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魔性、そして彼女との日々の終わり

「ほらナインちゃん、足元に気をつけてね」

「はいな……っとぉ!」


 城から城下町に続く裏道、その途中にある垣根からはしたなくも可憐に飛び降りたエルちゃんに続いた僕は、つんのめりながらも無事に着地に成功した。


「だから言ったじゃないの、ダメねえ」

「運動不足のつもりはないんですがね」

「結果が全てよ。ほら、おてて出して?」

「はい?」

「曲がりなりにもデートって奴でしょう、これ。なら……」


 分かるでしょ、と小首をかしげてジト目の彼女。

 僕は思わず苦笑しながら、その手を取って、軽く小走りを始めた彼女においていかれないように付いていく。


 ……運命の脱走決行日、それはあっという間にやってきた。


 といっても、早朝に出発して昼過ぎには戻る予定という、冒険と称するにはあまりに可愛らしいものなのだ。


 あまり大事にならない程度の提案をエルちゃんがしてくれたのは、大変ありがたい。何せ、僕の首がお空を飛んじゃうリスクは、エルちゃん不在の時間に比例していくことは目に見えている。

 存外その辺りを考えての今回の城下町観光かもしれない。全くエルちゃんってば、優しくも狡猾な女の子だ。

 ……ふと傍らにいる彼女を見やる。

 いつものまっくろくろすけな装束はなりをひそめ、町娘が着るような落ち着いた無地の桃色ワンピースだ。

 しかもエヴァさんから無断で拝借してきた秘薬とやら(胡散臭いことこの上ない)で、蝙蝠みたいな羽も矢印型の尻尾も今はどこへやら、服の中に収まってしまったようだった。

 こうしてみると人間となんら変わりなく見えるが、傍目には魔族と分からない種はいくらかいるので、そう怪しまれることもないだろう。

 むしろ危険なのは僕だ。前にピュリアさんとデートしたときなんか、鼻が利く種族にメッチャ怪しまれていた。超怖かった。


 閑話休題。しかし便利なもんだ。僕が姿を変えるには、そりゃあそれなりの代償が必要だってのに。


 ……人間に混じることも、出来るんだよなあ、人間に似た魔族は、こんな手段で。


 んんん、色々考えちゃうなあ。昔話では人間に混じって人間の国を崩壊させた怪物がいたとも聞くけど、なんでそんな効果的な手段を封印したんだろう。

 プライドだろうか。我々はあくまで魔族である、みたいな。

 いいね、いいね、そういうの。


 立派だよね。ひひひ。それ以上はノーコメントさ。


「エルちゃん、似合ってますよその服」

「あら、ありがとう」


 またぞろ思考が散漫になってしまっている。

 エルちゃんとのデートなんだ、余計なこと考えてるとまたお仕置きされちゃう。


「初めてこういうのは着たけど、動きやすくて悪くないものね。ただ……」

「ただ?」

「ちょっとひらひらし過ぎかも。生地も安っぽいし、これ下着見えちゃわないかしら」

「あらまあ、だったら尚更おしとやかに歩かなきゃ、ですね。町についたら飛んだり跳ねたりしちゃダメですよ」

「わかってるわよ、目立っちゃったら見つかるかもしれないし」


 とりあえずはお忍びという体なので、僕もここの土地で目立たない服を城の職場の先輩からお借りしている。

 彼は獣人だったので獣くさいが、仕方ない。

 ガロンさんの匂いはむしろいつまでも嗅いでいたいくらいなのに、男の匂いなんざ鼻が曲がりそうだが仕方ない。

 ああ畜生。早く母さん帰ってこないかな……ああ、ダメダメ。少なくとも今日までは、僕はエルちゃん専用なんだってば。内心の浮気も禁止、禁止。


「見えてきたわ! あそこ、あそこよ!」

「ほらほら、はしゃぎすぎちゃダメですって」


 気を取り直して、エルちゃんとのお忍びデートを楽しむとしようか。





 ――二人の男が、互いに机に置かれた書類を眺めている。

 表情は緩んでいるものの、その眼光は鋭い。

 全くその目は笑っておらず、それを相手に悟らせぬよう、互いに書類に集中している風を装っている。


「……いやはや、困ったものだ」

「しかし貴公、西の力が削げれば喜ばしかろう?」

「はは、これは手厳しい。参った参った」

「いかがか?」

「……私に祖国を切り売りしろと? 余り見くびらんでいただきたい」

