3 前世の記憶、蘇る
夜の冷気がカーテンを揺らし、薄い月光が床に筋を描いていた。
ベッドの中で浅い眠りを繰り返すリディアの胸の奥では、夢の続きが渦を巻いている。
(……悪役令嬢……断罪イベント……)
その瞬間、リディアの視界が真っ白に広がった。
世界が反転するような感覚。
胸の奥から、何かが“逆流”して満ちてくる。
忘れていたはずの記憶。
見たこともないはずの映像。
知らないはずの言葉。
それらが一気に押し寄せ、身体が震えた。
(あ……ああ……!)
幼いころの記憶とは違う。
この世界の記憶でもない。
◆ピコン。
◆ピコン。
聞き覚えのある電子音。
映像の中に並ぶ選択肢。
クラウスの立ち絵。
明るく笑うメリルの姿。
(これ……知ってる……! 私、この画面を……)
胸が激しく脈打つ。
(やっと、思い出した……!)
この世界の“正体”。
自分の“役割”。
そして、この先に待つ“破滅”。
意識が覚醒して、震える手で机にすがりついた。
(私は……前世で……普通の女の子だった。
平凡な学生で、放課後に家で、あの乙女ゲームを……)
ありふれた日常。
何も特別じゃない生活。
恋に悩み、勉強に追われ、休日にコンビニスイーツを食べながらゲームをしていた。
そして――その“ゲーム”こそが、この世界の元になった物語だった。
(名前は……《フェアリーロマンス!》……だった……)
たった三時間もあればクリアできてしまう、ライト層向けのお手軽乙女ゲーム。
強いバトル要素はなく、プレイヤーは主人公の“訓練メニュー”や“会話の返し”を選ぶだけ。
シンプルだからこそ、誰でも楽しめる。
(キャラクターのルートも一つだけ……攻略対象は、王太子クラウスのみ)
画面の右下には常に“クラウスの好感度”が表示されていて、数字が上がるたびに彼のスチル――美しい一枚絵が解放される。
「……そうだわ。私、全部見た……クラウス様の笑顔も、怒った顔も、照れた顔も……」
胸がぎゅっと締め付けられた。
まるで、前世の彼に恋していたかのように。
(でも……その物語の裏には、“悪役”がいた)
心の底から嫌な感覚が湧き上がる。
(それが……リディア・フォン・アーデルハイト。
つまり……今の私)
喉が震えた。
ゲームの中のリディアは、主人公であるメリルを敵視し、あらゆる場面で邪魔をする。嫉妬し、嫌がらせし、時には嘘の噂を流してクラウスとの仲を引き裂こうとする。
(……でも、それは“ゲーム”だから許される悪役。
選択肢次第で、簡単に避けられるイベントばかり)
クラウスがメリルの手を取り、リディアに宣告する。
「君の罪を追及する」
「もう婚約候補から外れてもらう」
「以後、王宮への出入りも禁ずる」
プレイヤーは必ずこの場面を見る。
そして、リディアはその後――
(退学処分になる……)
彼女は“物語の必然”として退場させられる役割なのだ。
(でも……問題なのはそこじゃない)
リディアの背筋に冷たいものが走る。
(もしプレイヤーが間違った選択を積み重ねると――)
《国が滅ぶバッドエンド》
どんな選択をしても、最後の妖魔は現れ、戦いになる。ただ、正しい選択をすれば妖魔は倒せ、国は救われ。間違った選択をすると主要プレイヤー全員が死に、国が滅ぶ。それは、ゲームの“最悪の結末”である。
妖魔が暴走し、王宮が炎に包まれ、クラウスも、メリルも、攻略対象たちも全滅する残酷エンディング。
前世の自分は、面白半分でわざと選択をミスり、そのバッドエンドも見た。
(あの時は……ただの分岐だと思っていた。でも……)
今は違う。
ここはゲームではなく、“現実”だ。
この世界の人々は、ゲームのキャラではない。
アニエスもセレナも、クラウスも――皆、生きている。
(そんな未来……絶対にダメ……!)
リディアは胸に手を当て、強く握りしめた。
(避けなければ。断罪も、退学も、国の滅亡も……全部)
震える唇で、かすれた声が漏れた。
「……クラウス様を……死なせるわけにはいかない……」
その瞬間、自分の気持ちを理解してしまった。
(私は……クラウス様が……好き……)
ゲームのスチルに恋したのでも、表面的な憧れでもない。
入学式のあの誇り高い姿を見て、胸が熱くなった。
彼がメリルに微笑む姿を見て、苦しくなった。
全部――恋だった。
(だからこそ……私は“悪役令嬢の運命”に抗わなければならない)
涙が頬を伝った。
(私の破滅も……国の滅亡も……全部、変えてみせる)




