欠片
――目の前の女……ニーニーナの話は、それほど長いものでもなかった。
ある程度予想していた内容とも、一致していた。
つまり、こいつにはオレ達魔族を恨むだけの十分な理由があったと、それだけの話で、それに加えて、偶々ナインとも縁があっただけ。
……ナインの、アイツの本当の名前を知れたことだけが、収穫だった。
「んで、アンタの話はそれだけ?」
こちらからの話を聞き終えたニーニーナは、興を殺がれたとでも言わんばかりに片足の爪先を地面に打ち付けながら、そう言った。
「……ああ。オレが知っていて、話せる範囲はそれだけだ。それ以上は言わん」
「ふうん……」
腕を組みながら、それでも隙を見せないままの使徒を見ながら、いつでも噛み切れるように、舌を歯に挟み、相手のアクションを待つ。
ガロン・ヴァーミリオンの誇りにかけても、これ以上口を開いて万が一にもディアボロに不利な情報を与えて裏切るくらいなら、あるいは辱めを受けるくらいなら、死を選ぶ。
……冥土の土産が、アイツの……少年時代のちょっとした昔話と、ママゴト相手だった自分ではなく、腹を痛めて生んだ親から受け取った、本当の名前。
十分だと、そう思えた。
……しかし、絶対に助からないはずのこの状況で。
未だに恐怖以外の理由で自分の命を保持していることには、余りにも自分にはそぐわない理由が関係しているようで、思わず笑いが漏れそうだった。
自分は最後まで、ナインに見透かされていたのかもしれない。
サンドリヨン……シンデレラ気取り、か。
……きっと、自分の家からそんなに離れていないにしても、ここがどこかも分からないのは、ナインも同じだろう。
何より、王子様だなんて。ナイン……あの道化野郎には、一番そぐわない称号だ。
だからきっと、来るはずがない。
自分の様な男女を、あれだけ罵倒した馬鹿な小娘を迎えに来るだなんて。
そんなおとぎ話は、あり得ないのだ。
――ニーニーナは、考える。
神妙な表情で人狼は、ヴァーミリオンの名にかけて、と前置きしてから、話し始めた。
その上で聞いた限りでは、今はナインとやら名乗っている男、本当に催眠や洗脳の類ではないらしい。それらに必ず発生するはずの兆候や魔力痕跡が見られないとの話なら、おそらく真実なのだろう。
これが自分たち人間の言ったことなら、たとえ拷問にかけて得た情報であってすらも、まず信用はしない。人間だったら、嘘をつける。
しかし、こいつら獣人は嘘をつけない。誇りだのプライドだの、そういったものと関係なく、その名にかけて誓ったことについて、こいつらは嘘をつけない。
そういう風に、創られている。
サリアに。
……本当の歴史を知っている立場からみれば、こいつら魔族だの獣人だのは、余りにも哀れな存在だ。
ただ、これまでの歴史通り、自分たち人間は自分たちの都合にしたがって行動し続ける。
こいつらが人間の敵である以上、始末することに一々罪悪感なんか覚えていたら、精神衛生上まったくよくない。
生きるってのは大変なのだ。
……まあ、必要な情報は得た。それも、所詮は個人的な話。
これ以上時間を取れば、自分の後ろで口を尖らせているパートナーに貸しを作り過ぎてしまう。
「悪いね、公私混同が過ぎたわ」
「ほんとですよ」
ソプラノにしては珍しく、本当に怒っているらしい。自分たち使徒の中でも、相当温厚なこの娘がこんなに直截に怒りを示すのは稀なことだった。
自分に非があるのは承知しているが、気の長いソプラノをこれ程苛立たせる原因は、どうも、ヴァーミリオンのネームヴァリューだけではないらしい。
「ピリピリしちゃって。『勝って兜の緒を締めよ』っつっても、自宅で書き物しながらそんなことしてる奴なんか、旧世界にもいやしないわ」
「……ニーニーナさんには、分からなかったんですか?」
余りにも真剣な顔で、思わせぶりなことを言うソプラノに、思わずこちらも少しばかり言葉に緊張が混じる。
「何が」
「アイツと近くで向かい合って、何も感じなかったんですか?」
その語り口から、それと今までの様子から。
アイツというのが、人狼娘ではなくもう一人の正体不明……ナインのことを指していることが分かった。
