24 王宮でのダンス練習①
王宮の大広間は、学園とはまるで違う空気をまとっていた。
天井にはいくつものシャンデリアが輝き、磨き上げられた大理石の床には、窓から差し込む陽光が淡く反射している。普段なら舞踏会でも開かれるのだろう――そんな場所が、今日はリディア一人のために貸し切られていた。
胸の奥が、どくん、と跳ねる。
(どうして……こんなにも緊張してるの?)
本来のゲームでは、この“ダンス練習イベント”はメリルとクラウスが親密になる重要イベントのひとつだった。
けれど今、リディアはその中心に立っている。
王太子クラウスは、すでに広間の中央で待っていた。
銀髪が光をすべて集めてしまいそうに輝いている。
「来てくれてありがとう、リディア。……少し早いね」
「お、お待たせしてはいけないと思いまして」
「待たされたっていい。君のための時間だ」
そんな甘い言葉を堂々と言ってのける王太子を目の前に、心臓の跳ねる音がバレるのではないかと不安になった。
クラウスは手袋に包まれた手を差し出す。
「さあ。最初はゆっくり始めよう。ステップを確認しながらね」
その声は、驚くほど優しい。
リディアは深呼吸をして、そっと手を置いた。
触れた瞬間、手のひらから胸へと熱が走る。
まるでフィーアが鼓舞しているかのように、体温が上がる。
「緊張している?」
「す、少しだけ……」
「大丈夫。僕が導くから。君は僕を信じて、ついてきてくれればいい」
まっすぐに見つめられ、思わず視線を逸らしそうになった――が、逸らせなかった。逸らしたくなかった。
楽団はいないはずなのに、妖精ヴェイル=ウィンドが風を揺らし、
まるで音色のような振動を空間に生み出す。
クラウスの指が動く。
それに合わせて、リディアの身体も自然と動く。
一歩、二歩。
完璧なリードにより、リディアのステップは驚くほど滑らかだった。
(わたし……上手く踊れてる?)
不安に思う暇さえなく、クラウスが軽く微笑む。
「綺麗だよ、リディア。君は本当に飲み込みが早い」
「そ、そんな……クラウス様のリードが完璧だからです」
「当然だ。“君と踊る”ために練習したんだから」
「――え?」
クラウスが一瞬だけ視線を伏せ、すぐにリディアを見つめる。
銀の瞳に映るのは、たった一人の少女だけ。
「学園の舞踏会までに、何度か練習をしたくてね。君と踊るのに、僕が拙い姿を見せるわけにはいかないだろう?」
「そ、そんな、わたしなどのために……」
言いかけて、クラウスが首を横に振った。
「“わたしなど”じゃない。
僕が招きたいのは、君だけだ。
――他の誰でもない、リディア」
心臓が軋むほど鳴り、足がふわりと浮いてしまいそうだった。
ゲームの記憶では、クラウスはメリルに優しく寄り添い、手を取り、照れながら「綺麗だよ」と微笑む。
あの優しいスチルを思い出す。
でも――現実のクラウスは、その言葉をすべてリディアに向けてくる。
(どうして……どうしてこんなに違うの?)
胸のざわめきは不安じゃない。
怖さでもない。
ひたすらに、甘くて、苦しい。
クラウスはステップを止めずに続ける。
「君の炎は強い。けれど、その強さに甘えるだけじゃなく、学ぼうと努力するところも……僕は、とても好きだよ」
「す、好き……?」
「もちろん、“人として”の話だよ」
わざわざ付け足した言葉に、かえってドキリとした。
(わざわざ言い直すなんて……やっぱり殿下、わたしに……)
動揺してステップが乱れた瞬間、クラウスが支えるように腰へ手を添えた。
「大丈夫。僕がいる」
低い声で囁かれた瞬間、全身に電流が走った。
「ひゃっ……!」
「……ごめん。驚かせたね」
その“ごめん”でさえ耳が熱くなるほど優しい。
クラウスは少しだけ距離を縮めた。
淡い風が、二人の間に金の粉を散らす。
妖精ヴェイルが、気を利かせているのだ。
まるで二人を祝福するかのように――。
音もなく回転し、クラウスの腕の中でリディアのスカートが広がる。
舞踏会本番でも、きっとこんな風に踊るのだろう。
胸が温かく、くすぐったくなる。
クラウスはリディアの手を優しく取り直し、最後のステップを刻むと、ゆっくりと踊りを止めた。
「……ありがとう、リディア。
君と踊る時間は、本当に楽しい」
「わ、わたしも……すごく……」
言葉に詰まると、クラウスの表情が柔らかく崩れた。
「そんな顔をされると、もっと踊りたくなるな」
「えっ……」
「次も、また誘ってもいい?」
甘い声。
拒めるわけがない。
リディアは、小さく頷いた。
「……はい。よろしくお願いします、クラウス様」
その瞬間。
銀の瞳がふっと綻び、
クラウスはリディアの手の甲へ――かすかに触れるだけの、礼を超えたキスを落とした。
「ありがとう。リディア」
リディアの世界が、真っ赤に染まった。




