第四十三話 紗良のスローライフ計画
「ねぇ、ジョバンニ。あなたの羊毛――変色したお尻のところでもいいから、ちょっとだけ私に売ってくれない?」
朝食後、ジョバンニと紗良は、厨房で芋の皮を剥いていた。紗良の隣では、ジョバンニが芋にナイフを刺している。
羊毛をくれという紗良に、ジョバンニは手にしている芋から視線を外すことなく、
「またかよ。無理。俺の毛は誰にも刈らせん、誰にもやらん。それに、俺のケツの毛、変色してない」
「でも、ほら、人間の髪の毛だって切らずに放っておいたら枝毛とか切れ気とか? 毛先がぼそぼそってなってくるのよ。だから、美しい髪を保つために、定期的に毛先を切るのよ。
それにヴォルフやアーサーも夏毛から冬毛に生え変わったじゃない。そしたら、ふわっふわのもっこもこ、つやっつやになって、最高級の肌触りになったわ。
ジョバンニ、あなたも、換毛期がないからって、一生その毛を生やしておくよりは、定期的に入れ替えた方がもっとつやっつやになってあなたの一級品の羊毛も特急品になっちゃうかも知れないわよ」
ジョバンニは、「この芋、うまく剥けねぇな」と文句を言いながら、
「俺の毛だって抜けかわりますよ。換毛期だって羊にもありますし。それに、みなさん、お気づきじゃないようですが、俺、もう、冬仕様ですから」
残念だったなと口角を上げるジョバンニに、紗良が驚きながら言った。
「え? 羊にも換毛期ってあるの? いつ!? いつ抜けかわったの? うそぉ、教えてくれたっていいじゃない。一年中もこもこしてるのかと思ってた。
はっ! もしかして、この間、自分の部屋で寝るとかいきなりいいだしだ日? あの時にやっちゃった?
うわー。あの日かぁ。盲点だったぁ。私、てっきり、あの夜は、あなたのその青年としての滾るそれを、すっきりと解消しにいってるんだと思ったわー。
なんか、思春期の息子を育ててる母ちゃんみたいな感慨深い気持ちでいたのに。えー、自分の毛を剃ってただけ?」
不満げな表情をしている紗良に、ジョバンニは、顔を真っ赤にしながら、
「お、お前、よ、よくそんなことを言えるな――。うそだろ? お前、俺の滾るって、え? どうなってんだよ。しかも、え? 毛を剃るってなんだよ。俺、剃ったり、刈ったりしねぇよ? 抜けるもんだよ? それに、俺の毛が抜けるのは、今じゃなくて――ま、まあ、いい。また、色々ややこしくなるし――」
狼狽えているジョバンニ。紗良は、初めて見る彼の表情に、ニタァと笑みを浮かべた。
「あら、あら、あら、ジョバンニちゃん。あなた――案外、可愛らしいところあるじゃない。そんなに、お顔を真っ赤にしちゃって、まるで乙女のようよ」
「お、お前がおかしいんだろ! ば、ババアのくせに、なんなんだよ!」
ジョバンニは、ぶんっと顔を背けた。
紗良は、ジョバンニの反応をよそに、大したことないといった様子で、
「近所のおばさんが言ってたのよ。思春期の男の子はそういうもんだって。おばさんも最初、息子さんの部屋でそう言う本を見つけた時は、ショックだったらしいけど――
息子さんが大人になって家を出るくらいになったころには、もう、慣れたもんで、息子さんがため込んだその本の山も、そのまま括って資源ごみよって言っていたわ」
「また、近所のおばさんかよ。お前の知識、そのおばさんに染まり過ぎてんだよ」
ジョバンニは、呆れた様子で紗良に言った。
紗良は、頬を膨らませながら、
「仕方ないでしょ。私、子ども産んで育てたことないんだから。私が使える知識って言ったら、他人から聞いた話とか、育児本を読んで、それで――」
不意に紗良の手が止まった。剥きかけの芋を手に、眉尻を下げた紗良は、ふっと悲し気に微笑んだ。
ジョバンニは、彼女の浮かべた笑みを見て小さくため息を吐くと、口を開いた。
「ま、あれだ。俺の思春期はともかくとして。それより、お前、こっちの世界の金、持ってないだろ。どうやって、俺の毛を買うんだよ。果実酒とか上級便所紙とかと交換とか言うことか? それなら、俺の毛一本で、果実酒一本くれるってんなら考えてやらなくもないぞ」
ジョバンニは、ニヤリと笑顔を作った。
紗良は、俯いていた顔を上げて、
「果実酒と交換しなくても、大丈夫よ。今は――確かに、お金がないから払えないけど、ツケにしてちょうだい。そう、うん。出世払いってやつよ。私ね、将来、歯医者さんになることにしたの」
「歯医者って、お前。まさか、番様の能力を金儲けに使う気か?」
予想外の紗良の答えに、ジョバンニが眉を顰めながら尋ねた。
