11 花火イベント
学園祭の熱気に包まれた校舎から少し離れた回廊を歩いていると、背筋が伸びるような気配がした。
「リディア様。お迎えにあがりました」
振り向くと、王太子クラウスの近衛騎士であるカイン・ローウェルが立っていた。きっちりとした礼をとるその姿は、祭りの浮かれた空気とは対照的に硬い。
「……私に、ですか?」
「はい。殿下より“お連れしろ”と」
メリルと屋台を回っていたところだった。彼女もきょとんと目を瞬かせる。
「リディア様、行ってらっしゃいませ!」
「え……でも」
「だいじょうぶですっ。私はまだ見たいものありますから!」
笑顔で送り出され、リディアは胸の奥をざわつかせながらカインに従った。
向かったのは、学園中央塔の上階。王族と賓客だけが使用できる特別室──通称「王族席」だった。
扉を開かれた瞬間、ふわりと香る紅茶の匂い。静かな室内には、窓際で風に銀髪を揺らす青年が一人。
「来てくれて嬉しいよ、リディア」
王太子クラウス・アストレイア。
煌びやかな祭りの下とは異なり、ここは別世界のように静かだった。
「殿下……私などがここに来てしまって、本当に良かったのでしょうか」
「“私など”は、君に似合わない言葉だよ」
優しい声色に、心臓が跳ねる。
「お茶が少し冷めてしまう。座ってくれるか?」
勧められ、リディアはクラウスの向かいに座った。窓の外には、夕闇へと変わっていく空。祭りのざわめきが遠く、まるで心臓の鼓動だけが響いているようだ。
クラウスが静かに紅茶を注いでくれる。
指先まで美しい所作に、思わず視線を奪われる。
「君とこうしてゆっくり話すのは、案外初めてだね」
「……そう、かもしれません」
「学園祭、楽しんでいたようだね。メリル嬢と」
「はい。とても……」
ほんの短い会話なのに、自分が緊張しているのが分かった。
胸の奥が落ち着かず、言葉が上手く出てこない。
――おかしい。ゲームでは、ここは“メリルとクラウスの恋愛イベント”のはず。
(でも、なぜ私がここに……?)
疑問が胸をよぎるまま、クラウスが窓辺へ視線を向けた。
「そろそろだ。……行こうか」
「え?」
「花火だよ。今日は空気の流れが安定していてね。とても綺麗に見える」
差し出された手。
迷いながらも、その手を取った瞬間──温かさが指先に伝わる。
わずかに息を呑むリディアに、クラウスは微笑んだ。
「大丈夫。私が案内する」
特別室のベランダに出ると、夜風が頬を撫でた。
直後──
ドォンッ!
夜空を震わせる低い音。
暗闇に、大輪の光が咲いた。
「……綺麗……」
思わず漏れた声に、クラウスは横顔を見つめながら静かに言った。
「君に見せたかったんだ」
胸の奥がきゅっと締め付けられる。
言葉が出ない。
次々と花火が打ち上がり、光が二人の影を交互に照らす。
夜空に咲く光の花が、まるでリディアの赤髪に反射して燃えるようだった。
クラウスがそっと近づく。
「……リディア。君は気付いていないかもしれないが」
真剣な声に、胸の鼓動が早まる。
「私は、ずっと君を見ていた」
「え……」
「街での視察でも。走り込みで仲間を励ます時も。メリル嬢を気遣う時も……
肩書きや立場を超えて、自分の意志で動ける君を」
熱を帯びたクラウスの視線。
逃げられない。
(な、なんで……? ゲームのルートが……)
「リディア。君が婚約者辞退を申し出た時、私は驚いた。
……けれど同時に、嬉しかった」
「嬉しかった……?」
「私ではなく、“私という人間”を見ようとしてくれた気がしたからだ。
王太子ではなく──ただのクラウスとして」
息が詰まる。
ここは、本来メリルの恋愛イベント。本来なら、クラウスはメリルに心を傾けるはずだった。
(これは……完全に、ゲームの運命が変わってる)
クラウスは、小さく息を整えた。
「だから……もう誤魔化さない」
そして、静かに告げた。
「リディア。私は、君が好きだ」
「────っ」
花火が大輪を描き、音が空を震わせる。
その光と音に包まれながら、リディアの心だけが静まり返っていく。
世界が止まったような感覚。
胸が熱くなり、息をするのも忘れそうになる。
「返事を急かすつもりはない。
ただ……これだけは伝えたかった」
クラウスは優しく微笑んだ。
「君がどんな運命に悩んでいようと、私は君の隣にいたい」
――運命を変えるほどの告白。
花火が散る光の中、リディアは震える指を胸元に押し当てた。
(どうしよう……もう、戻れない)
ゲームの“正解ルート”ではない。
バッドエンドを避けるには、メリルをクラウスと結ばせるはずだった。
なのに。
「リディア」
名前を呼ばれ、顔が上がる。
「君が迷っているなら、それごと支えたい。
だから……どうか、怖がらないで」
優しく伸ばされたクラウスの手。
その手を取れば、物語は完全にゲームから外れる。
だが──
胸の奥で、小さな灯が生まれるのをリディアは感じていた。
(私は……何を選べばいいの?)
迷いと、揺らぎと、確かな温もり。
花火が夜空に散っていく中、リディアの心もまた、大きく揺れ動いていた。




