第四十六話 スパダリアーサーとヴォルフの思い出
「やっぱり、そうよね――」
ごめんなさいと、紗良は、肩を竦めた。
その後は、何事もなかったかのように食事は進み、以降、お米について言及するものはいなかった。
食事を終えたアーサーが湯あみに行ってくると居間を後にすると、ジョバンニがようやく口を開いた。彼の膝の上では子狼が体を丸めて眠っている。
「紗良、諦めが早いって言ってた割には、さっきからずっと何か考えてるみてぇだけど――お前、また、暴走するんじゃねぇよな?
どんなに頑張っても、アーサーさんにそりを引いてくれってのは頼めねぇからな。アーサーさんに無理させて、風邪ひかせたり怪我させたりしたらそれこそ、おさるさんが責められることなるんだからな」
ジョバンニの言葉に、紗良は頬を膨らませた。
「わかっているわよ。アーサーには、そんな危険なこと頼まないわ。ただ、やっぱりあのヴォルフのお米にがっつく姿を見たらね。それに――」
紗良は懐かしそうにして目を細めた。ジョバンニが紗良の表情に眉を顰めていると、紗良は、ゆっくりと話し始めた。
「ちょっと思い出していたのよ。私の子どもの頃のこと」
「紗良さんの子どもの頃のことっすか?」
カイルが紗良に尋ねた。彼はテーブルを拭いていた手を止めて興味深げに紗良を見遣った。
紗良は、カイルにそうよと柔らかな笑みを浮かべながら話し始めた。
「私、毎年冬に学校が休みになると祖父の家に泊まりに行っていたのよ。祖父の家は山の中で、雪が多くて、それこそ、この島みたいに何もなくて不便だったけど、祖父の家で過ごす毎日はとっても楽しかったわ。
朝から晩まで私、祖父にくっついていたの。
朝ご飯を食べたら、祖父の趣味の書道を隣で見て、墨や半紙の匂いを思いっきり吸いながら、祖父の書斎の棚にあったつるつるでぴかぴかの巻貝を耳にあてて、海の音を聞くの。
昼ごはんを食べたら、今度は、祖父にそりを引いてもらって森の中を探検しながら、薪小屋まで行って、帰りは薪を積んだそりを引く彼の後を雪玉を作りながらついて歩くの。
夜は、タンスに囲まれた小さな空間に布団を二枚敷いて、祖父と祖母に挟まれて寝るのよ。
寝る前に祖父は、必ず私に昔話をしてくれるんだけど、その時に祖父は、そのタンスを太鼓に見立てて、だんだんって叩いて、鬼がくるぞぉとか叫んで、迫真の演技でね――」
ふふふと顔を綻ばせながら、
「あの祖父の家での出来事を思い出すとね。毎回、胸がきゅっとして温かくなるのよ。
不思議なんだけど、大人になってからのどの記憶よりも当時の記憶の方が鮮明で、匂いとかまでも覚えてて。
で、ヴォルフのあのお米を食べている時の表情をみていたら、今度は、私、私のことをいつも見ていた祖父の顔を思い出しちゃって。
ああ、祖父もこんな感じで孫の私が楽しんでいるのを眺めていたのかなって――」
「それで、バッバとしての感情がまたひとつ増えたと」
納得した表情でジョバンニは紗良に言った。紗良は、ジョバンニに力強く頷きながら答えた。
「そうなのよ。私、もう正真正銘、身も心もバッバなんだわ。ヴォルフが喜んで必死になってる姿を見るのが、たまらなく愛おしいの。ヴォルフの笑顔のためになんとかしてあげたいって思っちゃうのよ」
「ま、確かにな。俺も、ヴォルフのあんな表情を見たらきゅっとなったわ。そんなに必死になるかって、なんか、嬉しくなったわ」
ジョバンニは、膝の上の子狼にそっと手を乗せた。上下する彼の呼吸を感じながら、
「――仕方ねえからな。ヴォルフが春までずっと米粥食えるように、俺、クリスマスだかのちんぴらパーティーでご飯食うの我慢するわ。いつも通り果実酒とちんぴらで楽しむわ」
愛おしそうに子狼の背中を撫で続けた。
「俺も、ご飯、春まで待つっす。それに、ヴォルフにそりを作るっす。紗良さんが言っていた、ヴォルフのクリスマスのプレゼントをそりにするっす。それで、俺、そりに紗良さんとヴォルフを乗せて、引っ張るっす」
笑顔でそう言うカイルに、ジョバンニは、顔をあげて彼を見ると呆れた様子で言った。
「紗良を乗せてそりを引っ張るのは、さすがに無理だろ」
「ジョバンニさんも引っ張るっす」
二人の会話を聞いていた紗良が、突然笑いだした。
ジョバンニが怪訝な表情をしながら紗良に尋ねる。
「なんだよ、急に――」
「だって、つるっつるの羊がそりを引くのを想像したら、私――」
クククと肩を揺らしながら笑う紗良。
ジョバンニは、ヴォルフを傍らに寝かせると、ぼんと獣化した。
『お前、ずっと俺のことつるつるって言ってるけどな。俺、もう、つるつるじゃねぇよ。さすがに、全部元通りって訳には、まだ、いかねぇけど』
ここら辺は生えそろってきてるだろと、真剣な表情で羊は紗良にお尻を突き出した。
目の前にある羊のお尻を撫でた紗良は、「生えてきたって、まだ、全然短いじゃない。じょりじょりしてるわよ」といたずらな笑みで軽口を叩いた。
怒りに震えた羊が獣化を解いて服を着ながら「じょりじょりって、お前な!」と紗良に抗議し始める。
彼らがいつもの調子に戻ってしばらくわいわいと騒いでいたところに、アーサーが居間に入ってきた。
湯あみをしてきたはずの彼は、しかし、その様子はなく、濡れた髪を拭いていたいつもの布も持っていなかった。彼は、代わりに薄緑色の紙を手にしている。
きょとんとしている三人をよそに、颯爽と紗良の目の前まで来たアーサーは、
「おさるさんは、私が説得した。私もヴォルフの思い出に加えてくれ。なに、おぬしらが思うほど私は、ひ弱ではない。そりを引いたくらいで、怪我もしないし、風邪も引かぬ。鍛えておるし、力もあるからの。紗良とヴォルフを乗せてそりを引くとこくらい――造作もないわ」
満面の笑みで手にしていた紙を紗良に差し出した。突然渡された紙を手に、理解が追いつかない様子でぽかんとしている紗良に、アーサーは笑顔のまま続けた。
「そりの設計図だ。これは、異国で昔使われていたものでな、重いものを引いて移動するのに最適だそうだ。昔、外遊に訪れた時に、そこで設計図を見せてもらっての」
「設計図、これ、今、アーサーが書いたんですか? これすっごく詳しい――」
驚いた顔で、紙とアーサーを交互に見ている紗良に、
「私も――カイルのようにとても記憶力が良いのだよ」
アーサーはニヤリとその口角を上げた――。




