2 特別教室と妖精のささやき
塔の最奥にある“特別教室”は、どこか現実離れした静けさに包まれていた。
外の喧騒から切り離されたようなその空間は、妖精の魔力が薄い霧となって漂い、かすかに光の粒が舞っている。
触れれば溶けてしまいそうな幻想的な風景。
それは、ここが“選ばれた者だけの場所”であることを嫌でも意識させた。
リディアは、入学式でのざわついた気持ちを引きずりながら席につく。
アニエスとセレナが両側に座り、彼女を囲むようにしてくれた。
(……胸の奥の違和感は、まだ消えない)
まるで、心の深くに何かが潜んでいるような感覚。
思い出せばすべてが繋がりそうなのに、霧がかかったようにぼやけている。
そんな中、教師が黒板の前に立ち、穏やかに告げた。
「では、まずは皆さんで自己紹介をしましょう。妖精との契約はこの学園では重要な指標です。お互いの力を知っておくためにも必要なことですよ」
そう言って、教師が指し示したのは席の先頭に座る少女だった。
***
◆アニエス・ド・ラファリエル
最初に立ち上がったのはアニエスだった。
金色の縦ロールがふわりと揺れ、その仕草ひとつで気品があふれる。
「アニエス・ド・ラファリエルです。妖精は《セレス=シールド》。魔法は結界系を得意としております」
堂々とした声。
さすが公爵家の令嬢であり、王太子の“婚約候補”の筆頭と噂されるだけはある。
「王妃の座を目指し、精進する所存ですわ」
はっきりと言い切るその姿は、強靭で、そして美しい。
淡い緑色の光がアニエスの周囲を揺れ、まるで妖精セレスが誇らしげに微笑んでいるようだった。
***
◆セレナ・ミルフォード
「次は私ね!」
ぱっと明るく手を上げたのは、セレナ・ミルフォード。
水色の髪が背中で跳ね、華やかというより“可愛い”という言葉が似合う。
「伯爵家出身のセレナ・ミルフォードです! 妖精は《アクア=ドロップ》。水魔法が得意で、ええっと……甘いお菓子が好きです!」
「……セレナ、それは自己紹介に必要かしら?」
アニエスが小声でツッコむ。
「だって大事よ? 魔力回復には糖分が必要だもの!」
教室に小さな笑いが起きた。
だがその無邪気な笑顔の裏に、彼女もまた“王太子の婚約候補”という肩書きを背負っている。
セレナの周囲では、青い光の粒がいたずらっぽく跳ねていた。
アクア=ドロップの妖精らしい軽やかさ。
「氷魔法も……いつか使えるようになります!」
照れながら言う声に、教師も目を細めた。
***
◆メリル・エヴァレット
そして――空気が変わった。
「え、えっと……メリル・エヴァレットと申します。元は平民ですが、妖精の加護をいただき、エヴァレット伯爵家の養女になりました」
ピンク色の髪をした少女が、ぎこちなく立ち上がる。
その瞳は不安で揺れているが……不思議と、見る者を惹きつける温かな光を宿していた。
「妖精は《ルミナ=ピルク》。回復魔法を……少しだけ使えます」
その瞬間だった。
ほわ……っと、教室中に柔らかい光が広がる。
息を呑むほど優しい金色で、どこか“祝福”のような雰囲気。
「すごい……あの子、ほんとに妖精に愛されてるんだ」
「噂より……もっと強いかも……」
ざわめく声。
リディアの胸が、きゅっと痛む。
(また……この感覚)
メリルを見ていると、なぜか胸の奥がむずがゆく、息苦しい。
嫌悪?
嫉妬?
違う――もっと複雑で、暗い感情。
(あなたが……“選ばれる”の?)
思ってもいない言葉が胸を刺す。
リディアはその理由が分からず、指先を震わせた。
自己紹介が終わると、教室内は少し和んだ雰囲気になった。
その時――王太子が動いた。
優しい声。
そのまっすぐな眼差しが向かった先を見て、リディアの心臓が跳ねた。
――メリル。
「君がメリル・エヴァレットだね。噂は聞いているよ」
「っ、は、はい……!」
「妖精が喜んでいるようだ。回復魔法は貴重だ。困っている者がいれば助ける気持ちを忘れないように」
「は、はいっ……!」
クラウスは穏やかに微笑む。
メリルは言葉も出ないほど真っ赤になって俯いた。
その光景を見て、リディアの胸がじわりと熱くなる。
(どうして……
こんなに嫌なの?)
クラウスが誰と話そうと関係ないはずなのに、息苦しくなるほど胸がざわつく。
手の甲に、じわっと汗がにじむ。
「リディア?」
アニエスが心配そうに覗き込む。
「……大丈夫よ」
そう言いながらも、胸の奥の痛みは増すばかりだった。
その夜――。
リディアは自室のベッドの上で天井を見上げ、深く息を吐いた。
(どうして……私はあんなにも動揺しているの?)
クラウスとメリル。
ふたりが並んで笑う光景が、何度も脳裏に浮かぶ。
その度に、胸が苦しくなった。
(私は……王妃の座が欲しいわけじゃない。なのに……)
欲しいのは座ではない。
もっと――個人的で、切実な何か。
だが、その“何か”に触れようとすると、頭痛が走った。
「……いやね。まるで何かに蓋をされているみたい」
ため息をつき、目を閉じる。
いつものように眠りに落ちるはずだった。
だが――
◆…………ピコン。
聞いたこともない電子音が、闇の中に響いた。
胃の底をなでられるような不快な音。
同時に、視界に画面のようなものが浮かび上がった。
◆《選択肢:クラウス好感度+5》
◆《メリルルート進行中》
◆《バッドエンドフラグ:発生》
「……え?」
心臓が跳ねる。
これは何?
どこかで見たことがある……?
画面は次々と色を変え、少女――“メリル”が泣いている映像が映る。
さらに、赤く点滅する文字。
◆《悪役令嬢リディア——断罪イベントまであと3章》
「いや……いや……これは……!」
悪役令嬢。
断罪イベント。
選択肢。
好感度。
この世界でそんな言葉……どこから?
胸が締め付けられ、息がうまくできない。
指先が冷たくなる。
(私……これ、知っている……)
でも思い出せない。
画面の内容を認識しているのに、記憶が霧の向こうにあるようで掴めない。
(これは何? 私の……前の……)
そこまで考えた瞬間——画面は白く弾けた。
「――っ!」
リディアは跳ね起きた。
息が荒い。
額は汗で濡れている。
寝室には、いつも通りの静けさしかない。
だが、耳の奥にはまだ電子音が残っている。
(……ゲーム……?)
ぼそりと呟いた自分の声が、妙に遠く聞こえた。
胸の中の違和感は、もはや“違和感”の域を超えていた。
(私……何を忘れているの?
そして……メリルは――)
リディアは震える指で胸を押さえ意識を失った。




