幸せだった、その朝までは
「でも……」
その一言が、私の人生を止めていた。
「でも……」
それは弱さではなく、傷つきながらも生きてきた、自分への優しさ。
頑張っているのに、どこか生き辛さを感じている心に寄り添いながら、本当の自分へと還っていく物語。
もし他人事だと思えないなら……
それは、心がすでに気づいているから。
限られた人にだけ届く、魔法の世界。
あなたの使命は、静かに目覚め始めている。
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「どうしてこんなことに……」
その声にハッと目を覚ますと、胸の奥が、ひどくざわついていた。
まるで、この瞬間さえ、まだ夢の続きのような、妙な感覚。
——あれは、夢?
そう自分に言い聞かせても、鼓動だけが、いつまでも静まらない。
痛みと許しみの中で叫んだような気がするが、理由はわからない。
けれど、取り返しのつかない何かが、すでに動き出している。そんな予感だけが、胸の奥に重く残っている。
——もう現実だよね?
何度も確かめるように、ゆっくりと部屋を見回すと、朝の光が、白いカーテン越しにやわらかく差し込んでいる。
静かな朝だ。
いつもと変わらないはずなのに、さっきの夢の続きがまだあるように感じた。
けれどそこには、隣で眠る夫――賢哉の穏やかな寝顔があった。
結婚して六年も経つというのに少しだけ乱れた髪、そして規則正しい寝息さえ愛おしいと思う自分を、不思議に思う。
「旦那なんて空気みたいで、今さら好きとか嫌いなんて考えもしないよ」
そう言われることもある。それでも、出会った頃と気持ちはそう変わらない。それに喧嘩も、ほとんどない。
だって私は、賢哉に拾われた子猫だったから。
そう思うほど、彼と出会って初めて愛を知り、幸せを感じた。
何不自由のない、安定した毎日。
まだ子供はいないが、だからこそ二人の時間を楽しめている。世間から見ても、私はきっと「幸せな妻」に見えるはずだ。
この幸せが壊れる日など、想像もできない。死が二人を分かつまで、続くものだと信じていた。
「詩乃、今日は早いんだな」
キッチンでコーヒーを淹れていると、背後から賢哉の声がした。
「うん。早番なの」
振り返ると、寝起きのままの彼が、眠たそうにリビングに入ってくる。
「そっか。大変だな」
その一言が、やさしく染みる。
いつも私を気遣って、言葉をかけてくれる。
上場企業に勤め、残業で帰りが遅いこともあるが、それでも、忙しさを理由に、家庭をおろそかにしない。
約束を守り、誠実で、穏やかで――
彼の好きな理由をあげればきりがないほど、理想的な夫だ。
「いってくるね!」
カバンを手に扉を開けると、庭先のラベンダーと濡れた土の香りがする。
「朝方まで雨、降っていたんだ」
――もしかして、そのせい?
今朝の夢を、ふと思い出した。
シトシトと降る雨音が、夜の闇に溶け込みながら世界を涙で濡らしたのかもしれない。
「あー、今日梅雨明けだっていってたから。水たまりに気をつけてな」
「うん、行ってきます」
子供扱いするような言葉に笑顔を返すと、手を振った。
職場までは、電車を乗り継いで一時間ほど。改札を抜け、横断歩道を渡った先に職場はある。
大きなガラスの自動扉の向こうには、すでに待合室の椅子に座る人々と、白衣姿のスタッフが、せわしなく行き交っていた。
――急がなくちゃ。
梅雨が明けたせいか、いつもより人が多い気がした。地下の更衣室で白衣に着替え、長い髪を一つにまとめる。
「三浦しゃん、おはよ」
ナースステーションへ向かう途中、スリッパを鳴らし駆け寄ってきた。
「はるちゃん、おはよう」
今、私が担当しているのは小児科だ。感染症や喘息で入院している子もいれば、命に関わる重症の子もいる。
可愛くて、元気をもらえることもあれば、
時に、心が大きく揺れることもある。子どもを中心に、親と治療をつなぐ。そう言ってもいい。
子どもの心を読み、代弁者となることもあれば、親の不安を受け止めることもある。
小さな手のぬくもりに触れ、
泣き顔が笑顔に変わる瞬間に、
何度も救われてきた。
忙しくも、充実した時間。
そして、足に軽い疲労感を感じはじめた頃、いつもと変わらない一日が終わるはずだった。
申送りを済ませ、時計を見ながら、淡々と片付けをしていると、そこへ電話が鳴った。
ナースコールに、モニターのアラーム音にかき消され、いつもなら気にならない電子音。なのにそれを予知していたかのように、振り向くと、
「三浦さん電話!」ハッキリと名前を呼んだその顔に笑顔はない。
「……警察から」
声をひそめ受話器は渡された。
それが本当の運命の歯車を動かし始めたことを、私は、まだ知らなかった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます✨
次回は、平凡な幸せを望んでいた詩乃の人生の歯車が、ゆっくりと動き始めます。
あなたはどんな幸せを望みますか?
願いは口にすると叶うものですよ✨
よければ感想で教えてくださいね。




