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素敵な世界

「……ひぃっ!」

「あ、起きた? お疲れさん」


 ソプラノ・プラムは、目覚めてまず、自分の喉に手を触れた。自分の武器の調子を確認するのが、使徒になってからの習慣であったから。

 次いで、辺りを見回す。

 見覚えはないが、どこかの家の中、そのベッドの上で自分は寝かされていたようだった。


「あ、れ? わ、私……なんで……?」


 自分が生きているのが、信じられなかった。

 あの時、間違いなく自分は逃れられない死を目の当たりにしたのだから。あのヴァーミリオンが、自分を生かして逃がすなんてあり得ない。


「出発前に言ったでしょ? 一人死んだら、他の仲間が死ぬ確率が上がるのよ。そう簡単に使い捨てなんかしないわさ」


 そこで初めて、他者の存在があったことに気付いたソプラノは、声のした方に顔を向ける。壁に寄り掛かったニーニーナは、腕組みをしてこちらを見ていた。

 そんな彼女は、さも薄情な言いぶりをしながらも、心配そうな表情を浮かべていた。


「せん、ぱい」


「ローグの件もあったからね。こっそりアンタらのこと、見てたんだけど、さ」


 そこでニーニーナは、腕をほどき、腰に手を当ててため息を吐く。


「今回のは悪かったわ、ナイン……アイツがどんな相手か、見極めとこうかと思ってね。アンタが始末するなら、それでも……って思ったんだけど、当て馬にする形になっちゃった」


 ニーニーナはもう一度、ごめん、と頭を下げる。


「いえ、先輩は……悪くありません。私が未熟だから……」


「……ローグから聞いちゃいたけど、本当に魔術は使えないらしいね」


「嘘!」


 ソプラノは、自身の先輩に、何を見ていたのか、と言わんばかりに声を荒げた。


「嘘です、そんな、人間に、魔術を使えない人間にあんな、あんなこと……!」


「見たわよ。変身、回復、幻術……選り取り見取りだわ。よく分かんないのもあったけど」


「それなら!」 


「それでも。それでもアイツのは、魔術じゃない……。魔術はあんなに、万能じゃない。空気中のマナにだって、魔術特有の反応が残ってなかった」


「……じゃあ。じゃあ、あれは何だったって言うんです。あんなの、あんなの……ありえない!」


 そう言って、自身の体を抱きしめて震えだすソプラノに対して、ニーニーナは体に障ると言って、ベッドに再び寝かしつけた。


「……私、使徒になって間がないです。自分の不勉強もあると思います。でも、あんなの、人間どころか、魔族にだって出来る筈……」


 そこで言葉を切って、ソプラノは俯いた。

 そんな彼女に向かって、一つ、ニーニーナは思い当たる単語を発する。


 ――蛇。


 そう呟いたニーニーナの言葉に、ソプラノはびくりと体をまた震わせる。


「アイツ、言ってました。蛇、自分は蛇だって」


「……うん。そのお陰で、ちょっと見当がついたかも。いや、まさかなって思ってたんだけど、ね……」


「先輩、心当たりあるんですか……?」


「心当たりって言うか。あんまりアタシも詳しくないし、おとぎ話みたいなもんだから。けど」


「……けど?」


「もし、アイツがアタシの想像通りなら……人間じゃあ、ちょっと勝てないかも」


「え?」


 既にソプラノに向かってではなく、一人言のように、ニーニーナは続けた。


「魔族がサリアのくびきから逃れられないように、正攻法じゃあ人はあの蛇には多分勝てない。使徒でも難しいなら……それ以上を使ってみるか。魔王への試金石にもなるかもだし、上もきっと納得する……」


 ぽそぽそと独り言ちていたニーニーナは、不意に顔を上げて、言葉を続けた。

 


 ――丁度いい。ムーを使おう。ムーを、アレにぶつける。













 ――冷たい風が頬を切る。

 高い空、人が到達できない高度をピュリアさんに運ばれながら、僕はヴァーミリオンの治める領地から遠ざかっていく。

 どうしてもこの高さは慣れなくて、下腹がふわふわする感触に耐えながら、どこまでも続く地平線を眺める。


 ……ピュリアさんは、一言も喋らない。


 匂いのしない澄んだ空気の中で、彼女がくれたマフラーから、仄かに彼女の香りに似た何かを感じる気がして。

 僕は、少しだけ後ろめたさを感じながら、そこに鼻を埋めた。



 ――ガロンさんは、後から追いかけると僕達に言った。

 この寒い土地に生き抜く人狼たちは、寒波の中でもディアボロまでの道のりを踏破することはさほど難しくはないらしいので、名残惜しみながらも素直に先に城に帰ることにした。