「ふむ」


 片方の男が、書類の数字を指差す。


「これほどではいかがか」

「はははは、なんとこれは……私の忠誠を疑っておられるようだ」

「ならばこれでは?」


 男は二重線で消し、新たに数字を加える。


「桁が一つ足らん」


 その言葉を受け、男は新たに数字を加える。それも大幅に。


「しからばこれでは?」

「ハッハ! それはいささか高すぎる! 借りになってしまう」

「ふはっ」


 今まで提案を拒み続けていたもう一方の男が、はじめてその手を動かした。

 ……その手に持たれた筆が、結局、最初に書かれていた数字とさして変わらぬ額に戻す。


「……これでよかろう。いや、失礼した。そちらの提案を鵜呑みにしたとなっては、上が納得せなんでな」

「ではこれで。はは、貴公も戯れがお好きで」

「ふむ。なあに、民草の千や二千、すぐに田畑から生えてこよう。娯楽もない農民だ、腰を振るしか楽しみもない」

「違いない違いない、ハッハハハ! ……では」

「うむ、くれてやろうくれてやろう。土地も気候も違う。アグスタの奴ばら、金を吐き出して土地を整えてくれるというなら願ったりだ。まあ、魔族の所為で空気が汚れようが……ん、貴公らの……何といったか……」

「ああ、第四位の」

「そう、そ奴よ。消毒させればよい。火はよい」


 男達は、笑いあう。


 ――なあに、事実、今回の件だけでも収支は合うのだ。あそこの監督官は民衆に情けをかけすぎて税収が低い。好都合である。

 それに魔族がいなくなればこのセネカの生臭どもは用済みだ。始末すれば良い。獅子身中の虫がおるとも知らずに笑っておくがよい。

 そう、フォルクスの重鎮は笑う。


 ――魔族狩りの際の肉壁にしかならん無能共。数が多かれど、蝗のごときよ。既に布教の種は十分蒔いた。

 神の御名の元、こ奴ら無能の足元にいる気の毒な民草共は、我々が救い上げてやるか。

 そう、セネカの教区長は笑う。


「ハッハハハハ! いや、有意義な時間であった!」


「ふは、ああ愉快だ、さあ、我々の!」


「目先の敗北を祝して、乾杯!」


「道化た屈従を、精々噛み締めておこうではないか! ハハハハハ!」



 ――ナインの知らぬところで、世界は既に動き出している。

 彼が歯車となって動かした世の流れは、歪み、そして多くの命の灯火を攫っていく。


 ここで行われた僅かな会話の結果。

 リール・マール南部に接するフォルクスの田舎、そこに住まう無辜の民衆達の生殺与奪の天秤は……イスタが陥落した際に、まったくのついでとして、恐らく確実に発生するであろう被害をこうむる本人達の知らぬところで傾いた。






 ――城の一室のサロンにて、呼びつけられたセルフィがクリステラに頭を垂れる。


「公務ではない、お前の茶と……あと、話し相手が欲しかっただけだ」


 その魔王の言葉を受けて、部屋に用意してある紅茶を淹れる。

 そして、一礼して斜向かいの席に座り、最近の城の様子などを話す。


 クリステラが問うのは、下女の様子や、城下町で不満などが出ていないか、治安の様子はどうか。そういった内容が多かった。


 ……たとえ公務でないといっても、クリステラはこういった話をセルフィからよく聞きたがる。

 陛下は十分よくやっておられます、とアロマから聞かされても、彼女はどうしても、自分の下にいる民や部下の様子が気になるらしい。


 そんなクリステラの青臭い生真面目さに、セルフィが穏やかに微笑みながら付き合うのは、さほど珍しい光景でもない。


 一通り最近のディアボロのことを聞き終えた彼女は、紅茶を一すすりして、再度口を開いた。


 セルフィは、クリスの表情に少しばかり影が差すのを感じ、やや姿勢を正して耳を傾ける。


「セルフィ」

「……?」

「予定通り明後日、ここを発つ。あの山猿に、余の権勢を……ひいては魔族の人間に優越する証を見せてやる」

「……」

「留守を頼むが……エルとアロマを見ておけ。些細なことでも構わん、何かあれば余が戻り次第報告せよ」

「…………。…………」

「……ふん。フォルクスの奴らはじきに食糧自給も不可能となる。侵攻は来年以降のこととなろうが……これまでの牛歩のごとき進捗に比すれば、最早秒読みだ。飢えの苦しみを味わうがいいさ」


