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短編Ⅱ 静かな日々

作者: カイメイラ
掲載日:2026/03/08

【前書き】

前話『短編Ⅰ 君が生まれた日』の続きになります。

セレーナが完成してから、時間の流れはゆっくりと穏やかなものになった。


研究所と呼ぶにはあまりにも小さなその工房は、街の外れにある古い倉庫を改装しただけの場所だった。窓は少なく、昼でも薄暗い。だが、カイにとっては世界で一番落ち着く場所だった。


工具の匂い。冷却ファンの静かな音。


そして今は、そこにもう一つの気配がある。


「カイくん、おはよう」


朝、作業机に突っ伏して眠っていたカイは、ゆっくりと顔を上げた。


目の前にはセレーナが立っている。


淡い光を宿した瞳。まだ少しぎこちない手の動き。それでも、その表情は確かに“生きている誰か”のものだった。


「……おはよう、セレーナ」


カイは小さく笑った。


最初の頃は、この瞬間が夢ではないかと毎朝疑ったものだ。


だが今は違う。


彼女はここにいる。


確かに存在している。


* * *


セレーナは、世界を知ることを楽しんでいた。


朝は窓を開け、風を感じる。


昼はカイの作業を手伝う。


夜は人目を避けるように外へ出る。セレーナはフード付きのコートを深く被り、二人で静かな場所に座って星を眺める。


「カイくん、あの星は?」


「金星。夕方によく見えるんだ」


「きれいだね」


セレーナは嬉しそうに空を見上げる。


その姿を見るたびに、カイは胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じていた。


* * *


ある日。


セレーナは風に触れながら、静かに言った。


「カイくん」


「うん?」


「わたし、ここにいていいのかな」


カイは作業の手を止めた。


少し考えてから答える。


「もちろん」


「どうして?」


「君がここにいると、世界が少しだけ優しく見えるから」


セレーナは首を傾げ、そしてふっと笑った。


「そっか」


その笑顔は、人工皮膚やプログラムでは説明できないものだった。


それは確かに、心から生まれた表情だった。


* * *


そんな日々が、しばらく続いた。


ある日、カイはセレーナを連れて街へ出た。


「今日は買い出しだ。研究所の食料も部品も、だいぶ減ってきたからな」


セレーナはフード付きのコートを深く被る。


「こうしていれば、目立たない?」


「たぶん大丈夫だ。あまり喋らなければね」


挿絵(By みてみん)


二人は小さな商店街を歩いた。


野菜を選び、パンを買い、古い電子部品の店にも立ち寄る。


セレーナにとって、それはすべて新しい世界だった。


人の声。


焼きたてのパンの匂い。


風に揺れる看板。


「カイくん……すごいね。世界って、こんなに賑やかなんだ」


カイは少し笑った。


「そうだよ。だから君には、ちゃんと見てほしい」


だが、その時だった。


強い風が吹いた。


セレーナのフードがふわりとめくれる。


銀色の髪。


淡く光る瞳。


通りの向こうにいた男が、足を止めた。


その視線がセレーナに向けられる。


カイはすぐにフードを直した。


「……帰ろう」


「え?」


「今日はもういい」


二人は足早に商店街を離れた。


その背後で、男はまだこちらを見ていた。


男はポケットから端末を取り出す。


「……見つけたかもしれない」


慌てた様子でどこかへ連絡を入れる。


男はもう一度、二人が消えていった方向を見つめた。


「……完成させてやがったのか」


その言葉を残し、通信は切れた。


* * *


研究所へ戻ったあと、カイはほとんど言葉を発さなかった。


棚からケースを取り出し、工具をまとめ、端末のデータを急いでバックアップしていく。


セレーナはその様子を不思議そうに見ていた。


「カイくん、どうしたの?」


カイは手を止めずに答える。


「……念のためだ」


「念のため?」


セレーナにはまだ理解できない。


カイは窓の外を一度だけ見た。


商店街で感じた、あの視線。


嫌な予感が、頭から離れない。


「少しだけ、準備しておこうと思って」


「どこか行くの?」


セレーナは首を傾げた。


カイは答えなかった。


ただ静かに、銀色のケースを取り出す。


「それ、なに?」


「……緊急用のバックアップ装置だ」


本来は使うつもりのないものだった。


だが、もしもの時には。


セレーナの記憶と人格データを保存し、持ち出すための装置。


カイはふと考える。


この時間が、ずっと続けばいいのにと。


けれど――


その平穏は、ある夜、突然終わりを迎えた。


遠くでサイレンの音が鳴った。


セレーナが窓の外を見る。


「カイくん……」


「うん?」


「誰か来る」


その瞬間、研究所の通信回線が静かに途切れた。


カイの手が止まる。


「……やっぱり来たか」


次の瞬間。


外で車両の急ブレーキの音が響いた。


同時に、上空からけたたましいヘリのローター音が近づいてくる。


低空を旋回する重い振動。


複数の車両が砂利を踏みしめ、研究所を取り囲んでいく。


夜の静けさが、一瞬で壊された。


「カイくん……?」


セレーナはまだ状況を理解できていない。


カイはすぐに動いた。


机の機材を払い、端末を閉じ、銀色のケースを掴む。


カイは端末のログを一瞬だけ確認した。


外部アクセス。


位置照会。


追跡プロトコル。


――位置が割れている。


外で金属を取り付ける音が響く。


爆破装置。


カイはセレーナの手を取った。


「セレーナ、よく聞いて」


その声は、今まで聞いたことがないほど真剣だった。


カイはセレーナをまっすぐ見つめる。


「君の存在は、きっと素晴らしいものになる」


「……でも、この世界にはまだ早いんだ」


カイは一瞬だけ、優しく笑った。


「だから――少しだけ、未来で待っていてくれ」


セレーナは意味が分からないまま、ただその言葉を聞いていた。


そして――


研究所の入口で、小さな爆発音が鳴った。


――その次の瞬間。


セレーナの視界が白く弾けた。


視界にノイズが走る。


センサーエラー。


姿勢制御異常。


内部システムが次々と警告を出した。


――外部電磁干渉。


その瞬間、すべての機能が強制的に停止した。


音も、光も、すべてが遠ざかっていった。


* * *


気がついたとき。


セレーナは、知らない場所にいた。


冷たい金属の床。


白い照明。


周囲には見知らぬ人間たちが立っている。


黒い装備の兵士。


白衣の研究員。


誰もがこちらを見下ろしていた。


「……起動した」


「本当に動いている」


「信じられない……」


ざわめきが広がる。


セレーナはゆっくりと周囲を見回した。


胸の奥に、今まで感じたことのない感覚が広がる。


怖い。


「……どうして?」


小さく呟く。


「カイくん?」


返事はない。


「カイくん……どこ?」


知らない場所。


知らない人たち。


セレーナは、初めて理解した。


――カイが、ここにいないのだと。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


今回はセレーナとカイの静かな日常、そしてその終わりの始まりを書きました。

この出来事が、後に語られる世界の物語へと繋がっていきます。


物語はまだ続きます。

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