第四十一話 暴走しがちな紗良と体調不良の行方
「ううう。気持ち悪い」
『いや、大げさ。お前の熱、もうとっくに下がってるから』
羊は、ベッドに寝そべっている。彼の隣には、紗良がいた。二人は、アーサーのために用意された塔の最上階の部屋で一晩を過ごした。
昨夜羊に抱きつきながら大量の汗をかいた紗良は、空が白み始める頃には平熱に戻っていた。しかし、紗良はまだ体の調子が悪いと言って毛布にくるまったままでいる。
苦しい気持ち悪いと連呼している紗良に、羊は冷ややかな視線を送りながら言った。
『お前、恥ずかしくないのか? いい歳したババアが、たかが熱出たくらいで大騒ぎして、苦しい、つらい、もうすぐ私、死ぬわ。せめて、番としてヴォルフに何か遺させて! とか叫んでたかと思ったら、次の日にすっかり良くなってるとか――俺だったら恥ずかしさ突き抜けて、のたうち回ってるところだわ』
「ちょっと待って、私、叫んでないし、そこまで悲劇のヒロインになってなかったし、え? どういうこと? 私、もっと冷静にみんなに言ってたわよね。そこまで、深刻になってた? えーうそでしょ。やだー。あー、もう恥ずかしいって、あなた、話、結構盛ってるわよね!」
顔を赤くして抗議した紗良は、それから肩をすくめて俯いた。
「――でも、最近、本当に辛かったのよ。今まで風邪くらいじゃ、こんな倦怠感や、汗や、めまいなんて起こさなかったんだもの。こんなひどい症状、初めてで、一人で怖かったの。死を覚悟したって仕方ないじゃない」
『でも、一瞬で汗かいて治ったろ。昨日汗かきまくってるお前から、俺は、とんでもない生命力を感じたよ。お前、一生死なねぇよ』
「でも、でも、ただの風邪だったとしたら、なんで今回は、咳も鼻水も出なかったの? それに、今のこの体の辛さは何なのよ。
熱も下がって、だるさも、めまいも、汗も、確かにすっきりなくなってるけど――でも、体の中とか、口の中が、むううんってするのよ。
むむううんって――。こんな感覚初めてよ。絶対にこれは風邪なんかじゃないわ」
『なんだよ、むーんって』
「わかんないけど、とにかく熱が下がってから、体がむーーんってして気持ち悪いのよ」
『俺、むーんなんてなったことねぇし――。ああ、あれか、ババアが風邪引くと、むううんってなるとかか? いや、そもそも、お前のむううんって言うのも意味不明だし』
面倒くせぇなと、ジョバンニは紗良に背を向けた。
「ちょ、面倒くさいって、ジョバンニ、あなた私のこと心配してくれてるのよね?」
『心配なんてしてねぇよ。熱だってとっくに下がってるし。紗良、お前、今、めっちゃくちゃ顔色いいぞ、健康そのものだろ――とりあえず、昨日の看病代として、果実酒、二本』
「まだ、治ってないわ! まだ、むーんしてるし!! このむーんは、本物よ! それに、果実酒って――、ジョバンニ、あなた! 私を看病してくれたのって、果実酒目当てだったってこと?! あー、そう、そう言うこと。
あーもう、わかったわ。あー損した。
今朝、ちょっとだけ、あなたのこと見直してたのに、見直した自分、めっちゃくちゃ損したぁ――」
――コンコンコン
「紗良さん、ジョバンニさん、朝ごはん持ってきたっす」
カイルが扉を開けて入ってきた。お盆片手にニコニコしながら部屋に入ってくるカイルに、紗良は、恥ずかしそうにして言った。
「カイル、おはよう。昨日は――心配かけてごめんね」
カイルは、屈託のない笑顔を見せながら、ぶんぶんと首を横に振って答えた。
「大丈夫っす。紗良さん、すぐに熱が下がって良かったっす」
ジョバンニとは違うカイルの無邪気な笑顔にほっとした紗良は、彼に尋ねた。
「あの、カイル、あなたは、昨日、私がもうすぐ死ぬかもって言った時――、どう思った? やっぱり、大げさだって――思ったりした?」
紗良の言葉に、カイルは首を傾げながら、
「大げさって言うか、紗良さんの勘違いだと思ったっす。だって、紗良さん、体調悪いって言っても、ずっと顔色良かったっす。
ご飯も毎回美味しそうにいっぱい食べてくれるし、お酒だって、ちょっと前から禁酒するって言ってたけど、それまで、めっちゃくちゃ幸せそうに飲んでたっす。
全然病気の人みたいじゃなかったっす。
深刻な病気の人は、顔色が悪かったり、確か、顔がむくんだり、痩せたりするってじいじが言ってたっす。紗良さん、全部当てはまらなかったっす」
『ほらな』と、羊が口角を上げた。
満足そうに頷いて見せた羊は、それからむくっと起き上がって、紗良の背後に回ると獣化を解いた。隅に畳まれていた服を取り上げ、着替え始める。
