第七話 紗良とカイルと調味料
「この色は――これ、おそらく、醤油ね」
紗良は、目の前に差し出された小皿を眺めながら呟いた。
カイルが不思議そうな表情をしている。彼が手にしている小皿には、とぽんとした液体が黒々と揺らめいていた。
紗良は、小皿に小指を入れた。指についた黒い液体を口へ運ぶと、納得した様子で「うん。これ、ふぉーゆーじゃなくて、醤油」と頷いた。
「これ、しょうゆっていうんすね。俺、間違って覚えてたっす」
すんませんとカイルは頭を下げた。
「全然平気よ。気にしないで、ああ、でも良かったわ。今度は、私の耳がおかしくなったのかって、老眼の次は、そっち? って焦ったわ。ああ、危なかった」
胸をなでおろす紗良をよそに、カイルは軽い足取りで厨房の奥へと消えた。
「カイル、どうしたの?」と、紗良は不思議そうにカイルが消えた方を覗き見た。
「ちょっと、待っててくださいます。今、そっちに持ってくっす」
カイルの楽しそうに弾む声音が聞こえた。
紗良は、目を細めて柔らかな笑みを浮かべながら「わかったわ」と答えると、腕の中のヴォルフに視線を移した。
ヴォルフは、紗良の腕の中でぐっすりと寝ている。
「寝る子は育つっていうけど、この子ずっと寝てるわね。私、あんなに走ってたのに、全然起きないわ――」
穏やかな表情でヴォルフを眺めた紗良は、ゆっくりとヴォルフの背中を撫でた。
小さなヴォルフの背中にそっと手を乗せて、彼の身体のぬくもりと呼吸を確かめた紗良は、ぽんぽんと背中を叩いて「大丈夫、良い子ね」と呟いた――。
「――これ、全部侍婆様の秘伝のレシピで作ったっす」
カイルが自慢げに大きな瓶を二つ抱えてきた。彼は、よいっしょっとそれらを机の上に置いて、紗良の目の前に並べた。
「左のこれが、まりんっす」
「味醂ね」
紗良は、さらりと訂正した。
「みりんっすね。覚えたっす」
「それでこれが、とうっす」そう言ってカイルは味醂の隣に置かれていた瓶を手に取りながら言った。瓶の中は、薄茶色の粉末で満たされていた。
カイルは、その粉末をスプーンですくうと、紗良に差し出した。
カイルからスプーンを受け取った紗良は、それをぱくりと口に含んだ。
「これ、甘いわね。白くないけど、でも、これ砂糖ね。これが秘伝って――砂糖って、この世界では珍しいの? じゃあ、ここでは、甘味って何を使っているの? はちみつとか?」
カイルは、申し訳なさそうに首を横に振った。
「島の外の人が何を使ってるかは、わからないっす。俺、ここに来たの小さい時で、その時にここを管理していたじいじに教えてもらったのがこれっす。それに……俺、読んだり書いたりできないっす。だから、聞いて覚えただけっす」
悲し気な表情を見せるカイルに、紗良は、しまったと、慌てた様子で、
「で、でも、聞いただけでこれだけできるなんてすごいじゃない!
私、絶対無理よ。私、覚えるの苦手で、ずっと裏紙メモ帳にがりがり書き込んでたわよ。
よく若い子に言われたわ、『紗良さん、必死ですね』って――よく笑われてたわ」
言い終えて紗良は、遠い目をした。
「うらがみめもちょってなんすか」
カイルは、尋ねながらコテンと首を傾げた。
カイルの無垢な仕草に頬を緩めた紗良は、
「いいのよ、いいのよ。裏紙メモ帳なんて、もう私には必要のないものだもの。気にしないで。ちょっと昔のことを思い出しちゃっただけよ。忘れましょう。
それにしてもカイル、あなた、島を駆け回って逞しくって、筋肉も実はバッキバキで、調味料すら全部覚えて作って、料理も美味いし、しかも格好いい。完璧な男よ。すごいわ。スパダリカイル、最強じゃない。最高の家族が出来て幸せだわ」
紗良は嬉しそうにしてカイルを見つめた。紗良の眼差しに、カイルは思わず頬を染める。
「か、家族っすか。そ、そうっすね。俺も、嬉しいっす――じゃ、じゃあ、これ、これも紗良さん知ってるっすか? これ俺大好きなんす」
照れながらカイルは、厨房の隅から四角いガラスの器を持ってきた。
器には、こげ茶色のペースト状のものが入っている。
「――クソっす」
笑顔で味噌を差し出すカイルに、紗良は腹を抱えて笑った。
皆様の反響がすごくて、つい、浮かれてしまいました。すみません! これに懲りずにこれからも紗良とヴォルフ、カイルをよろしくお願いします! 読んでくれて、ありがとう!!