6 妖精訓練・走り込み編
王立アストレイア学園の朝は早い。
妖精契約者たちの訓練は、通常の生徒より一時間も前に始まる。
広い訓練場に朝の空気が満ち、魔力を帯びた透明な風が流れていく。
リディアはウォーミングアップを終え、フィーアと軽く呼吸を合わせた。
『今日もいい調子よ、リディア!』
「ありがとう、フィーア。あなたが一緒だと、身体も軽いわ」
一方――
端のほうでは、ひときわ元気のない少女が地面に膝をついていた。
「も、もう……むり……走れない……っ」
セレナ・ミルフォードである。
水色の髪がしっとりと頬に張り付き、息は完全に上がっている。
アクア=ドロップも水の粒子を震わせて涙目になっていた。
『セレナぁ~~~走ろうよ~~~。水の妖精として、持久力は必須なんだよぉ……』
「ひぐっ……アクアぁ……わたしだって……頑張って……るのに……」
彼女の前では、カインが腕を組み、もはや苦笑しか浮かべていない。
「セレナ嬢、せめてあと二周は走りましょう。これぐらいじゃないと、魔力の巡りが安定しない」
「二周……っ!? し、死ぬ……!」
「死にません」
淡々と答えるカインに、セレナは机に突っ伏す学生のように地面に倒れ込んだ。
リディアは思わずちょっと困った顔で笑う。
ゲームでは冷静でクールなセレナだったが、現実の彼女は甘い物に目がなく、少し泣き虫で、努力が苦手なかわいらしい少女だ。
(この子、氷魔法の才能があるのに……基礎体力さえあれば、もっと伸びるはずなのに)
リディアはフィーアと視線を合わせて頷く。
「セレナ、あと一周だけ、付き合うわ」
「えっ……リ、リディア様も……?」
「ええ。あなた一人が辛い思いをする必要はありませんもの」
セレナはぶわっと涙をこぼした。
「り、リディアぁ……すき……!」
「走りながら言わないでちょうだい」
フィーアが楽しげに飛び、リディアとセレナは並んで走り出す。
セレナはすぐに息が切れるが、リディアの一定のリズムに合わせるように頑張って走った。
その姿をクラウスが遠くから見ていた。
「……ふむ。リディア嬢は本当に、周囲を見る力があるな」
「殿下。あれは“優しい”というより“世話焼き”に見えますが」
カインが苦笑する。
「どちらでもいい。あれは、人に寄り添う強さだ」
クラウスの銀髪が朝日に揺れる。
その眼差しだけが、リディアをまっすぐ追っていた。
「リディア……お、お茶会……ほんとうに……」
「もちろん約束したでしょう?」
訓練が終わった後、リディアはセレナ、メリル、アニエスを誘って中庭に小さなお茶会を開いた。
本来、アニエスはこういった誘いに乗らない性格だが――
「……喉が渇いたので、参加してあげますわ」
と、何故かやって来ていた。
リディアは笑顔でティーポットを持ち、皆に紅茶を注ぐ。
セレナは砂糖をスプーン三杯入れ、幸せそうに目を細めて飲む。
メリルは遠慮がちにカップを抱えていた。
「リディア様……訓練もお茶も……色々ありがとうございます……」
「メリル。そんなに気を使わなくていいのよ。今日は、あなたの基礎授業の復習を一緒にしたかっただけ」
メリルの肩がびくりと跳ねた。
「ひゃっ……! わ、わたし……やっぱり、分かっていないところが多くて……」
「気づけたなら十分よ。さぁ、一緒に確認しましょう」
メリルは今日からリディアの隣に座って過ごすことが増えた。
基礎知識の不足も彼女を不安にしていた。
不器用で真面目で、誰より努力をしている少女だ。
「ここは、“魔力循環”の基礎理論ね。魔力は心臓を中心に循環していて……」
「こ、こう……ですか?」
「ええ、正しく描けていますわ。とても上達が早いわね、メリル」
メリルはぱっと顔を輝かせた。
「う、嬉しい……リディア様に褒めてもらえるなんて……!」
隣でセレナがクッキーを頬張りながら小声でささやく。
「メリル、完全にリディアのファンじゃん……」
「だ、だって……リディア様、すごく優しいし……」
「ねぇ……アニエス、どう思います?」
「し、知らないわよ! わたくしは別に……っ」
アニエスは顔を背けたが、なんだかんだ席を立たない。
彼女もリディアの穏やかな空気を嫌いではないらしい。
お茶会の後、リディアは図書館に足を運んでいた。
「……王国史……妖精契約史……魔法戦術論……」
ゲームでは省略されていた部分。
この世界の“本物の結末”を変えるためには、自分が知らない情報を知らねばならない。
フィーアが肩で揺れながら言う。
『リディア、最近ずっと勉強してるね』
「ええ。国の未来が、私たちの選択で変わってしまうのなら……何も知らないまま進むなんて怖いもの」
妖魔。
最悪のバッドエンド。
国が滅ぶという未来。
(それだけは、絶対に避けないと)
だからこそ、基礎魔法も、訓練も、学問も――全部必要だ。
ふと、クラウスの声がした。
「リディア嬢?」
振り返ると、クラウスが書架の間に立っていた。
その手には風魔法の戦術書。
「ここまで熱心だとは思わなかった。……理由を聞いていいか?」
「もっと強くなりたいのです。周囲を守れるくらい」
クラウスはゆっくりと目を細めた。
「――いい答えだ」
その微笑みは、風がそっと撫でるように柔らかい。
リディアは胸の奥が熱くなるのを感じた。




