平和な世界の片隅で
――セネカの果て、とある一角で、今日も人々は日々の営みを続けている。
この小さな村の名は、サーヴァンテセカ。たった一つだけ世界に誇れる業績を成したが、それを知る者はほとんどいない。
晴天の下、ここは相変わらず平和で、何も変わったことなどない、いつもどおりの様相を見せている。
「おい、収穫は終わったか?」
「ええ、昨日無事に終わりました。今回のは随分良い種を使ったから、期待しているんですが……」
「そうかい、じゃあ検査は来週あたりにやろうか」
彼らが生業としているのは、農業……に属するだろう。それ以外には表現しようがない。
この村の特産品は随分高い値で取引される。
それを国内外に売ることで、彼らは村の規模に似つかわしくないほどの収益を得ている。それによって裕福な暮らしをしているのは一部では良く知られている話だ。
……しかし私は、その内情を良く知らなかった。
だからこそ、この村にとどまっている。
「三番ケージの調子悪いな。あのままじゃ逃げちまうぞ」
「おお、それな。もうダナンさんの所に修理を依頼してるよ。それよか二号畜舎の方の、産気づいてるって話だ。様子見とけ」
「そろそろか。今夜は徹夜だな、酒も飲めねえ」
「丁度良いぜ、お前は普段から飲みすぎだ」
「ちげえねえが、酒なしの人生なんざごめんだよ」
「ははは! 気持ちは分かるが、嫁さんに愛想つかされねえようにな!」
……外から、相も変わらず呑気な声が聞こえる。
この平和さにあてられた所為で、私はこの村で自分の意思によらず……とどまる羽目に陥っているのだ。
「おい、イスカ爺さんの所、また大金星だ。貴族のお目にかかったってよお、あそこの畑は本当に優秀だなあ」
「ホントかよ、あやかりてえ」
「バーカ、あそこのは別格だよ。羨ましけりゃ、良い種見つけてくるんだな」
外からの声は聞こえる。こちらからの声も、当然聞こえる。
しかし私が口を開くことはもうない。それにはいくつか理由がある。
一つ、既にもう、散々試した。そして無駄だと知った。
二つ、大声で喚き続けた所為で、私の喉はもう潰れている。
そして三つ目……。
ギ、と粗末な小屋の扉が開く。
そこから差し込む久しぶりの日の光に、思わず目を細めた。私の瞳孔はすっかり暗さになれていたが、彼らの余りに規則正しい生活音から、時間感覚を失うことは許されなかった。
……それが可能だったなら、もっと早く私は狂うことが出来ただろうに。
長靴の重い足音が近づいてくる。
「よう、都会の方。そろそろ心の準備はいいかい?」
「……ぁ、ぁ」
「ああ悪いな、聞いても仕方ないわな」
悪い悪い、と言いながら、彼は私の軽くなった体を抱き上げた。
先ほどの二つに加えて、三つ目。もう声が出ないように、私の舌は処置済みとなった。
罵ってやろうとしても、私の口から声は出ない。もう、出ることはない。
暴れることも出来ない。いくつか腱を切られた私は、もう抵抗が出来ない。
「ま、二、三回産ませてみんべ。当たりだったら良いんだが……外れだったら潰すしかねえな」
ここがあの栄光の……村だなんて、そんな。
嘘だった。
全てが、虚偽に彩られていた。
ただの一記者が、踏み込むべき領域ではなかった。
私が知っていたのは、ただ、ここがかの誇るべき……!
「ウチの稼ぎ頭の畑になれる位、頑張ってくれや。一頭養うにも、金がかかってしょうがねえんだから」
「ぅ……、う! ぁぇ!」
「おうおう、元気だあな。良いこっこ産んでくれや」
こんな場所、こんな地獄。
これがかの勇者の生まれ故郷だなんて、そんなことがあるはずがない。
ここは地獄だ。掛け値なしの地獄だ。
神は、こんな場所の存在を許すのか?
何故、この村の人間達はのうのうと生きている?
「んぁ……!」
――既に意味ある音も出せない口から、神に向けた言葉を投げるが、それは何も効果を成さない。
その誰にも聞かれない言葉が、神に祈るものか、神を呪うものかすら、本人以外には知られることのないまま、広い畜舎の中に消えていく。
「それじゃ、他の奴とも仲良くしろよ? ウチの牧場の名に傷つけたら承知しねえかんな」
そう言って、男は。
最早人間の尊厳を奪われた、ある家畜を、自分の牧場のケージに閉じ込める。
――そして、いつもどおりの日々は続く。
何故なら、これがこの村の日常であったから。
他の地区から隔離されて見えない敷地、そこに点在するのは、牧場。人間の、牧場。
セネカ国サーヴァンテセカ村。その特産品は、人間。
それが、『勇者』サリー・スノウホワイトの生まれ故郷……その現在の姿であった。