第六話 引きこもり確定の三人組とご先祖様が遺してくれたもの
「絶海の孤島――。なぁんてことはなかったわね」
紗良は、浜辺に立っていた。お腹を満たしぐっすりと寝ているヴォルフを抱きながら、紗良は、さざ波一つない穏やかな水面を眺めている。
「あれが、お城なんでしょ? 私、あそこで召喚されたのよね?」
海向こうにくっきりと見える白く大きな建造物を指さしながら紗良は、隣に佇んでいる男性に尋ねた。
男性は、紗良と同じ方向を眺めながら頷いた。
「そうっす、あれが王宮っす」
「ワンチャン、泳げそうだけど。何? ここ、私の目には見えないとんでもない潮の流れとかあるわけ? もしかして私の老眼では見えない特殊な波とか?」
横目で男性を見る。男性は、気まずそうにして肩を竦めた。
「そ、そういえば、俺の名前まだ言ってなかったっす」と口早に話題を変えた男性は、紗良と目を合わせた。
紗良は、はっとした様子で、
「確かに! え? もしかして、私の名前も知らない?」と、自身を指さした。
男性は、小さくはいと答える。
「ごめん、ごめん。昨日から色々あり過ぎて、いっちばん大事なことすっぱり忘れていたわ。
えっと、私は、犬養紗良よ。おばちゃんって呼ばれるより紗良って呼んで欲しいわ。
紗良さんでも、なんでも。年齢は、だいたい40あたりね。独身よ。向こうでは、いろんな仕事をちょこちょことする感じだったわね」
紗良は、言い終えて男性を見つめた。あなたの番よと笑顔で彼を見つめている。
男性は、紗良の言葉に何か難しそうな顔をしてしばらく思案すると、それからゆっくりと口を開いた。
「お、俺の名前は、カイルっす。えっと、年齢は、だいたい10あたりで――」
言いながらカイルは、おそるおそる紗良の様子を確かめた。
紗良は、カイルの年齢を聞いて苦笑しながら、
「あなたは良いのよ。年齢をぼやかす必要はないの。ほら、私くらいになるともうね。わかるでしょ? 細かいことはいいのよ。
武士の平均寿命を超えた私の年齢なんてね。毎年増えたとしても、大体は、スルーするものなのよ。おおよそでいいの。おおよそで。
でもあなたはまだ若いじゃない。だいたい10あたりって、ぷふふ。カイル、あなた――結構面白いわね」
「面白いのは、多分、紗良さんっす。年齢を言っていいんすか? 紗良さんの世界では、文化とかそんな感じで、年齢を言っちゃよくないのかなって心配したっす。安心したっす。
俺は、17っす。仕事は、調理、清掃、洗濯、建物の保全と、この島全体の管理っす」
「え? カイル、それ全部一人でやっているの?」
うそでしょ? と驚いている紗良に、カイルは控えめに頷いた。
「とんだブラックじゃない!? かわいそうに、そんな重労働毎日やっていたの? これからは、私もカイルの仕事を手伝うわよ。
今、私、無職だし、建物の保全と管理とかは難しそうだけど、調理と洗濯、掃除ならすぐにでもできるわよ」
案外そういうの得意なのよ。任せてと胸をはる紗良にカイルは、頬を緩めた。
「すんませんっす。じゃあ、俺も紗良さんに手伝ってもらいながらこの島で仕事がんばるっす」
「カイル、よくそんな過酷な状況を一人で耐えてたきたわね。すごい忍耐力よ。しかも、これからも頑張るって……私なんてあなたの足元にも及ばないわ。すごいわよ、あなた。」
感心する紗良にカイルは、照れくさそうにしてはにかんで頷いた。紗良は、カイルの表情を見ながら目を細め柔らかな笑みを浮かべた。
しばらく海を眺めていた紗良は、思い出したように口を開いた。
