19チャリティイベント計画②
チャリティコンサート計画が正式に動き出してから、学園の空気はどこかそわそわと浮き立っていた。
しかし、その中心にいるリディア本人は、胸の奥に温かな高揚と、同時に責任の重みを抱えていた。
孤児院の子どもたちが寒さに震えていたあの姿が脳裏に焼き付いたままだ。
「少しでも、あの子たちの生活を良くしたい」
その思いだけで突き進んでいたが、実際にイベントを開催するとなれば、やるべきことは山のようにある。
リディアは学園図書館の一室を借り、紙と羽ペンを広げながら、ひとり黙々と作業をしていた。
「会場は……講堂で足りるでしょうか。でも冬ですし、参加者数は……」
すると、控えめなノックが扉を叩く。
「リディア、入ってもいいか?」
銀色の髪が扉の隙間からのぞいた瞬間、胸の鼓動が跳ねた。
――クラウス様。
王太子であり、この国の未来そのものである青年。
クラウスは広げられた紙を見て、わずかに眉を上げた。
「これは……全部、一人でやっているのか?」
「はい、皆さまのお時間を奪うわけにもいきませんし……」
言いかけたところで、クラウスがゆっくりと首を振る。
「違う。君は他人の負担を考えすぎる。もっと周りを頼っていいんだ」
クラウスの瞳がそっと彼女の手元に落ちる。乱れた文字、重ねられた修正線――ひとりで必死に作り上げた証だ。
「……実は、俺もすでに動いている」
「え……?」
クラウスは懐から一枚の書状を差し出した。そこには複数の貴族家の名が並び、寄付金の見込み額までしっかり記されていた。
「寄付金の調整は、王家が本来行うべき仕事だ。リディアが孤児院の実情を知って、すぐに動いたこと……俺は本当に誇りに思う」
その一言が落ちてくると同時に、胸の奥がじん、と震えた。
「クラウス様。あの、どうして……そんな、大変なことを」
「考えるまでもないさ。俺は――君を支えたい」
空気が止まる。
気持ちが揺れる。
彼の言葉は、いつも真っ直ぐで、まるで心の奥に届くような温度を持っている。
クラウスは続けた。
「王妃候補としてではなく、妖精契約者としてでもなく……リディアという人間を、俺は尊敬している。そして、君の行動の意味を理解しているつもりだ」
その真剣な声に、喉がきゅっと詰まった。
「この国の未来を良くしたいと願い、自分の利益ではなく、弱い者のために動く……そんな侯爵令嬢が、他のどこにいる?」
「私は……私なんて……」
否定しかけたところで、クラウスが優しく微笑む。
「リディア、自分を卑下しないでほしい。俺の見ている君は……誰よりも強く、そして優しい」
胸に広がる熱は、言葉にならなかった。
でも、心は確かに震えていた。
クラウスは机に広げられた紙を一枚ずつ確認しながら言った。
「王妃――母に話したら、ぜひ協力したいと仰っていた。宣伝も、母が貴族社会に対して動いてくれる」
「王妃様が……?」
思わぬ強力な後押しに、リディアの目が大きく見開かれた。
クラウスは小さく息をつき、どこか誇らしげに笑う。
「母上は君のことを、とても気に入っている。『あの子は良い子ね。クラウス、逃したら損よ』とまで言っていた」
「そ、それは……あの、恐れ多いといいますか……!」
「はは、可愛い反応だな」
クラウスの笑顔は穏やかで、見ている方が頬を緩めてしまうほど柔らかかった。
その優しさに触れていると、自分が“悪役令嬢”として破滅する未来など、本当に来るのだろうか……と錯覚してしまいそうになる。
――だけど、その考えはまだ危険だ。
未来は変わりつつある。それでも“妖魔の襲来”だけは避けられない。
「……クラウス様。ありがとうございます。私、できる限り頑張ります」
「頑張りすぎないように、な」
クラウスは羽ペンを取り、リディアの書いた計画書にすっと線を引き、整理を始めた。
「この項目は王家で処理する。物資の調達も任せてくれ。演奏家の控室や警備の配置は俺とカインが考える」
「は、はい……!」
息つく間もなく、どんどん計画は洗練されていく。
王太子としての手腕が惜しみなく発揮され、リディアはただ圧倒されるばかりだった。
「リディアが考えたこの計画は、国全体に良い影響を与える。君が始めたことだ。胸を張ればいい」
最後にクラウスは、そっと彼女の手を取った。
指先に宿る温度が、まっすぐに心へ流れ込む。
「君の行動を誇りに思う――本当に」
その言葉は、どんな勲章よりも、どんな褒美よりも重く、美しかった。
リディアの胸は熱くなり、視界が滲む。
けれど泣くわけにはいけない、と唇を噛んで堪える。
この手を離したくない。
ずっとそばにいたい――そう願ってしまうほどに、クラウスの存在は心に深く刺さっていた。
「クラウス様……ありがとう、ございます……!」
声は震え、胸は高鳴り、鼓動は止まりそうなくらいだった。
クラウスはその姿を愛おしげに見つめ、そっと指先で涙を拭う。
「泣くほど頑張ったのだな。……大丈夫だ、リディア。君はひとりじゃない」
その囁きに、リディアの心が音を立てて揺れた。
孤児院の子どもたちのために始めた計画は、気づけば周囲の人々まで動かし始めていた。
王妃、貴族たち、音楽家、そしてクラウス。
そして――リディア自身もまた、知らないうちに大きく変わり始めている。
その変化が、未来をどう導くのか。
誰にもわからない。
だが、確かなことはひとつ。
クラウスの手は、もうリディアを離すつもりはないということだった。