 セルフィは、黙って己の主に頭を下げた。

 思うところあれど、彼女は何も口にしない。


 クリステラに対して、セルフィは、諌めの言葉を口にしたことなど一度もない。


 それは己の分を弁えた忠義の表れだと、皆思っている。


 ……いいや? セルフィは己の立場を理解しているだけだ。

 己は従者なのだから、こう振舞うべきだろうと彼女は感じ、それを実行している。

 そこに特に隔意はない。隔意は、ない。


 セルフィ・マーキュリーは、己を誰より理解している。

 だから、彼女はいつも微笑んでいる。

 まれに悲しみ、怒り、泣くこともある。


 食事をとる。寝る。太陽を浴びる。

 洗濯をする。掃除をする。

 模型を組み立てる。食事を作る。

 衣類をたたむ。

 部下に愛される。部下を愛する。

 たまに怒られる。たまに叱る。たびたび慰める。

 ものを作り上げていく。システムを作り上げていく。


 目の前で、国が作られていく。それを手伝ってみる。


 ……世界を魔族が支配していく。


 虐げられていた魔族が、虐げる側であった人間を呑み込んでいく。



 それはとても楽しいことだった。

 彼女はいつでも、楽しんでいる。


 彼女は楽しいことが大好きだった。


 彼女はディアボロでの生活が、大好きだった。




 ―――――――――――――――




「ほら、ナインちゃんこっちこっち、早く来て!」

「お待ちくださいよう、僕もうそんな若くないんですから……」

「何言ってるの、ほら早く! あそこ、あの人だかりは何?」


 ……十四歳児、そのエネルギー溢れる生命を侮っていたといわざるを得ない。

 こちらの手を引っ張りまわし、目立ってはいけないとの言いつかりもなんのその。ご飯を食べては安っぽいと文句を言いつつキャッキャ笑い、出店の商品を眺めては何これ何これとキャッキャはしゃぎ。