「そう言えば、さっき、この島から出られないって言ってたじゃない? 私は、あんまり体力がないし、泳ぎも得意じゃないからあそこまで行けそうもないけれど、あなたなら泳いで渡れるんじゃない?」
不思議そうにして尋ねる紗良に、カイルは悲しそうな表情で首を横に振った。
「俺も、あんまり……泳ぎ得意じゃないっす。それに、もし船であっちに戻れるとしても、戻りたくないっす。俺、このままでいいっす。ここにずっといたいっす」
カイルの縋るような眼差しに紗良は、ずずずっと鼻を啜った。
「あー、だめなのよ。私、ずっと涙腺ゆるいまんまなんだから、もうそれ以上は、言わないで。がりがりのヴォルフに、カイル、あなたのその表情――。
わかったわ。おばちゃん余計なこと聞いた。ごめん、大丈夫よ、カイルには、おばちゃんがいる。
カイルは、このままここで良いわ。ヴォルフもいるし、三人で。とにかく、三人で、ここで一緒に暮らしましょう。
そうよね、ここには、あなたの容姿にケチつける奴も、扇子ぶん投げてくるキーキー女もいないし、若くてきれいな女にしか興味のない歪んだ性格の白タキもいない。」
そうよ、大丈夫だから、元気出しなさいと紗良は、カイルの肩を叩いた。
「俺、もし、紗良さんやヴォルフ殿下がこの島を出たいって言ったらちゃんと協力するっす。だから、それまで、ヴォルフ殿下が大きくなるまで、俺、二人と一緒にいたいっす。ずっと一人でさびしかったっす」
上目遣いで肩を震わせながらそう言うカイルに、紗良は思わず――
――ぐううううう
「あ、ごめんなさい。こんな時に私ったら――ご飯、足りなかったみたい」
紗良は恥ずかしそうに頬を染めた。
カイルは、驚愕の表情で震えながら「あれ、俺の分もあげたっすよ」
「いつもは、違うのよ。こんなお腹じゃないのよ。召喚されると――お腹がすくのよ、きっと……」
紗良は、気まずそうにして俯いた。紗良の視線の先には、ポッコリと主張しているお腹があった。紗良は、深くため息を吐くと仕方ないじゃないと開き直るようにして、
「あの、スープ本当に美味しかったのよ。あんなの作るカイルが悪いわ。うん、そうよ。私、あのスープのせいで余計に食欲が増しちゃって、それで胃袋がバグったのよ。
あのスープの絶妙な塩加減とあの懐かしい風味、あれ、本当に良かったわ。」
恍惚の表情でスープの味を懐かしむ紗良に、カイルは不思議そうに尋ねた。
「懐かしいスープの味って――紗良さんって、そういえばどこから召喚されたんすか?」
「え? 私? えっと、地球って惑星? 星よ。その地球の日本っていうところ」
「にほん――」
あ! と言って顔をパッと明るくしたカイルは、
「紗良さんってもしかしたら、陛下のお婆様と同じ世界から来たんじゃないっすか? だから、さっきぶしって、言ってたのか。そうかあのぶしって、もしかして、さむらいのことっすか?」
「侍って、え? 侍、知ってるの? 日本からこの世界に召喚されてきたのって、私だけじゃないの? うそ! すごい!」
興奮している紗良にカイルは、満面の笑みで答えた。
「そうっす。俺、スープにその侍婆様直伝の調味料を加えたっす。だから、紗良さん気に入ったっす。隠し味にいつも使ってるっす」
「隠し味? 日本の調味料ってこと? なんて名前の調味料?」
食いつくようにして尋ねる紗良に、カイルは、ニコニコとしながら自信たっぷりに答えた。
「フォーユーっす」
「え? なに?」
「フォーユー」
はちきれんばかりの笑顔で、口を大きく動かしてフォーユーと連発するカイルの手を取った紗良は「塔に戻るわよ」と、ヴォルフを抱えながらダッシュで浜辺を後にした。