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 ――お姉様のことはいいのよ。

 幼いながら独立心旺盛なエルちゃんは、そう言った。


「しかしですね、多分にクリス様、エルちゃんとの夜を楽しみにしてウッキウキでしたぜ」


 ……クリステラは、あれで存外妹のことを愛している。

 持て余す事もあれど、唯一近くにいる肉親として、えらく大事にしているようだ。

 ……今この場で見せているような、姉離れした妹の姿を見せ付けてあげれば、クリスはどんな顔を見せてくれるだろうか。

 それを想像するのは愉快なこと。エルちゃんが罪悪感なりもってくれてれば、もっと愉快。

 しかし。


「いいの」


 エルちゃんはにべもない。僕のちょっとした愉悦にすら水を差すのだ。


「いや、でも」

「いーの!」


 ……つまんないの。この小娘は、自我が強すぎる。


「それより、ナインちゃん。約束は覚えているかしら?」


 ……彼女との約束となれば、忘れるはずもあるまい。とはいえ諸々あるが。


 奴隷契約。

 玩具となること。

 彼女だけを、まあ、出来る限り見ていること……ただしセルフィさんは許容。


 しかし彼女が今言っているのは、これらのことではない。

 直近の、そして僕を最も苛んでいる、例のアレだ。僕の願いを何でも叶えてあげるだなどと、白紙の手形に金額を書き込めというような、空恐ろしい一種の脅迫のこと……あれを指しての言葉であろう。


「……回答の猶予は、もうちょっといただけるものかと思ってましたが」

「もちろんそうよ。だけど、定期的に催促しないと人間はすぐ忘れちゃうでしょ? 私、貴方のことを見てて良く分かったわ。人間は物忘れが激しいって」


 本当に手厳しいお子ちゃまだこと。


「なんでもいいのよ、なんでも。まさかとは思うけど、気付いていないとでも思ってるんじゃないでしょうね」

「その何でもが難しいんですよ、選択肢のない問題への解答はいつだってね……。で、なんです? そのまさかって」


 僕がそう言うと、決まってるわ、と、エルちゃんは。

 おしゃまに人差し指をこっちにふりふり、にっこり笑顔でこう言った。








「貴方、私達魔族のこと、本当は大嫌いでしょ?」







 …………ぶっこんできやがった。


「そんなそんなあ、この忠義者に向かって」


「今は他に誰もいないわ。もない、もない。貴方が正直者でいられるのは、城から離れたここくらいよ。私が貴方の本音を聞けるのも、これがもしかしたら最初で最後かもね」

「……何が言いたんですかい」

「私、嘘が嫌いなのよ。私だって随分胸襟を開いて貴方に接してきたつもり。少しは本音を見せてくれてもいいんじゃないのって、そういうお話」


 んふふん。攻めるなあ、もう。

 流石はエルちゃん、むかつく子だよ。


 ……いっそ、ぶちまけてみようか。


 そりゃあ君らの事、愛してるよ? 愛してるけどさ、ナイル村の皆の恨みはどうなるの? ……ってさ。


 ねえ、どうなんのよさ。


 僕が愛してようが憎んでようが、君には結局関係ないじゃん。僕が愛してるって言ってんだから、素直に愛を受け取っときゃいいのに、混ぜっ返しやがってさ。

 ほんと、もう、いい加減腹立つよ。


「……強い言葉ですこと」

「それはそうよ。私、ちょっとは強くなれたもの。貴方のおかげで」

「はは」


 ……村の皆は、優しかったんだ。

 一緒にいると、暖かかった。

 笑顔に溢れた毎日だった。

 きっと、あのまま大人になって、幸せに、子供や孫達に囲まれて、あの村から出ることすらなく、死んでいくことが出来たはずだったんだ。

 こんな北の地の果てくんだりで、奴隷なんざやらずに生きていくことが出来たはずだったんだよ。


 ……それも、もう大分忘れちゃったけど。みんなの名前も顔も、随分……随分と薄らいだ。


 ティア様は、あの時の、一人だったときの僕の気持ちを一生忘れないようにしてくれた。

 彼女はそれを呪いといったけど、僕にとっては、村のみんなの残り香そのものだったんだ。


 僕の宝だった。僕に残った、最後のカケラだった。


 でも、それも捧げた・・・

 魔族に取り入るため、その地の中で生き延びるため、信用を得るため、愛するため、捧げた。

 捧げて捧げて、見るも無残に磨り減ってった。


 なんの為に?


