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pure white nonsense

 ――ナインに潜む蛇は、黙考する。けして宿主に聞こえないよう、慎重に。


 当代の魔王クリステラは、市場の責任者にペコペコと頭を下げられ、最近の情勢について尋ねているよう。

 退屈を持て余した宿主は、エレクトラと他愛ないお喋りに興じていて、思わず姿なき己の口元も緩む。


 大分変わってきたものだ、などと思う。

 そう、思えば、随分遠くまで来たものだな、と。


 ここに……ホールズ北部、魔族領に来た頃のナインは、もっと安定していたはずだ。それも当然といえよう、記憶も情動も、まだ人間の範疇に納まっていたのだから。

 彼はただ、暗い過去を持つだけの、いち人間でしかなかった。


 それが、日ごと狂気をいや増していく怪物となったのは、彼と私が出会ったあの森で再会して、契約を結んだ所為。


 心とは、この世にあって最もうつろうもの。すべからく不確かなるべきもの。

 なのに、だけど彼は。

『この気持ちを忘れたくない』などと。

『この気持ちを、ずうっと残してください』などと。

『一生忘れないように』……だなんて。


 そんな妄言を口にした。


 ――ええ、一言一句覚えていますわ。それはそうよ、だって、許せないじゃないですか。


 余りにも惨めで、その愚かさが己に似すぎていて、その純粋さに赫怒かくどすら覚えたから、お望みどおりに呪いをかけた。


 彼は望んだ、自分で望んだのだ。

 二度と、この気持ちを……寂しさを、悲しさを、忘れないようにと。


 ……憎悪などが、孤独に勝るわけがないじゃないの。


 彼が永遠に留めおきたいと願ったのは、孤独感だ。虚無感だ。憎悪なんて動機でしかない。

 心身さいなみ続ける虚しさこそが、貴方が得たものよ。


 貴方が持つ感情を愛情に全てすり替えることが出来たらば、クリステラを滅するための供物にしてみせようか、と、そうそそのかしたのは己であった。

 『万が一』、その枕詞まくらことばがつくけれど。


 だから、だろうか。ナインは己に枷をかけている。

 あの時と同じほどに悲しくなければ泣いてはいけないと、無意識に己を縛っている。

 大馬鹿よ。生産性のないこと。

 それほど……そんなみさおを立てるくらいにあの村が大事だったなら、そのままその思いを胸に、人として生きていけばよかったのに。

 そうすればいつかきっと、誰よりも優しかった貴方は、人間の中で生きることもできて、この悲しい世界で幸福になれたはずなのに。


 ……ほら、今もそう。

 転びかけたエレクトラに、手を差し伸べた。

 貴方は偽善者ではないわ。だって、無意識だったものね。

 そんな自分の甘さに気付いて、苦虫を噛み潰すような表情を必死に誤魔化そうって……あは、滑稽。


 でも、だから?

 既に何人の死を、貴方はもたらしたのだっけ?

 その優しさが、あがないになりうると?

 うふふ。



 ……自分で出した条件ながら、敵に愛を注げるなどとは、夢にも思っていなかった。

 人間は、ここまで自身の感情を陵辱することができるものか、と驚いたものだ。正直なところ。


 ……みっともなく、ふざけながら、泣きもせず、ゴールに近付いているのだ、と。

 着々と魔王を滅するという望みに近付いていると、ナインはそう思っている。


 でもね?


 ――無理なのですよ、ナイン。


 だって、もう、貴方はきっと捨てられないでしょう?

 子犬さんも、子羊さんも、小鳥さんも、子狐さんも。

 あのダークエルフや、大嫌いな奴を想起させる忌々しい血吸い虫だって。

 あるいは最も恨めしいだろう、眼前の魔王も、その妹すらも。


『お母さん』だの『娘』だの、『お姉さん』だのと、れたつもりだったのでしょう?


