まだ夜にならない場所で
突然警察からの連絡。
全てにいみがあるとするなら。。。
詩乃の運命はどうなっていくのだろう?
「田中美智恵さんの、ご家族の方でしょうかー」
受話器を受け取ると、そのイントネーションで母の顔を思い出した。
「駅構内で倒れられ、現在、病院へ搬送されています」
言葉が、耳の頭の中を通り抜けてゆく。
駅……倒れた……搬送
それらを必死につなぎ合わせながら、私は何度も「はい」と答えていた。
電話を切った瞬間、膝の力が抜けそうになる。
――嘘でしょ。
あと少しで仕事が終わって……そうしたら買い物をして……夕食を作って……いつもと変わらない一日が過ぎてゆくはずだったのに。
ナースステーションの喧騒が、遠くに聞こえる。
「師長、母が倒れて……すみません早退させてください」
看護師だというプライドに支えられ、かろうじて動揺を隠すことが出来た。
「わかったわ。気をつけて」
その言葉に、こみ上げてきたものを、ぐっと飲み込む。
更衣室で白衣を脱ぎ着替えようとするが、指先がうまく動かない。
バッグを掴み、病院を飛び出した。
何も考えられない。とにかく走ることだけが、今出来ることだった。ホームに滑り込んできた電車に乗り込み、吊り革を握る。息が浅く、胸の奥が苦しい。
――お願い。生きていて。
どんな状況なのか、まだわからない。けれど、この職業を選んだ知識が、様々な不安を呼び起こす。
持病が影響したのかもしれない。
自己免疫疾患を発症した母は、元々血栓が出来やすく薬を飲んでいた。けれど半年前、父が事故で突然この世を去ってから、母は目に見えて元気をなくしていた。
ちゃんと薬を飲んでいただろうか。
規則正しい生活を、送れていたのか。
以前よりはまめに実家に帰るようにしていたけれど、特急を乗り継ぎ一時間半をかけてまで、そう頻繁に帰ることも出来なかった。
今になって思えば、通勤時間に三十分足すだけで通える距離だったのに。
仕事もあるし、家庭のこともやらなきゃいけない。
ううん……それは言い訳。
賢哉と旅行に行ったり、美味しいものを食べに行ったりもしていた。
私がそうやって楽しんでいる間に母は、父のいない広い家で、どんな風に過ごしていたのだろう?
母の寂しさは十分に理解していたし、寄り添っていたはずなのに。
大切な人を失うおそれを感じた今になって、母の切なさを理解し、涙が止まらなくなった。
まだ、お母さんは生きているんだよね?
後悔ばかりが胸を締めつける。
突然倒れたと聞いた瞬間脳裏には、いくつもの病名と、その予後が一気に浮かび上がった。
――脳梗塞。
――脳内出血。
――くも膜下出血。
どれも、一歩間違えれば、命に関わる。学校で、何度も叩き込まれた知識。
現場で、嫌というほど見てきた現実。
最悪のシナリオばかりが、止めどなく脳裏をよぎる。
「お願い……生きていて……」
誰にともなく、そう呟きながら、ただ病院へと続く道を急ぐ。
病院の最寄り駅に着くと、改札の向こうに夕暮れが広がっていた。オレンジ色を濃く残し、ホームの端やビルの輪郭をやさしく染めている。
まだ間に合うかもしれない。
そんな曖昧で頼りない期待を感じながらタクシーに乗り込むと、“村山総合病院”という看板が見えて来た。木々の向こうに静かに佇む古びてくすむ壁に不安が募るが、窓に映る夕焼けに祈りを込めて見上げると、重い扉へと向かった。
人工呼吸器のフローや規則的な電子音が鳴り響く病室。
ガラス越しに見える、管に繋がれた母の寝顔が、いつもよりずっと小さく見える。
――しっかりしなきゃ。
資格を活かせばやれる事があるのに、この場所では何も出来ないことがもどかしい。
「……山田さんのご家族の方」
背後から、静かな声がかかり振り向くとそこに、まだ若い看護師の半歩後ろに、その医師は立っていた。
白衣は新しく、折り目だけが妙に整っている。けれど袖口に触れる指先は落ち着かず、言葉を探すように一瞬、視線が揺れた。
話し始める前に小さく息を吸う。その仕草が、経験よりも誠実さで立っている人なのだと告げている。看護師が自然に一歩前へ出るのを見て、彼がまだこの場所の中心に立つことに慣れていないことが、否応なく伝わってきた。
不安を隠しきれないまま、真正面からこちらを見るその目には、背負ってしまった責任の重さと、それでも投げ出さない覚悟を感じられる
――若い。
そう思った瞬間、胸の奥がわずかにざわつく。頼りない、と切り捨てるには早すぎて、けれど全面的に委ねるには心許ない。完成していないからこそ、彼は職業ではなく一人の人間として目に映った。
その存在が、これから先の時間に影を落とす――そんな予感だけが、静かに胸に残った。
不安の中で出会った、まだ若い医師。
その存在とこれからどうなる未来を描きますか?