 エルちゃんは、今まで近くにありながら目にすることのなかった町の探索を存分に楽しんでいるようで……。


「あれは大道芸って奴ですよ。魔族の方もこういうのやるんですね」

「あ、あ、すごい! ほら、一個、二個、三個……どんどん増えるわ! あれ、ジャグリングって奴でしょ? 私知ってる!」


 引きずられていった先の広場では、まだ少女と言って良い年頃の魔族が、ひょいひょいとナイフをお手玉代わりにしている。

 それによって宙に描かれた軌跡は綺麗な楕円を保っていて危うげなく、熟練の技術によるものであることが見て取れた。


「おーおー確かに、お、まだ増え……マジか、十三、四……まだいくのあれ!?」

「すごい、すごいわ! あの子、私とあんまり変わらない年でしょうに、あんなことって出来るものなの?」

「いやあ、そんなことありませんでしょ。たいしたもんだ」


 ピエロじみたメイクをしたその少女は、すとすとと落ちてきたナイフを帽子の中に入れていき、最後の一本は口で受け止めた。

 完成された技を見せられた観衆の大喝采の中、一礼して引っ込んでいく。

 次に出てきたのは、筋骨隆々の獣人だった。

 綱で繋がれた騎竜を引いてきたのを見るに、力比べを見せてくれるらしい。


「……あら、今度のはあんまり面白そうじゃないわ。あんなこと、誰にだって出来るでしょ」

「出来ませんよ。魔族ったって、力自慢ばかりじゃない。魔力を使ったって、あんだけでかいのと引っ張り合いできるのは一握りですよ」


 ……人間が普段目にするのは戦闘に長けた種族ばかりだから、なおさら魔族と言う種類は恐ろしく見える。実際、ここに来るまで、僕もその先入観が残っていた。

 しかし魔族も生き物であって、力の大小に関してはピンキリだ。

 例えばピュリアさんだって、単純な筋力で言えば僕のほうがよっぽど強い。彼女は魔力と羽、そして爪と言う武器があるからこそ、素手の人間に優越できている。

 もし彼女が単純な筋力だけで空を飛んでいるというなら、そりゃあもうあんなスレンダープロポーションは維持できまい。胸板が五倍くらい厚くなきゃ空なんぞ飛べないだろう。

 そんな彼女はまったくもって見たくない。魔力と言うものがあって良かった。

 ニッチ過ぎるだろ、マッチョ女って。どこに需要があるんだよ。

 いや、嫌いじゃないけど限度がある。


 ……それはともかくとして。


「周りも拍手なんかしちゃって、ただ引っ張るだけじゃない。私ならもっと盛り上げてあげられるわ」


 そう言ってはしたなくも腕まくりの仕草をみせたエルちゃんを慌てて止める。


「ダメダメ。ダメですよエルちゃん」

「なんでよ、私も混ざりたい」

「高貴な方が、あんなことするもんじゃありません」

「身分を考えろっていうなら、今の私は町娘よ、いいじゃない別に」


 ……ふむ。

 はしゃぐのは別にかまわないが、このあたりの道理は弁えていただきたい。

 曲がりなりにも先達として、教えて上げられることは教えておいてあげてもいいだろう。


 女の子には優しくしなさいとお母さんから……お母さん? ガロンさんそんなこと言ってたっけ?

 んんん、とにかく誰かから教わった気がするし。


「……じゃあ、言葉を変えましょ。貴方が誰であれ、彼の代わりをつとめることは許されません」

「なんでよ!」


 少々興奮気味のエルちゃん。

 分からないでもない。自分にできることが目の前にあって、それで歓声を受けている人がいるのだ。

 羨ましいんだろう。自分もあんなふうに目立ちたい、そんな気分が抑えられないのかもしれない。 


 ……この子はまだ子供なのだ。普段どれだけ大人ぶって見せても、一皮剥けばこんなもんか。

 だから、こんな真っ当な情緒が見られるのは、なんともくすぐったいというか喜ばしいというか。


 なんか父性がわいてきそう。


「あそこは、彼らが自分の人生をかけて整えてきた場です。ここにいる人たちは、それを見に来ているんです」

「……?」

「人には……魔族には、自分の領分と言うものがあります。適材適所……ともまた違いますが」

「……よく分かんない」

「ともあれ。彼らの邪魔をするのは野暮というものです。大道芸人には大道芸人の。エルちゃんには、エルちゃんの仕事があるでしょう」


 そう言って、芸を済ませて大汗をかきながら引っ込んでいく彼を指差す。

 笑顔で手を振り、拍手に応える彼は、自分の仕事に誇りを持っているのが表情から見て取れた。


「ああ、終わっちゃった……」

「そうです。彼は、この短い時間の為だけに自分の生を捧げているんですよ。それをね、その活躍の場をね、あっさり奪っちゃうのは無体に過ぎませんか?」

「でも、私にだってできるもん」

「ここにいる人たちの中に、同じことが出来る人がいるかもしれません。でも、誰もそれをしません」

「なんで?」

「……彼に恥をかかせ、何より自分の恥になるからですよ」


 身の程を弁えない行為は、いつだって損しか生まない。

 成功したとて、それで生計を立てるわけでもない。一時的な快楽のために、彼らが立てただろう綿密な段取りを崩すのか?

 万が一失敗したとき、どんな責任を取れる?

 ため息をはいてこの場から離れる観客を、どうやって引き止められる?


 人生をかけて行ってきた彼らの事業を妨げる権利が、この世の一体誰にあるのか?


