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【第17話】言葉のない告白

想いは、声にしなければ伝わらないわけではない。

けれど、伝えられなかった言葉には、深く静かな痛みが宿ります。

この温室に咲いた“言葉のない告白”は、そんな痛みの奥にある、やさしさと決意の花でした。

その日、温室の扉は、朝から静かだった。

雨の気配が空に浮かび、遠くで雷が小さく鳴っている。


真叶が棚の花に水をやっていると、扉のベルが、かすかな音を立てて鳴った。

振り返ると、そこには深い緑のマントを羽織った少女が立っていた。


年はたぶん、十五か十六。けれどその瞳は、大人びていて。

無言のまま、彼女は真叶と目を合わせると、小さく一礼した。


「……ようこそ」


千尋が奥から現れ、少女に優しく声をかける。

少女は何も言わず、胸元から小さな布袋を取り出した。

中から出てきたのは、一粒の種だった。


「……ことばの種ですね」


詩織がそうつぶやくと、少女はゆっくり頷いた。

その頷きに込められたものが、ひどく重たく感じられた。


少女が指差したのは、温室の奥の鉢。

そこに種を植えたいらしい。


千尋が道具を揃え、少女とともに鉢の前に立つ。

真叶は、そっと見守ることしかできなかった。


種を植えた少女は、膝をついて鉢の土に手を添えた。

その姿は、まるで何かに祈るようだった。


目を閉じた少女の頬を、ひとしずくの涙が伝った。


その瞬間、土の中からふわりと小さな芽が顔を出した。

そして――ゆっくりと、花開いた。


それは、不思議な色の花だった。

光を吸うように黒く、けれど縁だけが淡く赤く染まっている。


「……告白の花」


千尋がぽつりとつぶやく。


少女は、言葉ではなく、手のひらを胸元にあてるようにして微笑んだ。


言葉にできなかった想い。

届かなかった気持ち。

それでも伝えたい“好き”が、ここに咲いた。


少女の背中は小さく、けれど強かった。


詩織がそっと花に近づき、記録帳を開く。


「この花、花言葉は……“伝えられなかった心”。きっと、誰かに想いを告げられなかったんだと思います」


千尋が少女の隣にしゃがみ込む。


「君が伝えたかったことは、たぶんこの花の中にちゃんと入ってる。言葉にできなかったからこそ、強い想いになったんだよ」


少女はこくりと頷くと、小さなガラス瓶を取り出した。

その中には、淡く光る欠片のような花弁がひとひら、そっと入れられた。


「……お守り、ですね」


詩織がそう言うと、少女はようやく小さな声で、ありがとう、とつぶやいた。


言葉を花にして初めて、心がほどけたのかもしれない。

それは真叶にも、どこか他人事ではなかった。


自分もまた、言えなかった言葉を抱えていたから。


少女が静かに店をあとにしたあと、温室の空気はふんわりとやわらかくなっていた。

花の香りが、遠くに残された想いを、やさしく包んでいた。


少女が去ったあとも、真叶の心には静かな余韻が残っていた。


あの花は、まるで“言葉のない告白”そのものだった。

伝えたい想いがあるのに、それを声にできない。

それでも、どうしても伝えたかったから、あの子は花にしたのだろう。


「……俺も」


ふと、真叶は手を握った。

ずっと胸の奥にあった、言えなかった誰かへの想いが、また疼く。


昔、まだ声が出ていたころ。

言葉をうまく使えなかった自分が、黙ってやりすごした場面がたくさんあった。

そのたびに、後になって「どうして、あのときちゃんと伝えなかったんだろう」と後悔した。


千尋が、そっと真叶の隣に座る。


「ねえ、あの子の花、綺麗だったね」


真叶は頷いた。


「想いって、声にしなくてもちゃんと届くんだよ。届かないこともあるけど……伝えたい気持ちが、ちゃんとあるならね」


その言葉が、じんわりと心に染みた。


温室の中は、しばらく静かだった。

花の香りと、外の雨音だけが、ゆっくりと時間を刻んでいた。


詩織が記録帳に花のスケッチを描いている。

その筆先も、どこか優しさに満ちていた。


「“言葉のない告白”……これ、すごく好きです」


