21アニエスとの決闘①
アストレイア学園の午後は、春の陽が傾きかけ、校舎の影が長く伸びていた。
チャリティイベントから数日。
リディア・フォン・アルセリアの名は、学園中に少しだけ特別な響きをもって囁かれるようになっていた。
「孤児院に新しい布団が届いたらしいぞ」
「王妃陛下が“すばらしい取り組みでしたわ”って言ってたって」
「クラウス殿下と……最近、よく一緒にいらっしゃるよね」
そんな声が廊下に漂うたび、リディアは胸の奥がむず痒く、そして少しだけ不安に揺れた。
クラウスと距離が近づいたことは、隠しようもない事実だ。
庭園でのあの日のキスは、夢ではない。
まだ唇に残るような温かさが、ふとした瞬間によみがえる。
――でも、私は“悪役令嬢”だったゲームの中の人間。
――道を踏み外せば、国が滅ぶルートに入ってしまう。
「……浮かれちゃ、だめ」
そう自分に言い聞かせながら、リディアは教室へ向かって歩いていた。
しかしその途中、鋭い視線を感じて足が止まる。
「まあ、楽しそうですわね、リディア」
振り向くと、完璧な縦ロールの金髪を揺らしながら、
アニエス・ド・ラファリエルが立っていた。
彼女の後ろには取り巻きの少女たちが控え、まるで小さな宮廷そのものだ。
リディアは軽く会釈した。
「アニエス。ごきげんよう」
「……ごきげんよう、じゃありませんわ!」
突然、アニエスのヒールが床を打ち、甲高い音が響く。
「あなた、最近調子に乗っていませんこと?
慈善活動だの……。王妃陛下にも気に入られたと、皆が騒いでおりますわ」
「調子に、乗って……?」
リディアは戸惑う。
あの活動はただ、布団の薄さを思い出して動いただけだ。だがアニエスの目は嫉妬に燃えている。
「それに――」
アニエスは唇を噛み、だが勢いに任せて言葉を吐き出した。
「クラウス殿下!あの方は、殿下は……私の婚約者候補でもありますのよ?」
廊下が静まり返る。
リディアの心臓がひゅっと縮んだ。
クラウスが自分に向けている感情は、周囲も気づいている。だが、それをこんなにも直接、言葉にされると胸が痛む。
「アニエス……私、殿下に何か――」
「惚けないでくださいまし!」
アニエスの叫びが廊下に響き渡る。
「もう我慢なりません!
あなたが殿下の視線を奪い、
挙げ句の果てには自分だけが輝いて……!」
リディアの背筋が冷えた。
「このままでは、婚約者選定はあなたに傾きますわ……!そんなの、絶対に許せませんの!」
アニエスは扇子をバン、と閉じて胸の前に構えた。
「――リディア・フォン・アルセリア。
決闘を、申し込みますわ」
その一言に、廊下の空気が凍りつく。
決闘。
それは貴族社会における正当な権利で、
“魔法を用いた証明の儀”でもある。
リディアは息を飲んだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいアニエス……!」
「言い訳は不要ですわ!」
アニエスの瞳が涙で揺れる。
「私は……殿下をお慕いしているのです」
その声音は、あまりにも真剣で、痛いほどの本気だった。
(ああ……この人は、本気でクラウス様を……)
ゲーム内でもアニエスは本気でクラウスを愛していた。
「……わかりました」
リディアは静かに息を吐いた。
逃げても炎上するだけ。
向き合わねばならない。
「決闘、お受けします」
周囲からどよめきが上がる。
アニエスは満足げに顎を上げた。
「場所は、魔法競技場。放課後に。
――その炎……私の結界で、すべて押さえ込んで差し上げますわ」
くるりと背を向け、アニエスは堂々と歩き去った。
残されたリディアは、胸の奥に熱いものがこみ上げるのを感じていた。
この決闘はただの対立ではない。
運命の分岐点だ。
リディアは深呼吸し、拳を握った。
「フィーア……どうか力を貸して」
『もちろよ、リディア。貴女の炎はどこまでも尊いわ』
妖精フィーアの声が優しく響く。
そして、放課後――
魔法競技場には、貴族生徒たちが一斉に集まり、
アニエスとリディアを中心に巨大な円ができていった。
アニエス・ド・ラファリエル。
金色の縦ロールが夕日にきらめき、結界の魔力が淡く光を放つ。
リディアは対面に立ち、息を整える。
――燃やさないために、燃やす。
胸に宿る、複雑な覚悟だった。