「目立ちたい、そりゃ結構なことです。でも、それはエルちゃんの領分の中でやるべきことなんですよ」


「……知ったようなこと言うのね」


 ふ、とエルちゃんの表情が翳る。様子が、変わった。


「私は、みんなの為にたくさん殺したのに、誰も褒めてくれなかった……」


 ……ああ。

 なるほど。


「お姉様、泣いていたわ。私が有情を殺めたことを、後悔していた。私は、お姉様のお手伝いがしたかっただけなのに」


 人間を、たくさん殺した。それは、なるほど確かに魔族の領分だ。


「誰も、誰も褒めてくれなかった。殺しすぎだ、殺すにしても、やりすぎだって。串刺しにして磔にして、そんな残酷なことは、人間か悪魔のやることだって」


 ……未だに芸は続いている。

 誰もこちらの会話になど、耳を傾けてはいない。


 そんな中で、陰鬱な少女の独白は続いた。


「みんな、私のこと、おかしいって! あんなのは、誇りある魔族のやることじゃないって……!」


 エルちゃんは、ぽろりと涙をこぼす。

 ……エルちゃんの涙を見るのは、これが二度目か。

 初対面のとき、愛に惑った彼女は美しかった。

 今の、過去の傷に泣く彼女も同様に美しい。


 魔族って生き物は、何やっても美しいんだもんなあ。ずりいよなあ。

 女の涙にゃ敵わないってのは、やっぱり本当なんだよなあ。


「じゃあ、私はどうすれば良かったのよ……」

「どうもせんでよろしい」

「……はあ?」

「何も間違ってないんだから、堂々としておればよろしいです。何を恥じることがあるんですか」

「え?」

「僕だって知ってますよ。エルちゃんの所業は。イスタの『アケルダマ』、鮮血街道って名前で、観光名所になっちゃってるじゃないですか」

「それは、みんなが私のことを揶揄して……」

「違いますよ。あそこが開かれたから、魔族はイスタの大半を落とすことが出来たんじゃないですか。エルちゃんは立派に自分の出来ることをやったんでしょ?」

「……でも、お姉様は褒めてくれなかったもん」

「そりゃ、独断で勝手にやったって話ですからね。彼女としちゃ、思うところもあるでしょう」


 何より、自分の妹には汚れ仕事をさせたくなかったんだろ。

 クリスはぬるいからな。

 甘々だから。

 僕にゃ都合がいいけど。


「……褒めてほしかったんですよね。分かりますよ。エルちゃんは一所懸命考えてやったのに……」

「……うん」


 自分が正しいと思ってやったことが否定されるのは、とても しいからね。

 分かる分かる。


「エルちゃん」


 そう、僕は声をかけて、彼女の頭にそっと手を置いた。

 振り落とされるかなとも思ったが、彼女は俯いたまんま、軽く身じろぎしただけだった。


「貴女は間違っちゃいない。結果がどうあれ、貴女が皆のことを想ってやった、その一点は、絶対に間違っちゃいない」

「……」

「貴女が人間を殺したのは、間違っちゃいない。やり過ぎた? 結構なことです。それで誰が困るかって言ったら、主に人間でしょうよ」

「……」

「面子だのプライドだので騒いだ他所の領地の魔族は放っておいてよろしい。貴女は、魔族の為を想い、魔族のために行動しました。そこは絶対、間違ってない」

「……うん……」

「次は、誰もが文句をつけられないようなやり方で成果を挙げればいいんです。まだ幼いんだ、失敗なんか何度やってもいい」

「うん……」

「誰が褒めてくれなくても、僕は認めてあげられます」


 そう言って彼女の頬に、そっと手を撫でおろす。


「貴女は頑張ったんだ。よくやりました」

「うん……!」


 自分のことを棚上げにして説教するのは心に響くなあ。

 いやあ、ほんと辛い。


 辛いなあ。



 ――ひとしきり泣いて落ち着いたエルちゃんを、先ほどまでの広場にほど近い公園のベンチに座らせる。


「飲み物、リンゴしかありませんでしたけど大丈夫ですか?」

「うん」


