シーチキンよ私を何処へ連れていく
目を開けると、そこは別世界だった。
服が濡れているから、川に落ちたことは確かだろう。ジャージで良かった。水に飛び込んだ音も聞いた気がする。
ゆっくりと起き上がってみる。横には川が流れていた。もしかして、川を経由して来たのか? 辺りは見渡す限り森だ。森。昼とも夜ともつかない、不思議な明るさをしている。夜明け寸前の白い世界を思い出す。
「・・・・・・。」
もう一度言おう。ここは別世界だ。異世界、と言い換えても良い。
もしかして私は死んだのか? シーチキンを追って川に落ちて? だとすれば、なんて無様な死に様なんだろうか。派手な討ち死になどは望んでいないが、せめて部屋で平穏に逝きたかった。溜め息が漏れる。
立ち上がる。柔らかい草が裸足に気持ち良かった。あれ、下駄が片方ない。鼻緒が切れた時に脱げたのか。片方履いていても歩きづらいだけなので、そちらも脱ぐ。
離れた草むらの中に、銀色のものが見えた。
(まさか・・・・・・。)
近づいてそれを拾う。あぁ、やはり。シーチキン缶だ。コイツもこっちに飛ばされて来たのか。何故か湧いてくる親近感。ごめんな、私がお前を買ったばかりに。
ともかく、黙って立ち尽くしているわけにもいくまい。適当に、進めそうな所を進んでいく。
土も草も柔らかい。どこか遠くから生き物の声がする。背の高い木々がバランス良く立ち並び、足元には小さな花が咲いている。良い森だ。かつては田舎で生活していた私にとって、この感覚は懐かしく、馴染み深いものだった。
しばらく歩くと、森が終わった。
まず目に入ったのは、地平線だった。壮大な草原が広がっている。膝下丈の草が一面に生い茂っている。
それから薄っぺらい夜空。薄い紺色を背景に、白い星々が控えめな光を放っていた。
(きっと、ちゃんとした夜だったら、満天の星空だったんだろうなー。)
見てみたかった。
思いつつ、さらに歩を進める。
こんな場所が天国なら、死ぬのも悪くはない。毎日居たら飽きそうだけど、なにせ広いのだ。探検し尽くすころには、成仏できるんじゃなかろうか。
田舎によく似た空気を肺一杯に吸い込むと、自然と笑顔になれた。
気持ちいい。
何もかもを忘れて、寝転がってゆっくりしたくなる。あれ? そもそも私、どうして歩いてるんだっけ? 死んだのなら、歩く必要など無いじゃないか。どうしてわざわざ、疲れるような真似をしているんだろう?
足を止める。いや、止めようとした。その寸前の、最後の一歩が、何かを踏んだ。
土や草とはまた違った、柔らかい物体。実に踏み慣れない感触に、眉をひそめる。足下を見る。
「うわぁ、人だ!」
びっくりした。とびすさる。人がいるとは思わなかった。心臓がばくばく言っている。あれ? 何故に心臓が存在する? 死んだんじゃあ――――――
「うっ・・・・・・う~~ん。」
倒れていたその人が、呻きながら起き上がった。顔を上げて、私を見る。男の人だ。年齢は同じくらいだろうか。ファンタジー作品でよく見る旅人の如き格好をしている。長めの黒髪。右目の下に絆創膏が貼ってあった。そんなところ、どうやって怪我したんだろう?
「あ、あの・・・。」
「はい?」
「何か・・・・・・食べ物を、持ってません、か・・・? すみません・・・・・・少し、分けて欲しいの、ですが・・・。」
ツラそうな声。行き倒れ、ってやつか。
「食べ物・・・・・・。」
私、何か持ってたっけ? 何かを持っていたような気がするが、何だったろうか。俯くと、Tシャツが見えた。黒地に白で、『腹が減っては戦は出来ぬ』と書いてある――――――あぁ!
そうだ、シーチキン缶!
何故、忘れていたのだろう? 手の中にはきちんと銀色の缶が収まっていて、私に存在を示している。しかし、缶切りが無い。
(困ったな・・・・・・。開けられないや。)
プルタブ式のやつにすれば良かった。後悔しても後の祭り。ううん、どうしよう。
「あのー・・・缶切り、って、持ってません?」
駄目元で彼に聞いてみた。尋ねられた彼は、眉尻を下げ首を傾げた。しかめられた顔は、何かを思い出そうとしているようにも見えた。
「持ってませんよねー・・・。どうしよう・・・・・・。食べ物はあるけど、これじゃあなー・・・。」
石で叩いたら開かないかな? 瓶の冠なら開けられるけど。缶詰って、缶切り以外で開けられないのかな。
固まっていた彼が、唐突に、動いた。両手を見て、両のポケットを探り、また唐突に硬直する。ゆっくり、彼がポケットから手を出すと、その手には銀色の缶切りがあった。
何故か彼は呆然として、それを見つめ呟いた。
「――――――そうだ、これ、缶切りだ・・・。」
何を当たり前のことを言っているのだろう? まぁいいや。
「借りてもいいですか?」
「あ、はい! どうぞ。」
缶切りを受け取って、その場に腰を下ろす。キコキコとゆっくり缶詰の蓋を切り開き、完全にそれが開くと、彼に差し出した。
「調味料は何にも無いけど・・・・・・食べ物、ですよ?」
「何でもいいです! 貰っても?」
「どうぞ。」
「ありがとうございます!」
本当は私が食べたくて買った物なのだが、まぁいいや。
彼は私からシーチキン缶を受け取ると、一瞬躊躇して、諦めたように手掴みで頬張り始めた。