詩織の声に、真叶も微笑む。


想いを、無理に言葉にしなくてもいい。

でも、誰かを想う気持ちは、たしかにそこにある。


それを知ってもらえるだけで、救われることもあるのだと、あの少女が教えてくれた。


真叶は、ふと温室の奥に視線を向けた。

あの鉢には、まだほんの少し、赤い光が残っていた。

それは、少女の想いが、まだこの場所に息づいている証のようだった。


夕方になるころ、温室のガラスを打つ雨音が少しだけ強くなった。

窓の向こうでは、街が薄く霞んで見える。


そのとき、真叶は、あの少女が置いていった小さなメモに気づく。

鉢のそばに、そっと挟まれるようにして残されていたそれは、ほんの一言だけ書かれていた。


『好きでした』


それだけの短い文字が、まっすぐだった。


「……あの子、自分の想いを……最後にここに残していったんだね」


千尋がそっと呟く。


真叶は頷きながら、胸の中に温かいものが広がっていくのを感じた。

この店が、ただ花を咲かせるだけの場所ではないことを、あらためて思い知った。


“声にならない想い”のための、居場所。


それが、ことのは温室なのだ。


そして、自分もまた、誰かのそうした想いに耳を傾ける役割を持っているのだと、改めて感じた。


その日の夜、真叶は久しぶりに自分の夢を見た。


温室の中に、かつての自分が立っている。

声を失う前の、自分だった。

笑っているけれど、どこか無理をしている。

その顔は、誰かに気づいてほしそうだった。


ふと、夢の中の自分が振り向いた。


「言葉にできなかっただけで、本当は、たくさん伝えたいことがあったんだよ」


目が覚めたとき、胸の奥に、その言葉が残っていた。


翌朝、温室の入口に、小さな手紙が挟まれていた。

封筒は色あせていて、表には達筆な文字でこう書かれていた。


『ことのは温室の店主様へ』


中には、短い文と、押し花がひとつ。


『あのとき、私は何も言えませんでした。でも、あの花を咲かせたこと、ずっと覚えています。

あの花が、わたしの背中を押してくれました。ありがとう。』


押し花は、あの少女が咲かせた“言葉のない告白”の花だった。


「……届いたんだな、想いが」


千尋が、そっと押し花の封筒を指先でなぞる。

詩織も、珍しく目を潤ませていた。


「咲いた花は、その人の中にも残るんですね。言葉にはできなくても……」


真叶は頷く。

誰かの想いが、花になり、誰かの心を照らし、その人を変えていく。

この温室は、その小さな奇跡の連鎖でできているのだ。


「ことばにならなかった想い」たちは、今日も静かに、花として息づいている。


温室の奥の鉢に目をやると、新しい芽がそっと揺れていた。


その日の営業が終わると、千尋は小さな木箱を取り出した。

中には、今まで咲いた花の押し花が丁寧に並べられていた。


「この花も、一緒に残そう」

真叶の手から押し花を受け取ると、千尋は大切そうにそっと挟んだ。

記録帳には、詩織が静かに少女の想いを記していく。


『言葉にできなかった想い。それでも、心の奥にずっとあった“好き”という気持ち。』


詩織の筆跡はやさしく、まるでその想いを包むようだった。


「ねぇ、真叶さん。わたし、最近思うんです」

「うん?」

「このお店って、ただ花を咲かせるだけじゃなくて……過去の自分を受けとめる場所でもあるんじゃないかって」


その言葉に、真叶は静かにうなずいた。

確かにそうだと思う。

かつて自分も、咲いた花に救われたのだから。


窓の外では、雨が上がっていた。

濡れた街路樹の葉が、朝の光を反射してきらめいている。


今日もまた、誰かの“ことばにならなかった想い”が、花になるかもしれない。


静かな再生の一日が、また始まる。


“好き”と言えなかった少女が残した、淡い花の記憶。

それは言葉ではなく、行動とぬくもりで伝わっていたのだと思います。

真叶たちのもとには、今日もまた「届かなかった想い」がやってきます。

次に咲くのは、どんな花でしょうか。

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