「どこまで本心の言葉なのだ、それは?」


「……え? い、今、なんと?」


 思わず聞き返すという無礼を働くが、その事実に思いも至らない。

 ガロンは、自分がたった今なんと言われたのか、本気で理解が出来なかった。


「聞こえなんだか。その大きい耳は飾りか」


 先ほどのように、クリステラは鼻を鳴らす。

 そんな仕草すらが卑怯なまでに美しい、ガロンの眼前に座る王は、明らかにこちらに対して隔意を……いや、最早敵意というべき感情を向けている。


 ……ある種不敬にあたる物言いだが、気安いといってもいい良好な関係を陛下とは結べていた、と、少なくともガロンは信じていた。


 いや、城の大半の者に尋ねたとしても、それは勘違いではないと言うだろう。

 なのに。


 ガロンの胸に不安が去来する。それがじわじわと、大きくなってくる。

 今の彼女の様子は、一体なんだ。


「遅参しておきながら随分と余裕の態だな、ガロン。余への挨拶はそれほどまでに面倒か?」

「なっ」


 旅の汚れもあるだろうとのこと、また疲れを癒すにも足りないが、それでも急な用事があるでもない。

 今までの暗黙の了解で、軍事的凱旋の際を除き、クリステラが外出した直後には少し時間を置いてから挨拶をするのが常であった。

 しかし、その上で敢えてこんな反論のできないことを言うということは。


「余は随分な忠義者を持ったものだ」

「そんな、お嬢! そりゃあんまりの言葉で……!」

「それだ」


 ぴ、とクリステラは人差し指をガロンに向け、びく、と向けられた女は硬直する。


「貴様は何度やめろと言っても余のことをそう呼ぶな。この身がそれほどに軽薄な身分であったとは驚きだ。なあ、ディアボロ領魔王親衛隊隊長ガロン・ヴァーミリオン殿?」

「……! 失礼しました陛下。何卒ご容赦を……」


 ガロンは思わず平伏する。

 確かに今までの振舞いは、主の寛大さによって許されていたものがあったが、今この場においてはそれは全く意味を成していなかった。

 

 単純な自分にも分かる。

 クリステラ・ヴァーラ・デトラは。

 今、自分が知る限り過去最大級に、機嫌が悪い。



「……つまらん意地悪をしたな。許せ」

「いえ、そんな! オ……私の不徳の至りで!」


 ガロンは顔を下げたまま、しかしクリステラの声の色が普段の優しさを取り戻した様に感じられた。


「いいのだガロン。顔を上げよ」


 普段以上に柔らかなその声に、しかし未だに先ほど向けられた悪意……まさしく世界で最も恐ろしいと信じる存在のそれに怯えたガロンは、混乱を残したまま、言われたとおりに顔を上げた。




 そして、凍りついた。



「貴様はもう、余のほかに仕えるべき相手を見つけたのだものな。ああ、そうだったな。余より尊き者に先にぬかづいてきたのであろうからなあ……?」



 クリステラの目は、先ほど以上に酷薄な色を帯びていた。


「いっ、つ……!」


 床についた手の甲を己の主……その履かれたヒールに踏みにじられた。

 流石に全力をこめている訳ではないようだ――もしそうであったなら、今頃穴が空いているに違いない――けれど、それでも痛いことに変わりはない。

 しかしそれ以上に、困惑が先立っている。

 ガロンは、踏まれたところに思わず目を向けた。



「顔を上げろ。目を逸らすな。やましいところがないのなら」

「は……い」

「人間ども、彼奴きゃつらの間ではな、虚言を繰る者は二枚舌と呼ばれるらしいぞ。しかしさしずめ貴様は……二本尾とでも言うべきか」

「そん、な。おじょ、陛下、オレはそんなつもりは!」

「黙れ!」


 叫びとともに、足の力を一層こめられ、ガロンは呻いた。


「もう貴様の言葉は信じられん」

「何故!」

「何故……? お前もしかして今、何故と聞いたか?」


 手の甲に置かれたヒールが、そっとどけられる。

 代わりに、くい、と魔王はガロンの顎をその細い指で優しく持ち上げた。

 震えながらのその手つきの柔らかさこそ、今のクリステラの心情を表しているようで、ガロンは怖気をおぼえた。


「分からんのなら教えてやる。貴様が……」


 そこで、クリステラ自身何らかの決心を要しのだろう。一瞬ばかり息を詰め、唇を震わせた。

 彼女は、こう告げた。


「貴様が、言ったのだろうがッ! ガロン、お前が余を裏切った!」

「何を! オレが何を言ったってんですか!」

「言わせるか! 余に、そこまで言わせるのか! じゃあ言ってやる、余は聞いたぞ、お前が側仕えを辞めると、お前は自分の実家でそう言ったんだろうが、それとも忘れたかッ!」

「な」


 その、いっそ悲痛なまでに上擦った魔王の声を聞き、ガロンは一瞬、足元が消失したかのような心地がした。



 この事を突かれると予想していた……とは、言えない。

 確かに言ったな、そう言えば……。あの時、確かに自分はもう城勤めを辞めると言った。

 それを忘れていた。

 言い繕うことなどできない。魔王の言ったことは事実で、自分は確かにその一大事をさもなかったかのように、すっぽり忘れていた。


 そんなこと、と、思わず口から出たのはどういう意味なのか、ガロンには自分でも判断しかねた。


 そんなことはない、とでも言うつもりだったのか。

 いや、自分は嘘は嫌いだ。それは多分違う。口に出したくない。


 なら、そんなことで怒っているのか、とでも? 目の前の陛下を嘲笑するかのように?