「ねえ、ナインちゃん」

「なんです?」

「貴方、前に言ったわね。疑問と回答を繰り返すことで、真実に近づくことが出来る」

「……ええ、言いましたとも」

「ヒントを貰うのは許されるかしら」

「場合によるんじゃないでしょうか」

「なら」


 そう言って彼女は、一呼吸置いて尋ねてきた。


「貴方、ディアボロに何しに来たの?」



 ……決まってる。


 目には目を。

 歯には歯を。

 恨みには恨みを。

 ゴミはゴミ箱へ。


 罪は、贖われてしかるべきだ。

 でも、神様は、村のみんなを救わず、彼らを殺した魔族を生かしたままにしている。


 だとすれば、決まってる。




「……凄い顔してる。もういいわ、その表情だけで十分よ」


「僕の忠誠心が伝わったようでぇ。幸いに存じますぅ」


「口が減らないこと。どうしてこんな……ここまで歪むものかしら」


 はん。

 エレクトラ、お前は結局脇役なのさ。あんまりしゃしゃり出て来やがんな。


 どうせ、もう少しなんだ。


 もうちょっとで、僕の全部が搾りきられる。僕の中身が全部出てくる。

 僕の   が、ティア様との契約で保持され続けたそれが、熟成する。捧げ尽くされる。


 全部まとめて清算してやるんだから、大人しく待っててくれればいいのにさ。


 等価交換……僕の全部を捧げたゲームは、この儀式は、あとほんのちょっとで成就する。捧げきったなら、僕は村の名前も思い出せなくなる。


 母親は……いたはずだ。人間の母親が、いたはずだ。

 父親もいたはず。僕は人間なんだ、生物学的にいなければおかしい。思い出せないけど。

 名前は知ってるよ、牢屋の唯一の友達……ウィルソンにあげたんだから、ウィルソンって名前なんだろうさ。


 僕は僕の因果全てを吐き出して、過去も未来も投売りしたんだ。


 ちゃんと魔族たちを愛したんだ。あんだけ恐ろしい化け物たちを、世界の因果を歪め得るほど力ある怪物たちを愛してみせたんだ。

 こんだけ愛することが出来たなら、生贄にするにゃ十分だろう?


 なあ、ティア様。因果の蛇殿、きっちり約束は守ってくれよ?

 対価に相応しい結果を、僕の前に耳を揃えてあらわしてくださいよ?








 僕が愛した魔族達を一匹残さず捧げるから、あのお優しいクソ魔王陛下を、この世から塵も残さず消し去ってくれよ?







 ……ありがとうよ、エルちゃん。

 僕は子供が好きでさ。

 女子供には優しくしろって、父さんにも確か言われてたからさ。

 だから、もしかしたら、君みたいな小さい娘……魔族の子供に接してたら、万が一……億が一、考えが変わってたかもしれないと思ってさ。

 サンプルにさせてもらってた訳だけれどもさあ。


 結局僕は僕だったよ。

 君は可愛くて、美しくて、優しくて、高貴だったけど、僕の恨みは消えなかったわ。

 所詮僕は小人だ。怨み続けるだけの、非生産的な、ただの凡人だ。


 だからさ。本当にありがとうエルちゃん。

 君のおかげで確信が持てた。

 僕はきっと、きちんと最初の目的に真っ直ぐ向かえている、気がする。


 ちゃんと君らを生贄に、クリスを滅ぼすことが出来る。

 ほんとにありがとよ、馬鹿娘。

 お礼にお前が死ぬときには、指差して笑ってやるよ。

 何せ愛しているからな。

 愛だよ愛。これも愛。

 僕は、君らを愛しているからね。ティア様は契約に関しちゃ融通きかせてくれないから、僕は魔王なんて怪物を殺すにふさわしい大事なものを差し出さなきゃいけなかったんだけど……その点君らはもう言うことなしさ。


