アンコーラ・ダ・カーポ
「お久しぶり……という程ではありませんか。またまた貴女のナインが帰ってまいりました。ご機嫌麗しゅう」
「騒々しいですわね」
アロマさんへの顔見せ第一声とその返答である。
クリスにつけその妹御につけ、やはりここの女性たちは辛辣に過ぎる。こっちだって、ある程度気をつかってのこの態度だというに。
先だってのリール・マールからの帰還時に比べれば、離れていた時間は余程短い。それでもまあ今回も負けず劣らず濃密な体験であったので、時間感覚は狂うものだ。
彼女ら魔族にとって、時間の流れ方が人間と同じかどうかは知るところではないけれど。
……いや、本当のところ。きちんと向かい合って生産的に話をするということなら、今回ようやく、というか、久しぶりと評しても問題は無いのではないかな、と思う。
出発前にチクリと彼女の心の傷をつついたのは、真っ当な会話といってよいものではなかったのだし。
「僕が居なくて寂しい思いしてるんじゃないかって、気張ってちゃちゃっと早めに帰ってきましたのに。つれませんこと」
「……クリスから経緯は聞いておりますわ。尻拭いをさせた形になったのは……私の未熟ですものね……申し訳ないことをしましたわ」
あら。
「……お気になさらずぅ」
あら、素直……と手放しに喜んでいいものか。こりゃエルちゃんの見立てどおりだろうかな。
プライドの高い彼女が素直に謝る、それはつまり。僕の重要性が彼女の中で高くなった……と見れるほど僕は楽観主義者じゃない。
わざわざ「クリスから」話を聞いた……というあたり、んーむ、あれか。やっぱりクリスに面倒をかけたことが気になってる、のかしらん。
……まだ、彼女にとっての一番は、クリステラだな。そう見ておいたほうがいい。
まあ、出会って一年も経っていない男をそこまで信用してくれるのは、普通は無いわな。しかも種族的な、敵。
ガロンさん、アリスさん、ピュリアさん。彼女らとは、事情に違いがあるし。そう、決定的な違いが。
……女の考えることを本気で掘り下げるなら、観察は必須事項。
男はプライドで動くが、女は本能で動くきらいがあると聞く。いくら『観る』のが得意といっても、所詮はまだ短い付き合いだ。濃密な接触はあれど、今は見に回ろう。
明確な利益にかかわらず無意識に嘘を吐ける能力を持つ、女という生き物の性。それを軽んじられるほど、僕は手持ちに余裕があるわけでも、老成しているわけでもない。
何せ僕は女性のその部分をこそ尊敬していることもあるし、足元を掬われたくはない。
そう、今は見だ。
「……ガロンさんも」
「?」
「ほら、彼女も少し意地張っちゃっただけですからね。貴女が折れてくれたおかげで、話が早く済みました」
「……私が書いた手紙のことを仰っていて?」
とりあえず様子見の一手。さあ、どう来る?
「嘘ばっかり」
「へっ?」
……くす、と下品にならない程度。しかし、鼻で笑われたことに変わりは無い。
「どうせガロンさんのことですから、読まないで捨ててしまったのではなくて?」
「はははいやいやそんなまっさか」
バレてーら。やっぱり侮れない。腐っても彼女ら、長い付き合いだにぃ。
さて、どうするかな。
……また整理するか。
僕の目的のためにも、この女は必須だし。何よりクリスと付き合いが長いってのが良い。大事だ。
そんな重要な……駒。こいつを……はっきり言ってしまえば依存させるに当たり、僕は何をすべきだろうか、と。
コンプレックス、その根っこはもう掴んでいる。そして僕はそこに忍び込んだ、『お父様』を……なすり付けた。そこまでは良い。
何せこいつは罪悪感の塊だ。それを癒すには『ゆるし』が必要だった。
要は正当性だ。後ろめたい気分にならず行動が出来るってのが、アロマさんには必要だった。
結局この娘は、どこまでいっても『クリスのため』って大義名分が一番なんだろう。そう言うことが出来る間は、彼女はなんでもやれるだろう。
深層心理の中じゃ言い訳だと自覚してても、結果が伴っていて本人からも感謝されてりゃ、そりゃもう現実にアロマ・サジェスタを癒してくれたことだろさ。
そして今まではそれが上手くいっていたわけだけど……。
それだけじゃあ満たされなかったから、僕の稚拙な催眠にも縋り付いた訳で。
心に隙はあるといえばあるけど。僕がクリスにとって邪魔になるという思考がまだアロマさんにある以上、これ以上踏み込むのも中々難しい。
こういう女を陥落させるにゃ、どういう手口が効果的かな?