「……つっても、確かになんか変な雰囲気の子だったけどさ。ローグとやり合えるだけの何かがあるんでしょうし、出来ればこっちに引き込みたいかなーって」
「冗談はやめてくださいよ! あんな、あんな奴!」
いよいよ言葉に真剣味を超えて、恐怖が現れ始めた。
以前、この娘に向かって、ナインだとかいう裏切り者が、生き返りだの良くわかんない術を駆使してローグを下した、と伝えた際には、「人が生き返るわけないでしょ」と、こちらの正気を疑ってくれた癖に。
挙句、そんな大仰な幻術を見破れないのはあまりにも……とまで言ってくれたので、拳骨をかましてやったのだった。
そんなことを何故か思い出しながら、黙り込んだソプラノの言葉の続きを待つ。
極寒のこの地では、何もしなければ、人間は余りにも儚く死ぬ。
だから、体温の維持が出来るよう、イヴに術をかけてもらっていた筈なのだが。
何故か、背筋を冷たい何かが撫ぜたような、そんな感触が走った。
再度口を開いたソプラノから出た言葉は、人間の限界を超え、凡俗にとって畏怖の対象である使徒の一員から出たそれとは思えないものだった。
「あんな化け物、できることなら一刻も早く殺さなきゃ! あんなのが、人間であるわけないじゃないですかッ!」
そう、彼女が震えながら叫びをあげた直後だった。
……自分にも、もしかしたら予感、というか期待があったのかもしれない。
かつての姿を知る筈の少年が、使徒の一人を予想外にも倒した彼が、どれほど自分の想像を上回ることをしてくれるのか。
その力の一端を知りたいと、そういう思いがあったのかもしれない。
でも、まさか。
「ひどいなあ。化け物呼ばわりは、流石の僕も心外です」
洞窟の入り口から、夕陽の逆光で影になったシルエットを現しながら、声が響く。
……本当に来るなんて、本気で思ってはいなかったんだけど。
――ガロンは、あの聞きなれた、そらっとぼけた声を聴いた瞬間、思わず耳を疑った。
「な」
間抜けな音が自分の口からも漏れ出る。
何しに来やがった。
お前、馬鹿じゃねえの。
どうやってここに、寒くはないのか、いや、何故ここにいると分かったんだ?
何しに、こんな所へ。
「およよ、ガロンさん。御無事そうで何よりです」
そんなこっちの驚きなど知らぬげに、わざとらしく右手で目の上にひさしを作って此方を見やり、呑気な様子で洞窟に一歩二歩と入り込んできたナインは、左手でオレに向かって軽く掌をひらひらと振る。
いつも通りの足取りで、場の危険度合いも理解していないかのようにこちらにふらふら向かってくる馬鹿野郎を止めようという意図だろう。
ニーニーナが目の前を遮るように、拘束されて転がされたままの自分とナインとの間に立ちはだかった。
「……さっきぶりね、ナイン。随分と早い再会になったこと」
「ええ、先ほどぶりで、ニーニーナさん。そちらのお嬢さんは……お初ですね」
そう言ってナインは、ソプラノと呼ばれていた使徒に顔を向けた。
「……」
そして声を掛けられたその女は、剣呑な雰囲気を纏いながら、沈黙で返す。
平常なままに見えるナインは、普段と変わらずの空気の読まなさ……あるいはわざとか、そんな様子で相手の態度を気にもせずに言葉を紡ぐ。
「はじめまして、ナインと申しますう。今後ともよろしゅうに」
それが癇に障ったのか、ソプラノの表情は険しさを増した。
「……黙ってください。それ以上近寄ったら、タダじゃあおきませんから」
「……御挨拶くらいは欲しかったかなあ。まだ僕、貴女に嫌われるようなことした覚えないんですけれども」
ナインはそう言って立ち止まり、残念そうにこちらに眉の下がった情けない顔を向ける。いや、ニーニーナに遮られて見えなかったが、そんな表情をしていることは容易に想像できた。
その程度には、この男のことを理解していると自信を持って言えるのだ。
でも、分からないことがある。
「……ニーニーナさん。殺害許可を」
「ちょい待って。まだよ。まだそいつに手ぇ出しちゃ駄目」
使徒二人の、殺気の混じった会話もそっちのけに、思考は空回りし続ける。
なんで。
なんで、オレなんかの為に……?