 失った水分を体が欲していたのか、喉が渇いたとおっしゃる姫君に出店の飲み物を渡す。僕の寂しい財布でも、このくらいは買うことが出来た。


「……混ぜ物の味がするわ」

「贅沢を仰らないでくださいな」


 舌が肥えてる人はこれだからやだよ。

 庶民の飲み物はそんなもんだよ。


「……さっきはありがとう」

「え? ……ああ、お気になさらず」


 両手で一口飲んだきりのジュースを抱えながら、ぽつ、とエルちゃんは呟いた。


「ちょっと楽になったわ。やっぱり私はお子様ね。あんなこと引きずって」

「そう言わないでくださいよ。引きずるにゃあ十分な」


 十分な傷だろうよ。でなきゃ、僕なんか。

 僕なんか、居たたまれなくてしょうがない。


「駄目よ。私は強くなくちゃ駄目なの。でないと、お姉様を支えられないから」

「……クリス様が聞いたら、泣いて喜びますよ」

「嘘よ。お姉様は、私に弱いままでいることを望んでいるわ。……自分が強くならざるを得なかったから」

「それは」


 思わず反駁しそうになったが……そうかもしれない。


 クリステラは、強い。単純な魔力の話じゃない。

 彼女は強かった。僕が最初に覗き見たときは分からなかったが、彼女には彼女なりの芯がある。

 彼女は、明確な……それも利己的じゃない目的の為に、自分の心を殺して動いている。最近は表情も動くようになってきたが、出会ったばかりの時はまさしく鉄の女と言う様相だった。

 それが最近ポンコツ化してきたのは別に僕のせいだけじゃないだろう。

 クリスは、エルちゃんが年相応の顔を見せるようになって、きっと安心してしまったんだ。


 ……王たるには相応しくないが、姉として彼女は申し分ない優しさがある。

 まあ、アリスお姉ちゃんも負けてないけどね。


 だけど。それはクリスが弱くなった証なのかもしれない。魔王として、その脆弱な精神はもたないだろう。


 僕はディアボロに来て、魔族を知った。獣人を知った。

 彼らの心を知った。それはとても柔らかく、暖かく、人間らしい良識を備えていて、美しかった。


 ……そこに傷を入れるのを躊躇うには、十分なほどに。


「ね、ナインちゃん」

「……あ、はい。なんです?」

「もう、またぼんやりしてる」

「失礼をば」

「いいわ、許してあげる。貴方は私を認めてくれたから。それが、嬉しかったから……」


 ……またお叱りが来るかと思ったが、お許しいただけた。



 嬉しかった、ってねえ。そりゃそうだろうよ。


 君が言ったんじゃん、だって僕は君の玩具だぜ? 持ち主が喜ぶなり楽しむなりする為にゃ、なんだってするし、なんだって言うよ?


 君だってそれを望んでたんだろ?


 ……にこりと笑って、エルちゃんは口を開いた。


「ね、ナインちゃん、お礼に一つ、何かしてあげたいと思うんだけど。貴方は、一体何が欲しい?」

「は、あ……?」


 何言ってんのこの子。

 僕が欲しいのなんて決まってんじゃん。


 君達だよ。

 君達の、心を……。


「正直に言っていいのよ。もし私に死んで欲しいって言うなら、今すぐにでも叶えてあげる」

「な、なにを」

「ナインちゃん。簡単に心を預けるほど安くはないのよ、ディアボロを治めるデトラの家名も、私自身も」

「……」

「玩具よ。貴方は私の大事な玩具。だけど、貴方には心がある。心は、心でしかあがなえない」

「……そんな」

「貴方が思っている以上に、私は貴方に救われているのよ? ……信じてはもらえないかもしれないけれどね」

「そんな」

「貴方が望むものを言ってごらん、人間。この私、エレクトラ・ヴィラ・デトラが叶えてあげる。何に代えても」


 そういって、エルちゃんはこちらを見上げる。

 小さい彼女が、僕の胸ほどまでしか背丈のない彼女がえらく大きく見えて、逆に見下ろされているような、そんな気分がする。


 ……気圧されて、いるのか? 僕が?

 仇である魔族に?