 駄目よ、迂闊なことをして。貴方が望んだものは、まさしくそれだったのだから。

 居場所が出来てしまったのよ。子犬さんが言ってたじゃない。それを聞いて貴方、喜んでしまったじゃない。


 ……だけれど、ね?

 このまま私を一人にするのは……駄目。


 この身を宿し、死の経験を踏み捨てた貴方はもう、人の理から外れている。

 そっち側じゃないの。キラキラした、そっち側じゃないのよ。

 私と同じ、こっち側なのよ。もう二度と戻れなんかしない。戻しは、しない。


 ……過去も大分、私が頂いたから。色々薄らいだでしょ?

 何のために復讐するかすら、曖昧になってきてしまったでしょう?

 『誰か』の為の復讐なのに、その『誰か』が分からなければ、それはそうなるわよ。当たり前の話なの。


 ……ねえナイン。エレクトラと手を繋いで、ご満悦かしら。


 あら? そんなに大きな感情じゃ、私にまで聞こえちゃうじゃない、また自虐と憎悪の再確認?

 ほら。ほら。

 内心で口汚い言葉を重ねなければ、憎悪も保てなくなってきちゃって、みっともないわね。


 ……ふふ、その娘に身内を殺された遺族がその姿を見たら、どんな気持ちになるでしょう。優しい世界では、一人殺されれば三十人が涙を流す……だのに鷹揚ぶっちゃって、そのことも分かったふり?

 その上で、エレクトラに優しくして、内罰感情を楽しんでいるんだって? 貴方の心は忙しいこと。人間の心は、そこまで器用じゃあないのに。


 人間と魔族が仲良くなんて、くふふ、どんな冗談かしら。サリアの亡霊たちが見たら腹を抱えて笑いそう。


 ……いつかあのダークエルフが言ったとおり、人間は賢者になどなれはしないのよ。

 所詮貴方は貴方。優しすぎたの。

 いざとなれば、貴方は復讐だって捨てることが出来たのに。


 だけど、もう駄目。それは駄目。


 私は貴方を唆した。それは確かなこと。

 でも、私をたぶらかしたのは貴方じゃない。


 ――記憶もなくして、そして復讐対象がいなくなってしまったとき、貴方は一体どうするかしら。

 ねえ、寂しがりのナイン?

 私、頑張って貴方を知ろうとしてきたつもり。

 貴方のこと、何でも知っているわ、きっと……いいえ、絶対、誰より。


 記憶も、復讐という拠り所も、居場所もなくなって、寂しさだけ、悲しみだけ、向けどころのなくなった愛だけが残れば、ね?

 貴方の心、冷たくなっちゃうから、ね?


 さみしんぼの貴方、私に(すが)るしかなくなるでしょう?


 いいえ、いいえ、はじめは愛してくれなくてもいいわ。私のことを、恨んでもいい。だって時間は無限にあるもの。

 愛させてくれればいいのよ。子犬さんに言われたアレ……『愛されたい』だなんて、欲深にならずに済むほどに。


 愛させて。

 愛させて?

 愛させて、それで、いつかは愛してね?


 ね、もう一人にしないでね……?


 ほうら、もう少しよ。勇者の準備ももうちょっとで整うわ、そしたら。



 そしたら、貴方の目の前でクリステラが死ぬようにセッティングしてあげる。貴方の復讐とは、一切合財関わりなくね。

 

 復讐のカタルシスなんてあげない。

 貴方の愛と孤独は、全部私のものよ。


 その後は、全部忘れて愛を私に向けるようにしなさい。魔族達に向けた分の愛を、いいえ、それ以上を私に。

 ……魔族も獣人も愛することが出来たのなら、私みたいな化け物だって愛せるでしょう?


 ……ひどい女だと、どうか思わないでください。無理なお願いかもしれない。

 だけど。


 だって、貴方が、貴方が! 貴方が私を、永久とこしえの孤独すら耐えられた私を、壊したんだから……!

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