第五話 紗良と外見至上主義
「――なんて、美味しいスープなの?! それにこのふわっふわのパン。あなた最高の料理人ね」
紗良は、うっとりとしながら頬に手を添えた。彼女が幸せそうにパンを頬張る様子を見ていた男性は、
「そう言ってもらえると、うれしいっす。でも、そんなに食べて大丈夫っすか? その……太ったりしないっすか? それに、俺に聞きたいことって、もういいんすか? 俺まだなんにも答えてないっすけど……」
控えめに尋ねる男性に紗良は、
「いいのよ。美味しいものはたくさん食べることにしているのよ。それに、この子だって、見てよ。こんなにいっぱい食べてるじゃない。この子、がりがりだったのよ。そんな子が、こんなに美味しそうにがっつがつ食べてるなんて、あなた、本当に料理の天才よ!」
スプーンを手にしながら底抜けに幸せそうな表情を見せた紗良に、男性は惚けた表情で彼女を眺めたあと、はっとして俯いた。
ヴォルフは、床に置かれた皿にこれでもかと顔を突っ込んでいた。息継ぎすら忘れるほどに必死にご飯を食べているヴォルフは、皿が空になっているのにも気がつかずに、歯をカチカチと鳴らせた。
紗良は、あらあらと嬉しい悲鳴をあげると、すぐにヴォルフの皿を満たした。
「あんまり食べ過ぎると、お腹を壊すわよ」と眉尻を下げて苦笑した紗良は、それから安堵の表情を浮かべた。
紗良の心配をよそに、ヴォルフの食べる速度は、誰に言われずとも徐々に緩やかになっていった。
安心して手元に視線を戻した紗良は、先ほどからずっと俯いて控えめな態度をとっている男性に首を傾げた。男性を見つめて尋ねる。
「ねぇ。さっきから気になってたんだけど……あなた、なんでさっきから私と、目を合わせようとしないの? 私、そんなに変かしら。まあ、確かに、私は、界隈では有名なずんぐりばばあだけど?」
おどけながら口角を上げる紗良に、男性は慌てた様子で答えた。
「ち、違うっす。あ、あの、お、俺が悪いっす」
「あなたの何が悪いって言うの?」訝し気な表情で紗良は尋ねた。
彼女は、スプーンを皿に戻すと、両手を膝に置いた。姿勢を整えた紗良は、まっすぐに男性と目を合わせる。
男性は、紗良の視線に耐え切れないといった様子で俯くと、それからぽつぽつと話し出した。
「俺、俺の姿、みんなと違うっす。俺、双子で忌み子で……それで兄よりも劣ってるんっす」
俯いている男性の表情は、紗良からもはっきりとわかるほどに暗くなっていった。
「え? 双子がダメって――。ああ、確か昔の迷信だっけ? 日本にもあったような気がするわ。でも、そんな昔のこと気にすることないわよ。そんな考え、もう古いわよ。
私の国じゃあ、双子なんてざらよ。三つ子、四つ子、五つ子もいて、なんなら人気者よ。テレビでよくやっていたもの。大変そうだけど、でも、ほんっとにかわいいのよ。
それに、劣ってる? どこが? あなた、こんなにイケメンなのに? 私の国にあなたがいたら、国宝級のイケメンって言われて大騒ぎよ」
紗良は、まじまじと男性を見ながら言った。中性的な顔立ちの男性は、目鼻立ちがはっきりとしていているのに人懐っこく柔らかい雰囲気がある。急に顔を寄せられた男性は、頬を染めながら答えた。
「俺の……瞳が、一部、ちょっとだけ色が違って、濁ってるんっす」
「え? 瞳? 目? どれ?」
紗良は、男性の両頬を包み込んだ。彼の顔をぐいっと引き寄せた紗良は、男性の瞳を覗き込んだ。
難しい顔をしながら男性の瞳をしばらく眺めた紗良は、それからすっと男性から離れた。
紗良は、目頭を揉んで数回瞬きをしてから遠くを眺め、そしてまた、彼の顔に近づいた。彼の瞳を凝視する。
何度も、離れては、揉んで、近づいてを無言で繰り返す紗良に、男性は控えめに尋ねた。
「老眼っすか?」
「なっ!! ち、違うわよ。こ、これはあれよ。あれ、昨日、泣き過ぎて、それで目のピントが合わなくなってしまったのよ。ま、まさか、老眼なんて」
ちょっと黙っててと紗良は、また男性の瞳を覗き込んだ。唸りながら紗良は再度、男性から顔を離した。
遠くから目を細めて彼の瞳を眺める紗良に、男性は「すみません」とまた小声で話しかけた。
「さっきから――鼻の下、伸びてるっす」
「うそ?! 伸びてた?! え? それってじいちゃんが新聞読むときの顔じゃない。うそ。遺伝?」
紗良は、恥ずかしそうにそう答えると、きゅっと口を引き締めた。目を極限まで細めながら男性にゆっくりと近づく――。
「すんません」
控えめに発言する男性に「今度はなによ! もう鼻の下は伸びてないはずよ」と紗良は、抗議した。
「あ、いえ、その今度は……」
男性は、おずおずと自身の小鼻を指さした。
「鼻、膨らんでるっす」
「もう! 何なのよ! 人がせっかく心配してあげたってのに」
地団太を踏みながら紗良は、
「とにかく、その濁り? だっけ、私には全然わからないわ。大丈夫よ。あなたも、あのタヌキじじいの枝毛も、ここの人たちみんな外見を気にし過ぎなのよ」
私を見てごらんなさいと両手を腰に当てた紗良は、鼻を膨らませた。鼻の下も伸ばしながら、胸を張って、
「私は、これでもう四十年以上も生きてこれたんだから、あなたも大丈夫よ」
よれよれのスーツに身を包み、ぼさぼさの髪の毛で胸をはる紗良に、男性は眉尻を下げた。
傍らには、はっはっと、白い犬歯を覗かせながらぱんぱんになった腹で幸せそうに紗良を見上げているヴォルフがいた。
男性は、二人を眺めながら、
「そうっすね。なんかもうどうでもいいっすね。大体、この塔に俺ら以外いないし、この島から出られないし、そっすね。誰も俺らのことなんて見ないっすもんね」
そっかと気の抜けた表情をして天井を見上げた男性に、紗良は目を見開きながら言った。
「え? どういうこと? ここ島なの? 私たち、ここから一生出られないの? え? どゆこと?」
口をぽかんと開けている紗良を見上げながらヴォルフは、キャンと元気な鳴き声を上げた。