「さあ、望みを言ってごらんなさい」


 彼女は僕の目を、その琥珀色の目でまっすぐに見つめている。


 それがあんまりにもあんまりで、吸い込まれそうで、鳥肌が止まらなかった。




 …………。




 城下町が、どんどんと遠ざかっていく。それを名残惜しげに振り返るエルちゃんと僕は、手を繋いで城に戻っていく途中。


「……」

「……」


 彼女は喋らない。僕も喋らない。

 ただ、握った手には時たま力が入り、体温が伝わる。彼女も僕と同じように、それをきっと感じていることだろう。


 ……僕は、彼女に対して回答の保留を求めた。

 エレクトラ・ヴィラ・デトラは、それを了承した。


 僕は以前、ガロン母さんに債務の督促をし、それは既に返済された。

 エルちゃんからは、債権の押し売りをされて、僕は結局、その支払いに何を求めればいいのかを口にすることが出来なかった。


「今はまだ答えがない、そういうこともあるでしょう」


 エルちゃんは分かったようにそんなことを口にして、それが妙に気にかかって、僕は結局あれから一言も彼女と言葉を交わすことが出来なかった。


「ここまででいいわ。今日は楽しかった」

「いえ……勿体無いお言葉です」


 あの垣根を飛び越えれば、僕らの小さな冒険は終わりだ。

 彼女は既に薬の効力も切れて、いつもどおりの尻尾と羽を見せている。


 僕はいつもどおり、門の方から入ればいいだけの話なので、これはただのお見送りだ。


「……」

「……」


 やっぱり言葉が出てこない。

 いつもみたいに、おどける余裕もない。自覚している。

 僕は疲れていた。


 僕は、彼女達に要求する立場なんだ。

 彼女達に、僕が望むものを、与えろと言うべきの。そういう立場なんだ。


 なのに彼女は望んで、この僕になんでもくれてやろうと、そんなことを言う。

 これは……一体どういうことだろう。

 彼女は余りにも体当たり過ぎる。僕の以前の評価は、やっぱり間違ってなかった。

 彼女は向こう見ずな小娘で、そして何より、怪物だった。


「ナインちゃん」

「はい?」


 呼びかけておきながら、振り返りもせずに、ふわりと垣根を飛び越える彼女。

 ひらひらの服の裾が、太股の付け根までを露わにする。太陽が真上にあるから影になっている筈のそこは、それでもぞっとするほどに白く、思わず目を逸らした。


「女はね、口先だけでも喜べるときがあるの。覚えておくといいわ」


 一瞬だけこちらを流し見た彼女は、そう言い捨てて去っていった。


 ……見透かされていた。僕の醜い内面はとっくに見透かされていた。

 その上で、あんなに優しい言葉を投げかけてくれやがったのだ、あの小娘は。


 ……ことごとく。

 ことごとく僕は、彼女に上回られてしまったようだった。


 自分が安い人間なのは自覚しているが、それでも僕にだって、人間としての最低限のプライドはある。

 幼い彼女は、そこら辺の機微をまったく無視して、僕の幼稚さをそんな言葉で優しく踏みにじっていった。


 僕は不実な人間だ。だからこそ、卑俗なプライドがここに来て邪魔をする。僕を苛む。


「……クソガキが、安いこと言いやがって」


 ……舌打ち一つして、僕も背を向ける。


 なんかむしゃくしゃしてきた。これであのガキのお守り期間も一区切りなんだ、久しぶりにアリスお姉ちゃんの尻尾でもモフモフして癒されてこよう。

 上手いこといかないもんだよ。僕に女衒ぜげんの才能はないな。


 ……幸せなガキめ。

 いいさ、精々充実した気分でいやがれ。僕の心が、お前の読んだ物語の登場人物みたいに綺麗なもんだと思っているなら大間違いだ。


 いつかお前の身も心も、くびり殺してやる。泥濘に引きずり込んでやる。

 お前の姉貴も含めて、魔族全員、地獄に叩き落してやる。


 だから。


「精々仲良くやろうじゃないですか、エルちゃん」


 このくらいの挫折では、僕の愛はくじけやしませんからね。


 覚えておきやがれエレクトラ、魔性の怪物め。

 ふん。


 ……あー、くそ、くそ、畜生。

 苛々する。ふざけろ。クソが。

 あの目は知ってるぞ。僕を哀れみやがったな……?


 虚仮にしやがって。虚仮にしやがって。

 この僕を、虚仮にしやがって……!





 ……蛇は、惑う人間を哀れむ。

 沈思するのは、ただ我欲。


 ――時間がない。もう少し、もう少し。

  エレクトラは良い駒だけど、少し動きすぎよね――


 ――ナイン……負け惜しみなんか言ってる場合じゃないのに。貴方が貴方でいられるのはもう少しなのよ――?


 ――貴方が感情を失いさえしなければ、どちらに転んでも、私は別にかまわないのですけれど――


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