4 婚約者辞退の試みと失敗
翌朝、リディアはほとんど眠れぬまま、王城へ向かう馬車に揺られていた。
胸の奥がざわついている。
手袋の中の指先が冷えるほど緊張しているのに、同時に熱がこもるような焦燥もあった。
(――行かなきゃ。今辞退しなきゃ、私は“悪役令嬢”として物語を進めてしまう)
王太子クラウスの婚約者候補という立場。
ゲーム中のリディアは、その立場に縛られ、傲慢にふるまい、最終的に失脚し、王妃選定パーティで妖魔に喰われかけた――そんな最悪のバッドルートの象徴的存在だった。
だからこそ、ここで辞退するのが最善だ。
クラウスに迷惑をかける前に。
メリルを追い詰める未来を回避するために。
そして何よりも、国を滅ぼす妖魔を倒すため、“ヒロインの成長を阻まない”ために。
「……大丈夫。言うだけ言ってみるのよ、リディア」
そう自分を励ましつつ、王城に到着した。
◆
応接間には、既にクラウスと側近のカイン、そして王太子付きの侍従が控えていた。
銀の髪のクラウスは振り返ると、穏やかな瞳を向けた。
「朝早くから呼び立ててすまない、リディア嬢。体調は?」
「問題ありません、殿下」
声が震えないように必死に抑えながら、リディアは深呼吸し、正面から告げた。
「本日は……婚約者候補の辞退をお願いに参りました」
空気が静まり返った。
ほんの一拍遅れて、侍従が目を見開く。
カインが息を呑む。
クラウスの瞳がかすかに揺れた。
「……辞退、だと?」
「はい。わたくしは殿下の婚約者候補にふさわしくありません。どうか、お許しくださいませ」
丁寧に頭を下げる。
けれど。
返ってきた答えは、ひどく冷静だった。
「王家は、婚約者候補をそう簡単には減らさない」
「……っ」
「君は妖精フィーア=フレアの加護を得た。火の攻撃魔法は貴重だ。
国の未来のためにも、婚約者候補として残ってもらう必要がある」
まるで拒否する隙がない。
この展開は、ゲームにはなかった。
(どうして……!?)
たしかにゲームでは、リディアは“辞退しようとしなかった”。
だからこうして固く拒否される場面は存在しなかったのだろう。
選択肢すらない一本道ゲームだからこそ、今の状況は完全に未知領域だった。
「で、ですが……!」
「もし理由が“柄ではないから”程度であれば、受理できない」
クラウスは机に手を添え、静かに一歩リディアへ近づいた。
近くで見る銀の瞳は、ひどく澄んでいる。
威厳だけでなく、どこか人柄の優しさを含んだ色だった。
「君は昨日、入学式で私の話を真剣に聞いていた。
多くの者は緊張し、視線を合わせることすらできなかったのに、君は逃げずに見ていた」
「……それは」
ただ見惚れていただけです……とは言えない。
クラウスは小さく笑みを浮かべた。
「君が肩書きで私を見ていないと、そう感じた。……気のせいだろうか?」
リディアの息が止まった。
(まさか、辞退しようとしたことが……逆に好感度を上げてる!?)
ゲームでは、クラウスの好感度はほぼ“言動選択でのみ”変化した。
だが今は違う。
現実の彼は“人間”で、“予想外の行動”に反応する。
「理由があるのなら、聞こう。
ただし――婚約者候補から外れるという選択肢は、王家としては出せない」
優しい口調なのに、逃げ道がどこにもなかった。
リディアは歯を噛む。
(……ダメだ。これ以上は言っても無駄……!)
もはや“辞退”という道は完全に閉ざされた。
「……承知いたしました、殿下」
深く頭を下げて言うと、胸の奥がぎゅっと痛んだ。
これで私は、婚約者候補争いに巻き込まれる。
アニエスも、セレナも、メリルも……みんなが王太子を巡って競い合う未来に。
(でも……逃げない。逃げたら、ゲーム通りのバッドエンドになる)
顔を上げたリディアを見つめながら、クラウスは言った。
「君の努力を、私は見ている。妖精フィーアの力が伸びるのを楽しみにしている」
その温かい声音に、少しだけ胸が軽くなった。
ゲームのクラウスは、「無表情の攻略対象」だった。
でも今目の前にいるクラウスは――“人として接してくれる”。
その違いが、否応なく心を揺らす。
王城を出た後。
馬車に乗った途端、リディアは大きく息をついた。
「はぁぁぁぁぁぁ……無理だった……!」
座席に背を預け、天井を見上げる。
目の奥が少しだけ熱くなった。
「どうしてよりによって、“辞退不可”なのよ……!」
けれど泣いている時間はない。
(――もう、悪役令嬢だとか気にしている場合じゃない)
国を守るために必要な魔法訓練。
妖魔攻略の知識。
メリルの成長の支援。
すべきことは山ほどある。
リディアは拳を握った。
(やるしかない。……絶対にグッドエンドに辿り着いてみせる)




