17 孤児院訪問
王立アストレイア学園の授業の一つに、“慈善活動”という科目がある。
貴族であれ平民であれ、妖精の加護を受けた者は国の未来を担う者として、必ず社会に関わる姿勢を見せなければならない――教師はそう口を酸っぱくして言っていた。
その一環として、今日は学園の北側にある孤児院を訪問するのだ。
朝、玄関前で集合時間になると、リディアとメリルは揃ってやってきた。
メリルは白いワンピースに淡い桃色のケープを羽織り、緊張と期待が入り混じった表情でリディアの手を握っている。
「リディア様、今日は……よろしくお願いしますっ!」
「こちらこそ。少し寒いから、ちゃんとケープのボタン留めておきなさい」
「あっ……はいっ!」
メリルは慌てて胸元を整える。その様子があまりに健気で、リディアから小さな笑い声が漏れた。
――ゲームの世界に転生していると気づいてから、こういう“人と触れ合う時間”は妙に胸に沁みる。
悪役令嬢としてのルートを回避しなければならないと焦り続けてきたが、メリルやクラウス、そして関わる人々と過ごす日々は、少しずつリディアの心を柔らかくしていく。
アニエスとセレナも渋々ながら集合場所に姿を見せた。
アニエスは完璧な巻き髪に青いリボンを飾り、いかにも“公爵令嬢の社会科見学”といったスタイル。
その後ろでセレナが、やや眠そうな目をこすりながら歩いている。
「……あぁ、もう……どうして慈善活動に私まで行かなくてはならないの。孤児院なんて、わたくし、足を踏み入れたことありませんのよ」
「アニエス様、それを言ったら私だって初めてよ。でも一緒に頑張りましょう?」
「セレナは黙ってついて来ればいいのですわ」
「ひどっ!」
そんな具合で、今日のメンバーは賑やかだ。リディアは苦笑しつつも、歩みをそろえて孤児院へ向かった。
◇ ◇ ◇
孤児院は古いが清潔だった。
迎えてくれた院長の女性は優しい微笑みを浮かべ、明るい声で言う。
「本日は皆さま、お忙しい中ありがとうございます。子どもたちも楽しみにしておりましたよ」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
リディアが丁寧に一礼すると、メリルも慌ててその後に続いた。
「よ、よろしくお願いいたします!」
院長は微笑ましく二人を見つめ、案内を始めた。
孤児院の廊下は木の床が磨かれており、壁には子どもたちの絵が飾られている。夕暮れの城や、妖精たちの姿が色とりどりで描かれ、幼い無邪気さにあふれていた。
「みんな楽しそうに描いているのね」
「はい。この国では妖精の存在は身近ですから。子どもたちも憧れを抱くのでしょう」
院長が言うと、メリルがそっと絵に手を伸ばす。
「……私も、昔はこういう絵を描いてました。妖精に会えたらいいなって」
穏やかに笑うメリルの横顔を見て、リディアの胸が温かくなった。
――本来なら、メリルこそ王太子と結ばれる未来を持つ“ヒロイン”だったはずなのに。
その運命は、すでに大きく軌道を外れている。
リディアはその事実を今はもう隠さず受け止めていたが、胸の奥に微かな罪悪感が残っているのも確かだった。
◇ ◇ ◇
孤児院に足を踏み入れるなり、アニエスがシスターに高圧的に告げる。
「どこかゆったりできるお部屋はあるかしら?」
「は……はい」
「お茶くらいは飲ませてくださるのでしょうね?」
「もちろんでございます」
こうしてアニエスとセレナは別室へ。
リディアとメリルは子どもたちの部屋へ向かうことになった。
扉が開くと、元気な声が弾ける。
「こんにちはーっ!」
「妖精さんの人たちだー!!」
子どもたちは二人の周りをぐるぐると走り回り、メリルはたちまち大人気になった。
「わ、わわ……っ、ちょ、ちょっと待ってね!順番にね!」
「メリルお姉ちゃんかわいいー!」
メリルは耳まで赤くして、子どもたちに笑顔を向ける。
そんな中、リディアのスカートをちょんと引っ張る小さな手があった。
見下ろすと、栗色の髪の少年が恥ずかしそうにペンダントを差し出していた。
「あの……お姉ちゃん、これ、見てくれる?」
「ペンダント……?」
小さな銀のペンダントだ。
中央に赤い宝石がはめ込まれ、裏には紋章のような模様が刻まれている。
「お母さんが昔くれたんだ。でも、これ……なんの模様かわかんなくて……」
「何かしら?……」
リディアはそれを丁寧に受け取り、裏面を見つめる。
だが見覚えのない紋章に首をかしげた。
その時。
「リディア、何を見ている?」
静かな声が背後から聞こえた。
振り向くと――クラウスが立っていた。
王太子が孤児院にいるというだけで周囲の空気が張り詰める。
だがクラウスは威厳を保ちながらも、子どもたちの前では優しい笑みを見せている。
「クラウス殿下……。子どもが、ペンダントを」
「見せてごらん」
クラウスは少年の目線まで身を屈め、優しく声をかけた。
少年は緊張しながらもペンダントを渡す。
クラウスは一目見て、眉をひそめた。
「……この紋章、見覚えがある」
「殿下、ご存じなのですか?」
「ああ」
クラウスは声を潜め、リディアにだけ聞こえるように言った。
「これは――隣国バレッタ王家の紋章だ」
リディアは息をのむ。
隣国バレッタ。
この国と友好関係にあり、豊な大国だ。
そこに属する王家の紋章が、なぜこの孤児院に?
「君――このペンダントはどこで?」
「わかんない……でも、お母さんが、“大事にしなさい”って……それだけ」
クラウスの瞳に静かな光が宿る。
その眼差しは、王太子としての顔だった。
「……子どもの前でこれ以上は話せない。リディア、後で話がある」
「……はい」
その言葉に、リディアの胸がざわめいた。
国家に関わる“何か”が動き始めている。
クラウスはふたたび少年の目線に戻ると、柔らかな声で言った。
「大事に持っていなさい。それは……君の家族が想いを込めたものだ」
少年は嬉しそうに「うん!」と首を振った。
その後、クラウスは院長に何事かを耳打ちし、関係者のいる部屋へと向かっていく。
ただならぬ気配に、リディアは胸のざわつきを抑えられなかった。
――ゲームの筋書きとはまるで違う未来が進んでいる。
これが“運命を変えた”結果なのだろうか。
「リディア様? どうかしましたか?」
メリルが子どもに手を握られながら、心配そうに見上げてくる。
「いいえ……大丈夫よ。続けましょう」
微笑むものの、胸の奥は波のように揺れていた。
――クラウスは、隣国に極秘の連絡を取るつもりだ。
そう確信していた。