紗良は、目の前で朝食の準備を始めるカイルの背中を眺めながら、
「そ、そう。わかったわ。これは、あれね。また私、アレックスにぶち切れた時みたいに、また、一人で、もんもんと妄想を巡らせて、暴走してしまったってことね。わかった。そっか、私、今回は、妄想爆発で勝手に死に急いじゃったんだ」
またやっちゃったなと紗良は、遠い目をした。
着替えを終えたジョバンニが口を開く。
「とにかく、お前は、これ以上無様な思い出を残したくなかったら、妄想を暴走させる前に、誰かに相談することな。
今回のことと、アレックスのことは、俺、ヴォルフの成長記録にしっかりと残すからな。
お前の番は、暴走しやすいから気をつけろって――」
朝食を盛りつけながら二人の会話を聞いていたカイルが、思い出したように口を開いた。
「あ、でも、さっき、アーサーさん、朝ごはん食べてる時に言ってたっす。
侍婆様も、紗良さんと同じように病気じゃないのに熱が出たり、汗かいたりしていたことがあったらしいっす。
アーサーさん、子どもの頃、すごく苦しそうにしている侍婆様を心配して、煎じ薬を持って行ったら、これはいいことが起きる前兆だからすぐ治るから大丈夫だって――」
「いいことが起きる前兆――。はっ、それって、もしかして、この具合の悪さって、番の能力が発現する時の現象ってこと?!」
紗良は、目を見開いた。どうだろうと首を傾げているカイルをよそに紗良は、興奮しながら話し続けた。
「私の、風邪じゃなかったんだ。だから、咳も鼻水も出なかったのね。だから、ジョバンニにも風邪をうつさずにすんだってこと――。
じゃあ、じゃあ、いよいよ番の才能が開花しちゃうって、そういうこと?!
えーじゃあ、私どんな便利グッズをお取り寄せできちゃうの? この世界を、どんなふうに豊かにできちゃうのかしら。わぁあ。さいこー。
あ、もしかして、もう、お取り寄せできちゃうってこと? じゃ、じゃあ、この前できなかった、あれも、オープンできちゃうってこと? うわっ。楽しすぎる。早速、ちょっと、やってみちゃおうかな」
紗良は、すくっと立ち上がった。ベッドの上で仁王立ちになり天井をビシッと指さした。
みんな、見てて! と興奮しながら、声を上げた。
「ステータス、オーーーープンッ!!」
しんと静まり返る室内。
「ステータス! オープン!! オープン!! オーーープン!!」
カイルがよそうスープのとぽとぽという音だけが室内に響き渡った。
「また、暴走したな。これも、成長記録に書いとくわ」
ジョバンニが残念そうにしながら呟いた。
顔を真っ赤にしながら、ガックリと肩を落とす紗良。
カイルは、苦笑しながら、
「紗良さん、元気になってよかったっす。とりあえず、ご飯食べるっす。今日は、パン粥にしたっす」
紗良にほかほかに湯気立つスープを差し出した――。
「くぅうー、五臓六腑に染みわたるぅ。あー、美味しい。さいっこう。これなら、もう、むーんも気にならなくなるわ」
紗良は、はぁと大きく息を吐いた。恍惚とした表情で天を仰いでいる。
つやつやの顔でパン粥を一気に平らげた紗良。ジョバンニは、彼女を横目で見ながら言った。
「そんな簡単にむううんがなくなるなら、やっぱり大したことなかったじゃねえか」
紗良は、いやいやと首を横に振りながら、
「違うのよ。体はむううんしてるけど、口のむううんはなくな――」
――ガリッ
「あ、うそ、何?」
紗良は、咄嗟に口の中に手を入れた。眉間に皺を寄せながら親指と人差し指を口の奥まで捻じ込ませる。
しばらく格闘の末、ようやく奥歯から何かを引っ張り出した紗良は、取り出したそれを手のひらに乗せた。
「これ何かしら」
紗良は、手のひらに顔を近づけた。
彼女の手には小さな銀色の塊があった。
紗良が、首を傾げてそれを見つめていると、横からジョバンニが顔を出して紗良と同じように彼女の手に乗っている塊を覗き込んだ。
「これなんだ? 鉄くずか? いや、銀? あっ! まさか、お前の能力って、口から銀を出すってことか?!」
驚いた様子のジョバンニに、カイルも何事かと二人に近づいた。紗良は、ジョバンニの言葉に、ハッとして顔を上げた。
「銀――あ! やばっ!」
紗良は、うそでしょと青ざめながらベッドから飛び出した。部屋の隅に置いてある姿見にどたどたと駆け寄った紗良は、姿見を覗き込みながら大きく口を開いた。
「ん? あれ? この奥歯って――」
紗良は、姿見にくっつくほど顔を寄せ、再びこれでもかと大きく口を開いた
「え? うそ! 虫歯!! なくなった!」
口を開けたまま、紗良はその目も大きく見開いた。