 まさか、まさかそんな。


 ……言い訳できるのだろうか。忠誠を投げ捨てて、それをなかったことにして、そしてのうのうとここにいるくせに?



 ……刹那の逡巡。しかしクリステラは容赦しない。


「『そんなことは』? なんだ、続けろ」

「そ、そんなことは、あり」


 急かされて思わず出たガロンの言い訳……この点については誤魔化しようもない、その弁明を最後まで聞くことなく、クリステラは吐き捨てた。


「どんな理由があってそんなこと、余を、貴様は余のことを……! ほかに尻尾を振る相手を見つけたんだろうが! あの山猿! そうだあいつ、あの人間より余が劣ると、そういうことだろう! 貴様、貴様はッ」


 そこで一つ、しゃくり上げるかのように唾液を呑み込むと、クリステラは裂けよと言わんばかりに、喉から言葉を振り絞った。


「貴様は、余よりアイツを選んだのだろうが!」



 ふうふうと、珍しくも息を切らす主を見る。

 言葉が進むごとに、自分の顎に添えられた指に力が入っていくのが伝わっていた。


 後ろめたさが、ガロンの胸を支配していた。

 何も自分は言えなかった。

 自嘲する。あれだけの事を忘れるとは、なんて自分の忠誠は、薄っぺらなんだろうか……。


 ……でも。

 でも、それでも。

 クリステラへの敬愛は、残っている。彼女は自分の憧れだった。いや、今この瞬間も。


 少し前までの自分なら、とガロンは思う。

 昔の自分なら、彼女にここまで言われれば、心を折られていたかもしれない。

 だが、今の自分は別だ。少しだけ、ほんの少しだけ自分は成長した。

 自分の欲しいものが、うっすら見えてきたのだ。

 コンプレックスから目を逸らすこともなくなった。

 親離れできなかった弱さを、克服していく勇気も。

 ……守りたいものも、できた。


 今の自分なら、たとえ叶わなくても、クリステラに己の忠誠を示す努力は出来る。たとえ口だけだと罵られようが、やるべきことならやるしかない。


 そう思い、ガロンは口を開こうとした。


 あたかもそこから力を貰おうかと言うように、胸元よりやや上、首に手を寄せながら、声を発する。


 その直前。


「ガ……!?」


 第一声となる筈であった肺の空気は、虚しく漏れた。

 己の顎から瞬きほどの間もなく喉に移動し、締め上げるクリスの手によって。


「お、じょ……ぅ……?」

「……これは、なんだ?」


 魔王の、その細腕からは想像もつかない膂力で持ちあげられたガロン。

 クリステラは、ガロンの襟口に隠された、手にふれる不自然な感触に目を剥き、そして睨み付けた。

 まさか、と思っていたのだろう。

 だけど、と信じたくなかったのだろう。

 しかし、おのれ、と、今までの眼前の部下との良好な関係こそが、憎悪への燃料と切り替わる。



 ――音もせず、ガロンの服の首周りが消え失せた。

 肌に傷一つつけず、布一枚分の空間を残したまま。触れるか触れないかの距離で、しかしクリステラはガロンの喉を確かに捕らえ、宙吊りに持ち上げた。


「ん、グ……!」


 苦しげに、だが艶かしく人狼は呻く。


 彼女の首。そこに今や隠されずあらわに嵌まっているのは、皮製の輪。

 豪奢でいながら、しかし派手すぎず、やや華奢な趣。

 品がある赤い薔薇の刺繍が、一点慎ましげにあった。

 微かな重々しさと、不自然な程の乙女趣味。けれどもそれは、ガロンの首にある以上この上なく調和を保っていた。



 人狼に、首輪が嵌まっている。


 つまり。


「……似合っているじゃないか。なあ、尻尾を本当に振りたい相手、見つけたんだろう?」


 クリステラは、ガロンに顔を寄せる。美しい顔が、もう一方の美しい顔に迫る。


 ぽつりと、羨ましいことだ、と、全く正反対のことを考えているに違いない顔でクリステラは皮肉った。


 そして前触れなく、部下を吊り上げていた超常の力を消失させた彼女の手から、人狼の体が重力に従い、落ちた。


 魔王は、げほげほと咳を漏らすガロンを黙って見つめていた。

 だが、俯いてむせていた部下の後頭部の動きが不意に止まったのを目に留めた。


 顔を下げたままの、ガロンの小さな声がその場に響く。


「陛下……」

「なんだ」

「このガロン、不忠と罵っていただいてかまいません。いえ、そうなされるのは道理ゆえ、この身をいかようにでもしてください」


 言われずとも、と返そうとしたクリステラに、ガロンは続ける。


「しかし、その上で恥知らずにも申し上げます。オレは、貴女への忠誠……尊崇の念を一切損ねておりません」

「ならば、何故」


 何故、己の職責を放り投げようとしたのか。

