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悪役ですが、ゲームの世界でラスボスを倒すため強くなったら、王太子から告白されました  作者: あいら


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5 メリルの教科書事件

午前の教室は、簡単な座学で終わった。

妖精契約者だけが集まるこの教室にも、少しずつ空気ができつつある。


ベルの音が鳴り、授業が終わると、生徒たちはそれぞれの机で荷物をまとめはじめた。


リディアも教科書を閉じ、フィーアがひらひらと上で踊るのを横目に、ゆっくりと立ち上がる。


ふと、教室の隅から小さな悲鳴が聞こえた。


「――えっ……どうして……?」


ピンク色の髪が揺れる。

メリル・エヴァレットが、自分の机の上で立ち尽くしていた。

その視線の先には、濡れて歪んだ教科書一式。


ページは波打ち、色の薄いインクは滲み、ところどころ読めない。

まだ購入したばかりの新品のはずだ。


彼女の声は震えていた。


「こんな……っ、ちゃんと袋に入れてたのに……」


クラスの空気がざわりと揺れる。


アニエスが腕を組み、高慢な笑みを浮かべる。


「まぁ……お気の毒に。平民上がりの子には、物の管理というものが難しいのかもしれませんわね」


「ア、アニエス様……! そ、そんなつもりじゃ……っ」


メリルは否定できず、ただ唇を噛みしめる。


リディアの胸が、ひやりと冷えた。


(これ……ゲームのイベントだわ)


ゲームでは、悪役令嬢リディアが、ヒロインであるメリルの教科書を水で濡らす嫌がらせをする悪名高いイベント。

プレイヤーはここでクラウスの好感度を落とさないよう、うまく選択肢を選ばねばならない。


だが。


(私は……そんなことしていない)


誰かが言った。


「リディア様が、やったんじゃ……?」


ひそひそとした視線。

空気がじわじわと自分に向かい始める。


フィーアが怒ったように燃え上がる。


『リディアはやってない! こんなの、ぜったい違う!』


「もちろん違いますわ」


リディアは静かに言った。

声は落ち着いていたが、胸の奥はじくじくと痛む。


メリルは慌てて首を振る。


「り、リディア様じゃありません! わ、わたしは……っ」


彼女は泣きそうな顔で続けた。


「袋には入れていました。でも……さっき、廊下を歩いていたときに……知らない生徒にぶつかられて……その後で……」


(それだわ)


嫉妬。

妖精契約者で、しかも平民出身。目立つメリルに向けられた、一般生徒からの嫌がらせ。


「……心配なら、誰がやったか、調査をしましょうか?」


そう提案するリディアに、メリルはぶんぶんと首を振った。


「し、しないでください……! わたしの……せいです。きっと、私が気をつけていれば……」


その言葉が胸に刺さる。


(あぁ……この子は、本当に優しい子なのね)


少なくとも、“悪役令嬢”と決めつけられる私よりよほど。


その時、クラウスとカインが教室に姿を見せた。

二人は巡回の途中らしく、教科書を見て眉を寄せる。


「どうしたんだ?」クラウスが問う。


「メ、メリルの教科書が濡れていて……」

アニエスが涼しい顔で説明する。


クラウスの視線が、一瞬リディアへ向いた。

だが、疑うというより“確認する”ような、静かな目だった。


私はそのまま前へ歩み出て、メリルの前に立つ。


「……メリル。その教科書、今日必要なのは基礎魔法学だけね?」


「は、はい……」


「なら、これを使って」


自分の鞄から、綺麗な状態の教科書を差し出す。

メリルの目が大きく見開かれる。


「で、でも……リディア様のものを……」


「構いませんわ。私は内容を暗記していますもの」


フィーアが胸を張って頷いた。

クラウスも思わず目を細める。


「それに、新しいものはすぐに手配いたします。今日の午後には届くでしょう」


「そんな……そこまでしていただくなんて……」


メリルの目に涙が浮かぶ。

人の悪意にも怯え、必死で立っている少女。

その姿を見れば、手を差し伸べるのは当然のことだった。


「ありがとうございま……す……っ」


メリルがぽろぽろ涙をこぼし、リディアの手を握る。


彼女にとってリディアは、もっとも気安く話せない“高嶺の花”のはず。

そのリディアが、自分のために迷いなく手を伸ばしてくれた。


「あ、あの……リディア様は……そんな……怖い方じゃなかったんですね……」


「……最初から、怖がられる心当たりはありませんわ」


リディアは困ったように微笑む。

クラウスが小さく息をつき、カインは肩をすくめた。


「やっぱり、リディア様は殿下の婚約者候補らしい方ですね」

カインがつぶやくと、クラウスは素直に頷いた。


「他人のせいにしない者は、強い」


アニエスがむっとした顔でそっぽを向く。

セレナはお菓子を抱えたまま、ふわふわと見守っていた。


こうして――

ゲームでは“悪役の嫌がらせイベント”だった一幕は、現実では真逆の結果を生んだ。


メリルの中で、リディアという存在は完全に塗り替えられた。


(リディア様って……本当はすごく、優しい人なんだ)


そう思った瞬間、彼女の心に芽生えた感情は――

尊敬であり、憧れであり……その少し奥に、友情の芽だった。


リディアはそれに気づかないまま、濡れた教科書をそっと手に取った。


(……私、ゲームみたいに“悪役”をやるつもりはないわ)


そう静かに誓いながら。

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