……ふむん。
ピュリアさんのやり方でも真似てみるかな。
「ね、ね、アロマさん」
「何? 私、これでも忙しいのですけれど」
毎度毎度、そんなことで逃げようったってそうはいかんぜ。
「僕これから一週間、エルちゃんに付きっ切りになってしまうことになりましてね」
「それがどうかしました?」
……やっぱり時間を置くと駄目だな。依存が弱まってる。
「いえ、アロマさんにお顔みせがまた暫くできなくなってしまうと寂しいなあって」
「気持ち悪いこと言わないで頂戴。大の男が」
こ、このくらいではメゲないぞ。
まずは実利で攻めてみよう。
「……じゃあ、本題です。今回のことでの貴女様の失点……僕としては是非とも取り返して欲しいかなって愚考しますの」
「口が過ぎますわ。あなたに気遣われる筋の話ではなくてよ」
「僕が気にするんですよ。ガロンさんの短慮が発端とはいえ、僕の所為……というか、僕がきっかけと聞いちゃえば、そりゃあね。僕は気にしいなんです」
「思い上がりよ。自信過剰も大概になさい」
ちぇ、本当に落ち着いてやがるなあ……いいや次行こう次。
「でも、今度陛下とお出かけといいますか、なんか見せたいものがあるとのことでして。それでご一緒する機会を賜りましたもんで、その時にアロマさんの話題が出たときに、身の置き所も考えなきゃって思いますのね」
「ふん……卑しいことね。人間らしいと言えばそれまでかしら。それで?」
……やっぱり賢いな。「クリスとアロマ、どっちにも尻尾をふりたい」……そういう意図、分かってくれて助かるよ。そこも含めて、さっきからの無礼を見逃してくれてるってとこかな。
時間あけすぎたからかな、今の彼女と僕との距離感じゃ、そんな感じだ。
ともあれ。
「……サプライズプレゼント。そんなもんとかで陛下のご機嫌麗しゅうされましてはいかがかな、と」
「サプライズ……?」
一石二鳥な話さ。
「貴女様が。貴女こそが陛下の、一番の部下だという忠義を示される良い手段でもあると思うんですが……」
「……言うだけ言って御覧なさい」
僕は人狼達への媚売りの手間が省けて。
君は手柄を手に入れる、そんな都合の良い話だよ。
「イスタ。あの国に住まう人間達の最後の希望……ティアマリアを、貴女の手で落としてみては?」
僕の言葉に、アロマさんは何の反応も見せなかった。
聞こえていないはずはない。
余りにも非常識な内容だと理解しているから、彼女は最早瞬き一つの労力すら僕に向ける気がないようだった。
そんな彼女に対し、辛抱強く返答を待つ。
その内面倒くさくなったのか、彼女はため息一つ、やや目を細めて口を開いた。
「……戯言も、程ほどになさい」
「一概に戯言とは言えませんでしょう。リール・マールの世論を見るなら、こないだの件が広まってきた頃です。新魔族派一色になった今、ティアマリアを攻めたとてこっちに悪感情は向かないと思いますが」
「貴方は誇大妄想狂ね。ナイン、貴方に政治の何が分かるの。今の言葉は忘れてあげます……」
「最後まで聞いてくださいよう」
「戦略は私が立てるの。勘違いも過ぎれば、滑稽以上に不愉快よ。己の立場を弁えなさい」
ここまで僕の首も刎ねずに話を聞いてくれてるだけで、昔に比べりゃえらい進歩さ。
それにね、それにね? 僕、アリスさんから聞いてるんだよ?
貴女、何気に身内に敵も多いんでしょ? その若さでそんな地位にいりゃ、そりゃね。
でね、旧態の男系魔族を排斥した所為で、磐石とは言いがたい貴女の立場がね、もうちょいしっかりしてくれるようなお話ならね?
聞いてみてもくれるんじゃないかなーってさ。思うんだよ。
「ちなみにですが」
「妄想にまだ続きがあるの?」
そりゃもう。妄想を現実にする魔法の言葉があるとも。
「ヴァーミリオン卿は、僕の意見に賛同してくれました」
「……なんですって?」
そこでようやく、アロマさんは驚きの反応を示してくれた。今の今まで、本気でただの妄言だと思っていたんだろう。
「今なら、彼らの全面的な支援が得られると、そう申し上げております」
「嘘……人狼達は、この件に不干渉だったのに」
まあ、イスタは獣人に寛容な国だったからね。最低限の義理は感じていたのかも知れないけどさ。
それに、ティアマリアを放棄した人間達がリール・マールに流入すれば、治安の悪化なりなんなりもあるだろうし、そこまでシンプルな話じゃあないかもだけど。
でも、リール・マールがこっちについてくれるなら。
挟撃、という形もとることが、できるんじゃあないかにゃ?
