第三十七話 目が良くなった紗良とカイルの瞳
「さて、今日の私の仕事は――」
紗良は、居間の扉横の壁に掛けられている大きな木の板を眺めた。
木の板の上部には紗良、カイル、ジョバンニ、アーサー、ヴォルフと四人の名前が表示されている。
それぞれの名前の下には、緑がかった四角い紙が二枚ずつ、縦に並べて鋲で固定されていた。
紗良が自身の名前の下にある紙を取ろうと手を伸ばしたところにジョバンニがやって来た。
「俺の仕事は、午前は、カイルと一緒に塔の掃除か」
ジョバンニは、彼の名前の下に張ってある紙の内容を読み上げながら腕を組んだ。
「私は、洗濯。ジョバンニ、あなた、昨日脱いだ服はちゃんと洗濯場の籠に入れた? この前は、あなたの服だけがなくって、湯あみ場まで探しに行ったり、大変だったんだからね。決まり守らないと、また、果実酒没収するわよ」
紗良は、横目でジョバンニに文句を言った。ジョバンニは、またかようるせえなと、ふてくされて顔をそむけた。
紗良がジョバンニの態度にため息を吐いているとカイルの声が背後から聞こえてきた。
「紗良さん、今日の洗濯物、いつもより少ないっす。早く終わるっす。洗濯場の隅にもう集めておいたっす」
カイルの言葉に振り返った紗良は「カイル、あなた、最強ね。ほんっと助かるわ。ありがとう」と嬉しそうに微笑んだ。
カイルは、紗良にいつもの笑顔で頷き返すと、それから壁の板を見た。
彼は、嬉しそうに目を細めて板に書かれている自身の名を指でなぞりながら、
「紗良さんのおかげで俺、少しずつ文字が読めるようになってきたっす。嬉しいっす」
ありがとうっすと、笑顔を見せるカイル。紗良は、彼にいいのよと柔らかな笑みを返しながら言った。
「カイルは、本当に記憶力が良いし、勉強熱心だし、私も教え甲斐があるわ」
二人の会話にジョバンニが、不満顔で言った。
「お前ら、便所紙に絵描いたり、字書いたり、最近夜はずっとそればっかじゃねぇか。なかなか寝ねえし――、夜更かしし過ぎなんだよ。決まりに夜更かし禁止って追加するからな」
カイルは、ジョバンニの言葉に眉尻を下げて肩を竦めた。
紗良は、しょうがないじゃないと開き直りながら、
「だって、こっちの世界の文字、私でもすらすら書けるっていうのがわかって、それで楽しくって――。
私、あっちの世界で英語、えっと外国語が苦手だったから、異世界の文字を使って、すらすらと文章を書けちゃう感覚が――もう最高なのよ」と、両手を胸の前で組みながら頬を紅潮させた。
楽しそうに話す紗良に、ジョバンニが未だ不満顔で、
「でも、お前、最初っからこっちの世界の言葉だって話してたろ? 書くのと喋るの何が違うんだよ」
「そう、それなのよね。それも番の能力なのかしら。私も訳が分からないんだけど、話すって行為は最初っから何も考えずにできてたから、もう無自覚すぎて、外国語を話してるって感覚はないのよ。
そのまま前の世界の言葉を話してるって感じ。
まあ、時々私の言葉であなたたちが理解できないっていう顔をしていることがあるから、その時は、ちょっと古風な言葉に言い換えたり、カタカナ言葉は使わないようにしたり、ま、方言の違いくらいに思ってたのよね。
でも、文字は違うのよ。ちゃんと日本とは違う言葉を使ってるって実感があるの。
不思議よね。一体どうなっているのかしら。ま、でも、いくら考えても私じゃ一生理解できないだろうし、不便は全くないから、とにかく、今はこの番の能力を使って、私、すげえぇみたいな、バイリンガル無双感を楽しむわ」
それにと、紗良は、声を明るくした。
「もう一ついいことがあって。実はね、こっちの世界に来てもう三か月? そろそろ四か月くらいかな? 最近、目の調子がすっごく良いのよ。
ほら、カイルに初めて会った時。あの時、私、あなたの目を見たでしょ? それで、瞳が濁ってるとかなんとか、カイル言ってて、私、その時、目が霞んでて、濁りなんて全然認識できなかったんだけど――」
紗良は、そう言ってカイルに顔を寄せた。至近距離まで近づいた紗良は、彼の両眼を覗き込みながら言った。
「あなたの、瞳の濁り? あれも見つけられたのよ。この間、お日様が久しぶりに出た時があったでしょ? その時にね――」
カイルの瞳を見つめて紗良は、うんと頷いた。
「あなたの紺色の瞳の中に確かにあったわ」
カイルは、表情を暗くした。俯きそうになるカイルの頬を両手で包み込んだ紗良は、彼の顔を上げて「あなたの瞳、キラキラ光るのよ」と、言った。
予想外の言葉にカイルは、戸惑いながら尋ねた。
「キラキラっすか?」
「うん。あなたの紺色の瞳の中、輝いてるの」
「なんだよ。急にいちゃつきだして、カイルの目が何だってんだよ。俺にも見せろよ」
ジョバンニが紗良とカイルの間に割り込んできた。
ジョバンニが眉間に皺を寄せながらカイルの瞳を凝視する。紗良が、ジョバンニの肩に手を乗せながら、
「それじゃ、光が当たらないわ。この角度よ」
紗良は、ジョバンニの体をずらした。カイルの瞳に光が差す。ジョバンニは、光に照らされたカイルの瞳を覗き込みながら声を上げた。
「あ! 本当だ。すげぇ。カイル、お前の目のなか、紫とか緑とかいろいろな色で光り出したぞ」
ジョバンニの言葉に紗良はぱあッと顔を明るくして、
「そうなのよ! カイルのなんだっけな、あーだめね。言葉が出てこない、えっと、目に光が当たったら、目の真ん中の黒いのが小さくなるじゃない?