 クリステラが次に言う言葉は明白にそのような意味であり、そして彼女はガロンがその意を汲むことを期待していた。


 だから、ガロンはさらに続ける。


「あの時の……己の無責任な発言を今こそ恥じています。オレは自分の力のなさが、未熟さが恨めしかったから……だからあんなことを言っちまった。気付いちまったんです。オレは駄目な奴だって。オレは……」

「…………」

「オレは、貴女みたいになりたかったのに」

「……ふん。媚びたことを」


 口調は冷たくとも、魔王の頬はやや赤らんだ。

 信頼していた腹心にここまで言われてしまえば、クリステラとて責める気持ちもやや萎える。


 ようは、彼女なりに拗ねていたところがあったのだ。


 結局、レヴィアタンでの鬱憤と、妹の姉離れ、山猿の奔放な行動によるここ最近の城内の者達の関係の変化。

 そして帰ってきて早々に宰相・・から聞かされたこのガロンの背信的発言……既に撤回こそしたらしいが、それらの要素による動揺が、クリステラの沸点を上回った。


 もとより、クリステラがガロンを信頼していたのは確かであって。


「ですが、目も覚めました。どうか、もう一度チャンスをください。陛下の側に置いてください」

「…………」

「オレは、貴女の剣でありたい。牙でいたい。もしそれを信じられぬと仰るなら……この首、刎ねていただきたい。作法と違えど、この場にて」


 貴女に疑われたまま生きていくのは、一秒たりとも御免こうむる。

 ヴァーミリオンの名にかけて、以上の言葉は本心です。


 ガロンは、その言葉を発した意思を体現するかのように、そのまま、自らの首を晒している。


 これほど心をまだ寄せてくれているのが分かれば、否が応にも安心が発生する。

 如何に重責を持つ王であっても、クリステラは所詮、生まれてから年を二十と多少数えたばかりの小娘なのだ。

 家名にかけてまでの言葉で、魔王の心の怒りの火は吹き散らされた。


 しかし、不安は残ったままだ。


「……なら、その首輪は一体なんだ」

「おそれながら。人狼の首輪とヴァーミリオンの職責には競合するところがあります。いずれも我々人狼にとってはいかなるものにも劣後しないもの。歴々の陛下におかれましても、その側にて既に首輪をつけた祖先が守護を務めていました」

「ん、ぐ」


 確かに、それは知っている。当時の魔王とは別の者に首輪を許したヴァーミリオンは、確かにいた。その者も、近衛を務めてはいたが。


「それでも、余と……山猿。二人の主を持つということに変わりはなかろうが」

「その点はご安心ください、陛下。オレとて何も考えていなかった訳ではありません」

「……もうお嬢で良い。お前の口から陛下と聞くと落ち着かん……で、ふむ。言ってみろ」


 とりあえず、魔王たる自分が蔑ろにされた訳ではないのはわかった。

 しかしあの生意気な人間が己の意に反したとき、ガロンはどうするのか。それこそが重大なのだ。

 どうもその辺りも考えがあるらしい、思わずクリステラは耳を寄せる。


「古の立法に則り、首輪を嵌めたものと嵌められたものが夫婦となった暁には。互いの地位は対等とされます」

「……あ?」


 信じられない言葉が、聞こえた。気がする。


「……すまぬ、もう一度言ってくれ。聞き間違いであろうか、誰と誰が、なんだって?」


 声は震えていた。


「ええと、ご報告が遅れまして。この度、ガロン・ヴァーミリオン。ナインと婚約を済ませました! 父の了解は既に得ております!」

「はぁん?」

「お嬢の心配されるのはわかります。アイツは人間ですから、そりゃ信用できないかも知れませんが、なあに、ナインはオレがきっちり躾けて面倒見ますから! お嬢に弓引く真似はさせません」


 ……絶対に。


 ぽつ、と、ガロンはこぼす。

 これまでの照れを含んだ声音は、一気に真剣味を孕んだものに変わったが、最早クリステラは聞いていない。


 クリステラは。最早迷うことは何もない、と言わんばかりに真っ直ぐな目をしたガロンを見やり、己の掌で、顔を隠した。


 クリステラは、一瞬、悪魔のような形相をし。

 だが、鳩のような純真さで悩み。

 しかし狐のように狡猾な思考を巡らせ。

 連れ合いを寝取られた乙女のように目尻を潤ませ。

 気弱な羊のように目を左右に泳がせた。


 そして、瞑目し、手をゆっくり下ろしながら、一言。


「そう、か。それは、そうか。そうか……」


 結局蝙蝠のような、どっちつかずの態度。

 少なくともこの場においては、茶を濁すことに決めたのだった。


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