少なくとも、食糧とかの支援は、受けられると思うんだ。ティアマリアへのフォルクスからの物資調達も、獣人が協力してくれれば、防ぐことが出来る。
一番単純で、分かりやすい、優位性。
ほら、『音楽隊』の……余韻が、まだ残っているんだよ。アロマさん。
観客は期待しているんだ。指揮者も演者も、舞台を降りちゃあいないんだよ。
「あっこを攻めて……手に入れれば、今後のディアボロのホールズ掌握……随分やりやすくなりましょうね。これ以上イスタに、あたら労力をつぎ込む必要もなくなりますし」
「……クリスに」
「陛下に相談? そりゃあ無いでしょう。僕が最初に貴女に話を持ってきた理由を察してくださいよ」
「……」
歯を食いしばる音が聞こえた。
賢い女は、話が早くて良いよ。こう思ってんだろ?
『クリスに話を通した時点で、この話はナシ』ってさ。
……人間の僕が、人間嫌いのヴァーミリオンに取り入ったことも、アロマさんのことをヴァーミリオン卿が嫌っていることも含めて、色々、そりゃもう色々考えているんだろうね。
そんなこと、しないのにね。
僕はサプライズプレゼントをしたいだけ。貴女が自分の判断でクリスに内緒にしてくれるなら、助かりますってだけ。
……僕から持ち出した話だってクリスにバレりゃ、あの小娘は感情で駄目出しをしそうだからね、そんだけ。
「さて。どないします、アロマさん?」
「それでも……私の独断では。クリスを裏切ることに……」
粘るなあ。
いいやもう面倒くさい。
――ぱん。
「それに? なんだ、アロマ。それに、なんだ。言ってみろ」
「……それに! 人間社会を征服するのは、クリスが自分の手でやらないと……!」
「……うん?」
「あれはクリスの望みなんだから、クリスが、あの娘が自分でやらないと、いつまで経っても他人頼りになっちゃう……」
……くっだらねえ。
面倒くせえ。本当に面倒くさい。
アロマさぁん、こっちもさあ、最近疲れてんだよ。おままごと、自分でやる分にはいいけどさ。
君らのおままごとにまで付き合ってやる気力は残ってねえんだよ。
君の罪悪感は知ってるけどさ、内罰も過ぎれば、それこそ滑稽だよ? 母親気取りか、馬鹿女。
あー、あー、あー。
もういいや。どうせティア様曰く、僕には時間があんまり残ってないんだ。
――ぱん。
「アロマ」
「は、はいお父様」
「お前には言っていなかったが、僕はね、ガロンさんと結婚を前提にお付き合いをすることになっているんだ」
「……えっ?」
アロマさんは、最初は言っている意味が分からなかったのか、ぽけっとした表情を見せた。ちなみに可愛かった。
それが段々と蒼白になっていくのは、もっと可愛かった。
「き、聞いていませんそんなこと!」
言ってないって言ったじゃん。これからも特に誰かに言うつもり、無いけどさ……意味ないし。
「急な話ですまない。しかし、君が今回、僕の言うことを聞いてくれれば……」
「あぅ、でも、でも……」
そう、聞いてくれれば助かる。ガロンさんと、本当に結婚できるんだ……ってね。ひひ。
ティアマリアを落とすのは、卿と約束しちゃったし。
僕が笑いをかみ殺していると、また勝手に勘違いしてくれてる様子のアロマさん。さっきのヴァーミリオン卿の協力、という話と関係しているとでも思っているんだろう。
そして、僕の言うことを聞かないと、自分のそばから『お父様』がいなくなる……ってか。
何度でも言うが、便利な女だ。
もう別に結婚なんてしなくても、僕はガロンさんにお母さんになって貰ったっていうのにね。
僕なんかに……僕なんかにすがるなんて、本当に、本当に心が傷ついていたんだね。
ずっとずっと。今までの人生、本当に不安だらけだったんだね。
馬鹿な女だ。
ついでだ。あと一押しでもしてやるか。
お前の罪悪感の根っこ、取り払ってやるとしようか。
「それにねぇ、アロマ。僕の可愛い娘や」
「……」
「君がイスタを落としたと聞けばね……」
――きっとクリスも喜ぶよ? いつか貴女の秘密が知れたとて、きっとあの娘はこう言うはずさ……。
自分はなんて、良い姉を持ったのだ、とね――
そうして。
アグスタ内最大勢力『ディアボロ』の宰相、アロマ・サジェスタは。
悪魔の甘い言葉に唆されて、ティアマリアの攻略を決意した。
歪な音楽が鳴り続ける。
いつまでも鳴り続ける。
悪魔が放り投げたタクトに惑わされ、獣人も、魔族も、あたかもそれが自分の望みだとでもいうように。
致命的な勘違いを繰りかえして、不恰好な音楽を鳴らし続ける。
この、有能な……有能であったアロマ・サジェスタの短慮な行動こそが、リール・マール及びイスタに対する政治的・軍事的奇襲行動……通称『音楽隊』の締めくくり。
『アンコール』。
生贄の羊が犯した、血まみれのアンコール、と。
そう呼ばれることとなる。