そうしたらその周りのえっと、なんていうんだっけ。
あっと、なんだ、あ、そうそう虹彩! それがカイルのは、オーロラみたいに綺麗に光るのよ。角度によってそう見えるの! あ、そっか。オーロラ、えっと、オーロラって、この世界にある? 知ってる?」
紗良が尋ねるとカイルとジョバンニは首を傾げた。
「そっか、オーロラは、ダメか。うーん、じゃあなんて言ったらいいのかな」
うーんと腕を組んで天を仰いだ紗良。
ジョバンニは、考え込む紗良をよそにカイルに言った。
「ま、おーろらでもなんでもいいって。とにかく、カイル、お前の瞳は濁ってるんじゃなくって、光ってるんだ。俺が見てもうらやましいくらいに綺麗だよ」
「き、綺麗って、じょ、ジョバンニさん」
カイルは、顔を真っ赤にして俯いた。
「な、なんだよ。お前、顔赤いぞ。そんな大したこと言ってねぇよ。やめろよ。言ったこっちが恥ずかしくなってきたわ」
ふいと顔をそむけるジョバンニ。彼の赤くなった耳を見た紗良は、ニヤリと口角を上げながら、
「ジョバンニとカイルだって、いちゃついちゃって――」
楽しそうにジョバンニの脇腹を小突いた。
――ふぎゃあ
サークルの中からヴォルフの泣き声が聞こえた。紗良は、すぐにヴォルフに駆け寄り、彼を抱き上げた。それから、木の板を眺めた。
「あ、そっか。今日は、みんな午前中仕事があるから、アーサー、初めてのヴォルフと二人っきりか。アーサー、もうすぐ、湯あみ終わるよね?」
紗良は、カイルに尋ねた。カイルは、振り子時計に視線を移して「そろそろっす」と頷いた。
ジョバンニが羊耳を出した。
「あ、終わったみたいだぞ」
彼の言葉に紗良は「じゃあ、どうしよう。ヴォルフまだぐずってるから、もう少し寝かせてあげたいし、寝るまでアーサーにおんぶか抱っこしててもらおうか」
三人で話しているとアーサーが居間に入って来た。
彼は、すっきりとした表情で木の板を指さしながら、
「今日の私の仕事は、ヴォルフのお世話だな。サークルを見張っておればよいのか?」
アーサーがニコニコとしながら尋ねる。
紗良は、胸に抱いているヴォルフのお尻をトントンと叩きながら、眉尻を下げて答えた。
「ヴォルフ、まだ、寝たりないみたいでぐずっているから、サークルでは遊ばせられないんです。だから、アーサー、ヴォルフが寝るまで、おんぶか抱っこしていてくれますか?」
「そうか、ぐずっておるのか。わかった。よし、では、おんぶとやらはまだしたことがない故、心配だからの。膝の上でゆらゆらとやらで寝かせるか。ジョバンニがいつも夜やっておるやつだ」
そう言いながらアーサーは胡坐をかいた。うきうきとしながら、両手を広げる。紗良は微笑みながら頷いて彼の腕にヴォルフをあずけた。
――ッン、ギャァアアア
突然火が付いたように泣き出したヴォルフ。紗良は、慌ててヴォルフに手を伸ばした。彼を心配そうに抱き上げる。
ヴォルフは紗良の腕にしがみついた。よしよしと立ち上がった紗良は、ヴォルフのお尻をポンポンと叩きながら体を揺らした。
すぐに泣き止むヴォルフ。紗良は、安堵の表情を浮かべてヴォルフを抱いたままアーサーの前で腰を下ろした。
落ち着いたヴォルフをそっとアーサーに預ける。
――ッン、ギャァアアア
耳をつんざくような泣き声。
アーサーは驚きながら紗良の腕にヴォルフを抱かせた。
途端に泣き止むヴォルフ。
紗良は、もう一度アーサーの膝にヴォルフを乗せようと手を伸ばした。
――ギャァアアア
「これって、まさか――人見知り?!」
うそでしょと、紗良は、目を見開いた。