 ちゃんと君らは、僕が捧げるに値する立派な供物に育っているよ?



「……私、吐いた唾は飲まないわ。きちんと、貴方の望みを叶えてあげるから」


「ええ、ええ、そうなりましょうな。楽しみです」


「……ふふ、私も。少しだけ楽しみ」




 ――エレクトラは、思索する。


 だって、貴方が教えてくれたんだから。

 

 疑問と回答を繰り返せば、真実に近づけるんだって。


 不思議な貴方のこと、私はずっと疑問に思っていたけれど、意外と貴方、単純だったから答えは簡単すぎたの。


 家族を殺されて許せる者は、いない。


 ……知ってるのよ、ナインちゃん。貴方のことは、ちゃんと知ってる。

 

 全部全部、知ってるんだから、と。




「ね、ナインちゃん」


「なんです? 夜も更けました、そろそろおねむの時間ですよ?」


「今夜は貴方と一緒にいたいわ。添い寝してくれる?」


「……拒否権はなさそうですから、はい、喜んで」





――――――――――





 現在僕らは、アプリアの街中を馬車で巡っているところである。

 あちらこちら店を回っているところを見るに、必要なものを買い足してからこの町を離れることになるのだろう……僕ごとき木っ端にはクリスは予定すら教えてくれないのだ。ほんとひどい。


 なお、昨夜は馬車でエルちゃんと二人一夜を過ごしたが、もちろん不埒なことはしなかった。


 そんな気分にもならなかったし、手を出せばエルちゃんに激烈なお仕置きを受けるだろうし。

 というか、僕はそもそも童貞である。道程の最中なのだ。気安く夜這えるほど度胸などないのであった。


 それより何より、先ほどから不機嫌そうに目の前に座っている、クリス……少女の姉に細切れにされるのが火を見るより明らかだったし。


「……何をじろじろと見ている、山猿」

「いいえ、そのようなことは」

「ならば軽々に余の視界に入るな。不愉快だ」

「ええと、かしこまりました」


 そう言って僕は腰を上げ、クリスの隣に座りなおした。

 そしたら、頭をひっぱたかれた。


 理不尽ではあるまいか。


「陛下、何をなさいますか」

「気安く余の隣に座るな、下郎が。身分をわきまえよ」

「左様ですか」


 そう言われちゃあしょうがない。


「よっこらしょ」


 僕は再度腰を上げ、クリスの上に座った。



 そしたら、体が狭い馬車の中で二回転位していた、ようだ。


 何せ数分気絶していたから、おぼろげな記憶に基づく推測でしかない。

 さすがは魔王といったところか、器用なものである。神業だ。出来れば一生披露して欲しくない種類の。

 