「だって、異世界で私が生き残るためには、虫歯を魔法で治すことしかなくない?」
そう言って紗良は、手にしていたナイフと芋をまな板の上に置いた。傍らの布で手を拭きながら、言葉を続ける。
「そもそも、私の虫歯治療って、最弱スキルじゃない。その虫歯治療だって、先代のにゅるっていう薬でたちまち治っちゃうのよ。私のスキル、意味なし。
能力なしの番様。これって、確実な、追放案件よ。
だから、ヴォルフとあなた達が無事に塔を巣立って、私がお役御免になったら、余生は、虫歯専門の歯医者にジョブチェンジして、ほそぼそと怒られない程度に魔法を使って、生き延びようとそういう計画なわけ。
海の近くに小屋でも建てて、そこでスローライフを楽しむってそういうことにしたのよ。
で、その歯医者で稼いだお金を、あなたに羊毛代金として支払うと。
そうね、あなたが結婚する時にご祝儀として、あなたの羊毛代金とまとめてあげるってのもいいわね。
先にあなたにお金をあげちゃうと、あなた、全部酒を買うのに使っちゃいそうだから。あなたの未来のしっかりものの姉さん女房にお金を払って、それで、しっかりと管理してもらいましょう」
言い終えて笑顔を見せる紗良に、ジョバンニは呆れた様子で言った。
「お前の妄想半端ないな。なんで、俺、もう結婚することになってんだよ。しかも、姉さん女房ってなんだよ。お前の中の俺の嫁って、どんな奴なんだよ。お前の、その突き抜けた想像力、どこから来るんだよ」
紗良は、ジョバンニの表情に柔らかな笑みを浮かべた。手を拭った布を綺麗に折りたたみながら、口を開く。
「あなたのお嫁さんについては、まあ、私が勝手に楽しんで想像しただけだけど、でも、そう、将来のスローライフは結構、本気よ。
私、ヴォルフの番だけど、この年齢差じゃない? 私だって、そりゃあ、妄想する必要もなく、わかるわよ。私が、あの子にかまってあげられるのは、あの子が独り立ちするまでだって。
あの子には、ババアじゃなくてちゃんとあの子の年齢に見合った人が必要だわ。あの子には幸せになって欲しいから、あの子が大人になったら私、速攻で身を引くわ。
番と離れるのって、結構きついことらしいけど、でも、大丈夫。そんなこと、あっちの世界で、体験済みだから。
私、ババアとして経験して色々と身に染みてるから平気よ。ヴォルフのために、番を手放せる自信がある」
黙って紗良の話を聞いていたジョバンニが、手にしていたナイフを置きながら言った。
「また、お前の妄想が――って言いたいところだけど、まあ、確かにな。番でも、お前らの歳の差は、どうにもならないからな。仕方ねえよな。
でも、その歯医者だかには、ならなくてもいいんじゃね? ヴォルフは王子だから、まあ、将来はお前と離れて暮らすことにはなるだろうけど。でも、何も、お前、わざわざ一人で生きなくてもよくね?」
ジョバンニの言葉に、紗良がきょとんと首を傾げている。
ジョバンニは顔を真っ赤にしながら、天井を見ながら話した。
「ま、あれだ。俺が将来ヴォルフの第一側近になって、それで、爵位とかもらってだな。それで、めっちゃくちゃ稼いで、そしたら、お前を、侍女でも、秘書でも、乳母にでもして雇ってやるよ。あと、カイルはあれだな。俺の専属シェフ」
「ヴォルフの第一側近って、ジョバンニ、あなたのその妄想の方が突き抜けてるわよ」
ふふふと肩を震わせる紗良。紗良のいつもの笑顔に、ジョバンニは頬を緩ませた。
――キャン
厨房に子狼が駆け込んできた。彼は、紗良を見つけるとすぐに彼女に飛びついた。
紗良は、びっくりしながらも両手でしっかりと子狼を受け止めた。紗良を見上げてはっはと笑顔を見せる子狼。
子狼を追って厨房に入って来たアーサーが眉尻を下げながら言った。
「ヴォルフが、寂しがってぐずっての。目を離した隙に獣化しおって、サークルを飛び越えて――ここまで、一目散だ。
私になんて、目もくれん。カイルもだめじゃった。紗良だけじゃ。乳母が昔言っておったが、これは後追いというものではなかろうか」
「後追い――」
紗良は、腕の中で紗良を見上げる子狼と視線を交わした。彼を見つめながら、子狼の背中を何度も愛おしそうに撫でた。
しばらく紗良と子狼を眺めていたジョバンニが、おもむろに紗良に話しかけた。
「――この調子だとお前のスローライフだかは、まだまだ先のことみたいだし、とりあえず、今は、ヴォルフのバッバとして、何にも考えずに楽しんだらいいんじゃね?」
ジョバンニの言葉に、紗良は、微笑みながら小さく頷いた。
抱き上げた子狼のお腹に顔を埋めて、紗良は、大きく息を吸った――。