 昨日、僕は彼女を脅迫した。我ながら酷く下衆な手段で、彼女を僕のお母さんに塗り替えた。

 彼女は僕の仇で、僕は彼女の仇になって。それでも彼女は、僕を受け入れてくれた。


 嬉しかった。


 ……僕は地獄に落ちる。間違いない。

 けれど、それでも良い。そんな所、きっと今僕が生きている世界と大して変わりはしない。

 もし地獄の獄吏……鬼なんてのがいるとしたら、どんだけ苦しめてくれるのかむしろ楽しみなくらいだ。


 家族がいない世界なんて、所詮地獄なんだ。

 だから僕は、意地でもその世界を塗りつぶしてやるんだ。

 神様とやらが僕にそんな人生を押し付けるなら、僕はそれに唾を吐いてやる。


 もっと、もっと。

 やっとお母さんが戻ってきたけど、もっと家族を。もっと。

 そうすれば僕は、あの頃失ったものを取り返せる。


 ……何より。奪うために、まずは与えないと。あいつ・・・から奪うために、あいつ・・・の全てを奪うために、僕は魔族達に、愛を与えないと。


 ……まだまだこの世界は地獄のまんまだから、だから僕は。


「かーげがこわいよ、ぶーけふぁらぁす。おっひさっまだっいすっき、ぶぅけふぁらーぁす……」


 ……適当に意味もなく呟きながら、ガロンさんとの別れ際の会話を思い出した。



「あのよ、一つ言い忘れてたんだが」


 そう言って頭を掻きながら、ちょっとだけ躊躇いがちに彼女は言った。


「あの使徒な、仕留め損ねた」


 ……なんでそんな大事なこと、今更言うのか。家に帰る前に言ってくれれば良かったじゃないか。僕がそう言うと彼女は、顔を真っ赤にして怒鳴ってきた。



「お前が人の黒歴史をほじくり返しやがるから、頭からすっぽ抜けたんだよ!」



 ……そんなこんなで。今回の旅で、誤算が一つだけ出来てしまった。

 ソプラノたんは、殺し損ねちゃった。けどまあいいや、女の子を殺すのなんて、僕の趣味じゃないし。ローグきゅんも生かしちゃったし、別にいい。僕の目的には、そんなに関係がないんだから。

 そういや……彼女、聖歌隊だったのか。昔教会に通っていたときに良く聞いたもんだ。好きだったなあ、ティナさんとフィナさんの歌ってたあのアリアは。彼女をもしもう一度殺す機会があったら、彼女のレクイエムにしてあげよう。


 ……むしろ気になっているのは、ニーニーナ……あの女だ。僕のこと変な目つきで見てたし、僕なんか引き込んでどうするつもりだったんだろ。

 それに、なんか彼女、見覚えがあるような無いような、良く分からないんだよなあ。基本的に物覚えはいいつもりなんだけど。

 でもいいか、思い出せないなら、きっと大したことじゃないんだろう。



 ……結局ピュリアさんは、城に着くまで、一言も喋らなかった。







 ――そうして。


 ヴァーミリオンという怪物を、操り人形にするために。

 ヴァーミリオンの一粒種を、使徒の手から取り戻すために。


 ただの人間……素朴な生涯を送り、英雄的に死んだ男。ウィルソン=フラーレン・ハーヴェスト。

 その連れ添い。息子を誰より愛し、その手で育んだ女。カラー=カラード・ハーヴェスト。


 この世に、弱く儚く、そしておぞましい悪魔を生み出した男女の名。


 それが、誰より忘れるべきではない者の記憶から消えた。



 ……悪魔は、牙をとぎ続ける。

 舌舐めずりをしながら、おっかなびっくり愛と血を舐めとっていく。


 想いは集約していく。

 この世界の散漫なあらゆる物は、かき集められ、方向性を定められることにより形をなし、結果をあらわす。

 そしてそれは、心とて例外に当てはまらない。


 祈りも。

 呪いも。


 ただ一点に無駄なく凝集してこそ、奇跡となりうる。



 人間であったナインは、人間になせぬことを求め続けた。

 いや、求め続けているのだ、今もなお。



 ――蛇。そう、蛇も舌舐めずりを続けている。待ちきれぬと言わんばかりに。












 ――その頃、フォルクスの僻地にて。


 バッカス・ドランクスは、感嘆したように言う。

「ココ、お前はやる奴だと思ってたよ」


 イヴ・アートマンは、呆れたように追従する。

「一撃だったな」


「毎回こうなら良いんだがよ」

「仕方ないさ、そういうギフトなんだから……でも、まさか本当に効くとは。ガネーシャには効かなかったがな」


 そんな彼らに、面白くもなさそうに、ぼそり、と。

 只人が百人集まっても殺すことのできない魔物を、刹那で絶命させたココ・サイクロプスは呟く。


「……じゃあ酒奢ってくれ。褒めてくれるんなら」


「それとこれとは話が別だ」


「そうだな。別だ」


「……ふん、ケチ共め」


 ニーニーナの到着を待ちながら、彼らは雑談を続ける。最早この地でやることはないのだからと、呑気な雰囲気がそこには漂っていた。


「そういや……折角だしイヴ嬢よ、お前里帰りしてきたらどうだ?」


「……それもいいかもしれん。この辺りだろう? お前の故郷の、なんといったか……そうそう」


 ――ブレーメン。

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