 がたごとと揺れる車中、その床に押し付けられたほっぺたの痛みで目を覚ました僕。

 お尻のあたりの圧迫感から、クリスの足置きにされていることに思い至った。

 四つん這いで足蹴である。ひどい女である。ゴリラのごとき益荒女である。


いとぅございます。何をなさるというのか」

「言葉もないわ、最早貴様が口を開くのも許しがたい。黙っていろ」


 ……めっちゃ怒ってる。昨日の夕方まではこんなにつれない態度ではなかったから、原因はそれ以降にあるのだろう。


 勿論予想はつく。エルちゃんが僕のところで寝ていたことだろう。


 現在僕の視線は床周りしか映さないため見ること叶わないが、クリスの目元はやや腫れぼったい。

 あんまり寝れてないご様子である。つまり一晩中まんじりともせずエルちゃんが部屋に帰ってくるのを待っていたのだ。

 健気なことだ。


 しかし僕がこんな目に遭い、クリスがぷんぷんしている元凶たるエルちゃんは無邪気なもので、椅子に膝立ちの姿勢で馬車の外を楽しそうに眺めている。


 ……報われないクリスには同情を覚えないでもないが、八つ当たりはやめて欲しいもんだ。


「ねえ、お姉様。次はどこへ向かうの?」

「……エル。その前に余に何か言うことはないのか」


 おそらく昨夜、部屋に戻らなかったことを揶揄しての言葉だろうが、エルちゃんの胆力は大したもので。


「あら、何のことかしら」


 そうエルちゃんがふんわりと言うものだから、やはり気分を害したままのクリスは、彼女にすら視線を向けずに再度口を開く。


「……おおよそ必要なものは揃ったからな。この町での用は次で最後だ。市場・・の監視だよ」

「監視って……ああ、そういうこと」


 ……そういうこと? どういうこと?


 なんのことか分からない。そんなに治安が悪そうな町ではなさそうだけど。わざわざ王様が見に行く必要がある場所なんてあるの?


 そんな僕の疑問顔を受けてか、エルちゃんは未だに四つんばいの僕に屈みこんで顔を近づけ、こっそりと耳打ちをしてくれる。


「ここ、港町でしょ? 人間からの密貿易も当然あってね、当然表ざたにできないものも扱ってるの」

「ふむふむ」

「その中で特に監視すべきものって、ナインちゃんなら分かる?」

「んー、ぬー……麻薬とかです?」

「それも勿論そうだけど、そっちは現場の行政官がちゃんとやってるわ……うふ、アロマの受け売り」

「んむー」


 察しが悪い僕を相手に、エルちゃんはそっと、そのたおやかな指から伸びる爪で、外の二人組み……いや、彼らが連れているもう一匹を指差した。


「……これから見に行く市場の商品は、人間よ。貴方のお仲間は、この小さな町からも輸入されてる」

「ああ、なるほどにゃぁ」


 たまに見かける人間奴隷は、首輪がつけられているから一目で分かる。というか、魔族領で生きる人間のうちで、首輪がついていないのは僕ぐらいではなかろうか。

 これはどうも、人間側の魔族に対する文化が流入したのだか、人狼の文化が歪んで解釈されたのかのどちらか……らしい。

 以前ガロンさんが、彼女自身人狼だからか思うところがあったのだろう、むっすり顔で教えてくれた。


「……ふん、山猿。貴様は以前言ったな。人間としての立場に未練などないと」

「ええ」


 声をかけてきたクリスを見上げようとすると、その気配を察したのかお尻に加わる足の圧が上がった。顔を上げるなということだろう。


「これから行く場所を見ても、同じことが言えるか見せてもらおうか」


 ……エルちゃんは知らないだろうが、クリスは僕がディアボロに来る前の経歴を知っているはず。

 しかも御馳走部屋で働いていた僕にそんなことを言うということは、やはり買う前と買われた後では違うということなのかな。絶望の度合いとか。恐怖の新鮮味とか。

 そもそも僕は奴隷商の末席ではあったが、人間から人間への人間の売買だけだったし。……なんか早口言葉みたい。混乱しそう。

 それに運搬畑の人間だったから、実際市場の現場にはあんまり明るくないんだよなあ。

 僕がやっていたのは、売り買いされた人間の健康管理がメインだったし、今回見に行く場所、少しばっかり興味がなくはないのだけれど。


 まあ、どっちにしても趣味の悪い話だ。精々心を天に遊ばせてやり過ごそう。

 ……慣れてはいるが、ほんと趣味悪い。やっぱり魔族だあね、この姉妹ってばさ。


 お前らは邪悪だよ。

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