考える
考える。それすなわち、思考を巡らしていることだ
考えるとは、どういうことだろう。
考えるの意味も知らないのか、と鼻で笑った人もいるかも知れないが、私たちは、この考えるという事を常日頃から無意識に行なっている
考える。それすなわち、思考を巡らすことだ。とある問題に対して、こうしたらいいのでは、と自分の意見を出すために必要とする能力であるが、堅っ苦しい場面だけでなく、日常生活でも使っている。例えば、今日の朝ごはんはパンだったよな、と、小さなことでも思考を巡らせ、パンを焼き、バターなんかもつけて頬張るのだ
このように、考えるという能力は、生まれながらにして持ち、そのことに対してなんの疑問も抱かないくらい身近にいる。それだというのに、考えるの意味も知らないのか、と人を笑い者にするのはお門違いというものだ。
言葉単体で聞くと、難しく考えてしまいがちだが、意味としてはそのまんまである。物事に対して、様々な道筋を思考するのだ。と、言葉にしても、また難しく思えてしまうだけだろう
考えるということは、人間なら誰しも持っている能力だ。その能力は、善と悪の境目に立っているとも言えるほど、大きな存在である。
世には、バレなきゃ犯罪じゃない、という言葉が存在するが、それを言われて実際に犯罪を犯そうとは考えないだろう。これも、自分で考え、良いことと悪いことの線引きをしているのだ。逆に、それを言われて実行しようと思うのは、生活が苦しい人か、よっぽど考えなしのどちらかだろう。犯罪は犯してはいけない、それは知っているが、犯さなければ生きていけない。そんな生活を送っている所が未だに存在していると認識すると、なんとも居た堪れない気持ちになる訳だが
そして、この小説も、どんな構成で、どんな感じに締めくくろうかと考えながら書いている。考えなしにひたすら書いているわけではないが、ここを付けたそう、と後から閃きが湧いてくることも多々ある為、そうとも言えないのが難しい所だ。
考える、それすなわち、思考を巡らすことだ。だが、思考を巡らすということは、どう意味だろうか。それに対する答えが見つかっても、また同じような質問を繰り返すだろう。しかし、それもまた、考えているのだ
「考える」の定義を考えると、毎回考えに耽って黙々と思考を巡らしてしまうため、小説にして纏めてみました。自分で読み返してみても、結局何を伝えたいのか曖昧なものになってしまいましたが、「つまり、この小説はこういう事を伝えたいのだろう」と考えてくれたのなら、私の考えは届いているのでしょう