勘違いしてるのか、オレは。オレの知らない理由で、偶々ここに来たとか、なんかそんな、はは。
だとしたら、オレはどうしようもない道化になるな。でも、まさかだろ。そっちの方がましだ。
こんな、こんなオレを、こいつが、弱っちい人間が、人狼のオレを助けに来るなんて。
人狼としちゃ、生き恥の極みだ。
……でも、ガロン・ヴァーミリオンという、女としてなら?
「ニーニーナさん!」
「待て。アタシゃ、そう言ったわさ。先輩の言う事は聞くもんよ」
「これ以上私事を仕事に持ち込むのは止めてください! 貴女とそいつがどれほどの関係なのかは知りませんが、そいつはローグさんの仇でもあるんですよ!?」
「こそこそ怖い話しないでくださいな。まだ僕これでも、話し合いの余地があればなーって期待してるんですけど」
「黙れと言いましたよ……! この、人類の裏切り者め!」
「ふぁー、おっとろしい」
……やっぱり自分は、本当は、コイツに助けてもらう事を、期待していたのでは?
女々しい。
惨めだ。
ひどく、ひどく惨め。
こんな思いをするくらいなら、ああ、城で喧嘩した時にアロマの奴に殺されていた方がまだましだった。
「……なんで来ちゃったかなあ。どうやってこの場所が分かったのかは知んないけどさ、今、君に何ができるの? 使徒二人を相手取って、生きて帰れるつもり?」
自分の内心をそっくり言い当てたかのようなニーニーナの言葉に、思わず追従してしまう。
「そいつの言うとおりだ、なんで来やがった! なんで、ディアボロに逃げなかった……」
そうだ、なんでここに来たんだ。
ピュリアと一緒に、さっさとディアボロに戻りゃよかったのに。
客観的にみても、それが最善だろう。アロマ達に報告もできる。
親父たちだって、事情を知っているならもう手を打っている筈だ。自分の捜索と併せて、自分が人質に取られている時のこと……既に死んでいる時のことを想定して。
そのくらいは考えて動くだろう。伊達にヴァーミリオンは名乗っていない。こういう事は、うちの家系の歴史の中でも何度かあったことだ。
「保留にしてたけどさ。手紙に書いてたおしりペンペンすんの、忘れてたもんでね」
「はあ……? ば、馬鹿か!?」
ってのは冗談でね、と声に笑いを含みながらナインは、こう続けた。
「大事な御用があったんですよ。僕にとっては、僕の命よりも大事な、ね」
「……馬鹿野郎が。オレは言ったぞ。お前の顔なんか、もう見たくないって」
「僕は何時間見ても飽きませんよ、お母さんのそのお顔」
「ママゴトは終わりだとも言った」
「終わらせませんよ。だってガロンさん、あの時も、今も、泣いてますし」
どうしようもなく嬉しい。
こいつが来てくれて、嬉しい。
涙が。目頭が熱くなって、駄目だ、抑えなきゃ、これ以上みっともないザマなんて晒せない……!
こんな利己的な感情、こんな情けない涙は、兵士たるもの死んでもこぼしちゃ駄目だろが。
自分はヴァーミリオン、誇り高い血族の一員なんだぞ……?
「泣くはずが、くぅ、あるか……オレは、オレはガロン・ヴァーミリオンだぞ……」
なのに、ナインは。
「なら、そういうことにしときましょう。続きはまた後でね」
そんな弱い自分までを、許容してしまうから。
やっぱりこいつがオレを壊したんだ。
もう戻れない。
ああ、畜生。
てめえが泣けねえくせに、人の心配なんかしやがって。




